第211話:大龍脈の株主総会(バックエンド侵攻)
少女の天才令嬢セレスティアとの間で『合弁会社』の設立契約が結ばれ、地上の盤面から一切の不確定要素が排除されたその日の深夜。
迷宮都市タルタロスの絶対的深淵、第百階層。
無重力の星海を模した暗黒の空間で、城塞都市での契約を終えた後、夜の平原を神速で駆け抜け、迷宮都市の最深部へと帰還したトールは、紫色の超巨星として明滅する『制御核』を静かに見上げていた。
「……地上の憂いは消えた。あの少女の知略が防波堤となる限り、他国の干渉も、王都の腐敗も、もはや俺の経済の歯車を狂わせることはない」
トールは月光を吸い込む『蒼黒の鱗羽鎧』を重厚に鳴らし、右手に握った漆黒の金属棒を虚空で軽く振るった。
先端からチリッ、と青白い火花が爆ぜ、焦げたオゾンの匂いが無重力の空間に微かに漂う。
「残るは、この星の『経営陣』の刷新だけだ」
天上の『監視者』は、先日、迷宮の心臓部を自爆させるという強硬手段でトールのシステムごと星を初期化しようと目論んだ。少女との奇跡的な共闘によってそれは防がれたが、無能な管理者が最上位の権限を握り続けている状態は、トールにとって到底許容できるものではない。
「俺の帝国を完全自動で回し続けるには、大龍脈のすべての魔力を俺の意のままに抽出・分配できる絶対的な権限が必要だ。……ならば、株主総会を開き、あの玉座から無能なCEOを引きずり下ろすまで」
トールは金属棒をマザー・コアの中心へと深く突き立てた。
『管理者権限:支配領域 Lv.5』、そして極限まで高められた知力の全演算能力を解放する。
彼はただ魔法を放つのではない。自らの肉体と魂、その存在すべてを純粋な「情報体」と魔力の奔流へと変換し、マザー・コアに接続された大龍脈を逆流して、物理法則の届かない高次元領域――星のバックエンドへと直接ダイブ(侵攻)するのだ。
「……行くぞ。敵対的買収(TOB)の締めくくりだ」
トールの身体が目も眩むような青白い雷霆へと変わり、星海の暗黒から一瞬にして掻き消えた。
***
天上の彼方。星の理を管理する、色を拒絶した白亜の空間。
無限に広がる純白の中央で、星の循環を視覚化していた巨大な天球儀のホログラムが、耳をつんざくような狂った警告音を鳴らし始めていた。
「な、何事だ……! 大龍脈の深層ネットワークから、規格外の魔力質量が異常な速度で直上へ向かってきているだと!?」
玉座に座す銀髪と黄金の瞳を持つ存在――『監視者』は、その無機質な顔をかつてない驚愕と焦燥に歪ませていた。
「あり得ぬ! 高次元の隔離領域たるこの聖域に、下界の泥に塗れた存在が物理的・魔力的に到達するなど……!」
だが、オブザーバーの否定を嘲笑うかのように、白亜の空間の床面が、ガラスが砕け散るような甲高い音と共に無惨にひび割れた。
――バギィィィィィィィィィッッ!!!
極大の雷鳴が神の領域を劈き、砕けた次元の裂け目から、青白いプラズマの柱が天に向かって猛烈に吹き上がる。
その圧倒的な光の奔流の中から、蒼黒の鎧を纏い、黒い金属棒を肩に担いだ少年の絶対者が、悠然とした足取りで歩み出た。
ホログラムの映像ではない。確かな質量と、星そのものを焼き尽くさんばかりの圧倒的な魔力を伴った『実体』としての侵攻だ。
「……セキュリティが甘すぎるぞ、天上の管理者殿。こんなザルなファイアウォールで、よく数千年も星の理を維持できたものだ」
トールの口角が、残酷なまでに深く吊り上がる。
「き、貴様……! 異常個体め! 己の身を魔力データに還元し、大龍脈の血管を逆流して神の座へと直接乗り込んできたというのか!」
オブザーバーが玉座から立ち上がり、黄金の瞳から絶対零度の殺気を放つ。
だが、トールはその神威に微塵も怯むことなく、コツ、コツと硬質な靴音を響かせて天球儀の目前まで歩み寄った。
「神の座、ね。俺に言わせれば、ここはただの『取締役会の議場』に過ぎない」
トールは黒い金属棒の先端で、白亜の空間の床をトントンと叩いた。
「よく聞け、オブザーバー。現在、この星を満たす大龍脈の魔力の大半は、すでに俺が地上と地下に張り巡らせたインフラ網へと依存し、吸い上げられている。……わかるか? つまり、俺はこの星という企業における『株式』の過半数を、すでに掌握した筆頭株主なんだよ」
トールの放つ冷徹な論理が、高次元空間に重苦しく響き渡る。
「筆頭株主として、現経営陣に退陣を要求する。お前は星の循環を無駄な魔物として吐き出し、あまつさえ自爆コードでインフラごと破壊しようとした無能なCEOだ。……今すぐその玉座を明け渡し、このシステムから消え去れ」
「……下等な地上の塵が、神を愚弄するかァッ!!」
オブザーバーの激昂が頂点に達した。
白亜の空間全体が、彼の怒りに呼応して激しく震動し、純白の景色が反転して赤黒い殺意の色へと染まり上がる。
星の絶対防御システム――管理者のみが起動できる、概念的な削除権限が解放されたのだ。
「星の理を侵すバグよ。貴様の存在そのものを、因果の果てまで完全に消去してやる!」
オブザーバーが両腕を振りかざすと、空間そのものが無数の不可視の「刃」となって、四方八方からトールへと襲い掛かった。
それは物理的な剣撃ではなく、「そこに存在する」という事実そのものを削り取ろうとする、高次システムによる直接的なコードの書き換え攻撃だった。
「……なるほど。空間の定義ごと俺の座標を消去する気か」
トールは微動だにせず、ただ右手の黒い金属棒を構えた。
「だが、遅い。そして、論理が古すぎる」
知力210の脳髄が、迫り来る「削除の概念」のソースコードをミリ秒単位で読み解き、その脆弱性を暴き出す。
「『付与魔法』、並列起動。対象――俺の周囲の空間そのもの」
トールは、物理法則を捻じ曲げる『付与魔法』と、絶対的な破壊力を持つ『雷魔法 Lv.6』を完全に融合させた。
金属棒から放たれた青白い火花が、彼の周囲の空間に、幾何学的な『雷の論理回路』を瞬時に編み上げる。
「上書き(オーバーライド)開始」
襲い掛かるオブザーバーの削除権限が、トールの展開した雷の論理回路に触れた瞬間。
ガギィィィィィィィンッ!!!
削除のコードそのものが、トールの仕込んだ『雷の論理』によって内側からショートし、バグを吹き出しながら光の塵となって粉砕されていく。
「な、何ィッ!? 我の絶対消去権限が、魔法という下等な術式で論理崩壊されただと……!?」
「だから言っているだろう。お前のシステムは時代遅れだとな。……俺の構築した最新の規格の前では、お前の神罰などただのスパムに等しい」
トールは、驚愕に目を見開くオブザーバーへ向けて、金属棒を真っ直ぐに突き出した。
「退任の時間だ、旧経営陣。……引導を渡してやる」
トールの全身から、大龍脈から汲み上げた底知れぬ魔力が、青白いプラズマとなって激しく噴き上がる。白亜の空間が、極大の雷霆の圧力に耐えきれずに悲鳴を上げ始めた。
「『極大天雷』――星系掌握!!」
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!!
宇宙そのものを真っ二つに引き裂くような、凄絶な雷鳴。
トールの金属棒から放たれたのは、単なる破壊の光ではない。高次システムの核を直接書き換え、管理者の玉座を根こそぎ粉砕するための、極太の『論理的雷霆』であった。
「グアァァァァァァァァァッ……!! 我が、星の管理者が、このようなバグに……!!」
数億ボルトのプラズマと暴力的な論理の奔流に飲み込まれたオブザーバーは、その純白の肉体を構成するデータごと、内側から激しく焼き切られていく。
「お前の時代は終わった。この星は、俺が買い取った」
トールの冷酷な宣告と共に、極大の雷光が玉座を完全に打ち砕き、オブザーバーの存在は青白いノイズに包まれながら、高次元空間から永遠にデリート(消滅)された。
光の奔流が収まると、そこには焦げたオゾンの匂いと、主を失って静かに回転する巨大な天球儀だけが残されていた。
トールは金属棒を肩に担ぎ、ゆっくりと天球儀の前に歩み寄る。
星のすべての生命、大地の鼓動、大龍脈の魔力循環が、ホログラムとなって淡く輝いている。
トールは、その天球儀にそっと掌を触れた。
『――システム・アクセス権限の移行を確認。新たな管理者を登録します』
白亜の空間全体に、無機質な承認の音声が響き渡った。
その瞬間、トールの脳髄に、この星のあらゆる法則、魔力の源泉、次元の構造に至るまでの絶対的な権限が、完全なるデータとして流れ込んでくる。
「……M&A(買収)、完了だ」
トールの瞳に、星のすべてを掌握した者だけが持つ、深く、冷徹な光が宿る。
地上の経済を支配し、地下の迷宮をエネルギー採掘プラントとし、そして今、天上のシステム中枢すらも完全に自らの所有物とした。
「もはや神の摂理など存在しない。この星全体が、俺という企業の巨大な敷地だ」
誰もが俺の規格の中で生き、俺のシステムに依存し、俺のために富を産み出し続ける。
三十代の社畜が血反吐を吐きながら夢見た「完全自動の絶対企業」。その究極の心臓部が、今ここに完成したのだ。
「さあ、世界よ。俺の掌の上で、永遠にその命を回し続けろ」
白亜の高次元空間で、神を解雇し星を簒奪した少年の絶対者は、天球儀の青白い光に照らされながら、残酷なまでに美しく、完璧な支配者の笑みを深く刻み込んだのだった。




