実戦
魔法適性を調べてから、一年が経った。
十三歳になった僕は、生い茂る草木をかき分けながら、街の外へと続く細い街道を歩いていた。並んで歩くのは、ギルドのベテラン冒険者であり、スキンヘッドがトレードマークのアランさんだ。
普段はブラドさんやアランさんからギルドの訓練場で基礎を叩き込まれているけれど、今日は勝手が違う。初めての「実戦演習」として、街外れのうっそうとした森へ足を踏み入れているのだ。
「いいか、ぼうず。訓練場の木剣と違って、これから向かう場所じゃ鉄の剣を使う。そして相手は人語を解さない血に飢えた魔物だ」
アランさんが低く落ち着いた声で忠告してくる。その腰には、数々の修羅場をく潜り抜けてきたであろう本物の鋼の剣が不気味に収まっていた。
「はい……」
「訓練と実戦の決定的な違いは何だと思う?」
「えっと……相手が手加減なしで殺しにかかってくること、ですか?」
「そうだ。だが、本質はそこじゃねぇ。実戦ってのはな、『命のやり取り』だ。お前が躊躇えばお前が死ぬ。相手を屠る覚悟と、自分が冷たい肉塊になる恐怖……その両方を背負って剣を振るうんだ」
アランさんの言葉には、幾多の死線をくぐり抜けてきた男特有の鋭い重みがあった。
僕は腰に差した鉄の剣の柄にそっと手をかけ、ギュッと強く握りしめる。冷たい緊張で、手のひらは嫌な汗にまみれていた。父さんには「少し遠くまで出かけてくる」とだけ伝えて家を出たけれど、胸の奥で高鳴る鼓動はどうしようもなく早かった。
じめりとした湿気を帯びる森の中に入ると、周囲の音がかき消され、奇妙な静寂が僕たちを包み込んだ。木々の隙間から差し込む光がまだらに揺れる中、不意に、すぐ脇の草むらからガサリと嫌な音が響く。
「来たぞ。背丈は小さくても侮るな。ゴブリンだ」
アランさんの鋭い囁きと同時だった。鬱蒼とした茂みから、汚れた緑色の皮膚をした醜悪な小鬼が二匹、血走った目を剥き出しにして飛び出してきた。手には錆びついた粗末なナイフが握られている。
「ギギッ……!」
「ひっ……!」
本物の魔物が放つ独特の獣臭と殺気に、すくみかけた足がどうしても動かない。
「動けぼうず! 訓練通りに足を動かせ!」
雷鳴のようなアランさんの叱咤が飛ぶ。
僕ははっと息を呑み、硬直しかけた足に無理やり力を込めた。毎日ブラドさんに叩き込まれた基本の踏み込み。何度も繰り返した剣の軌道。
思考よりも早く、体が勝手に反応した。突進してきた一匹目のナイフを紙一重でかわし、恐怖に震える手で自身の剣を横薙ぎに振るう。
「ギャッ……!?」
ずっしりと手元に伝わる不快な感触とともに、剣がゴブリンの胴体を鮮血とともに切り裂いた。ドロりとした緑色の血が飛び散り、魔物はそのまま地面に崩れ落ちてピクリとも動かなくなる。
「はぁ……はぁ……!」
命を奪ったという生々しい手応えが、冷たい汗となって全身から噴き出した。
「余計な感傷に浸るな! もう一匹が来るぞ!」
アランさんの怒号に弾かれるように顔を上げると、残る一匹が仲間を殺された怒りで歪んだ顔を晒し、僕の喉元めがけて低く跳びかかってきていた。
「くっ……!」
反射的に剣を正面に突き出し、かろうじて敵の突撃を受け止める。ガチッと耳障りな金属音が響き、至近距離でゴブリンの腐臭を放つ息が鼻をかすめた。力比べではこちらに分がある。一気に押し返し、体制を崩したゴブリンの胸元へ迷わず剣を突き立てた。
「……っ!」
二匹目の魔物がぐったりと沈黙し、森には再び不気味な静寂が戻ってきた。
僕は震える手で剣を握りしめたまま、その場で膝をつきそうになる体を必死に支える。収まらない荒い息を懸命に整えた。
「……上出来だ、ぼうず。初めての実戦にしちゃ合格点だな」
アランさんが歩み寄り、乱暴に僕の肩をぽんと叩いてくれた。
「怖かったろう。だが、これが命のやり取りだ。お前が殺さなければ、今ごろお前が地べたを這いずっていた。その恐怖を骨の髄まで覚えておけ」
「……はい。なんとか、倒せました……」
僕は荒い息を吐き出しながら、返り血で汚れた自分の両手を見つめる。命を奪うことへの恐怖と、生き残ったことの安堵が頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
だが、その張り詰めた安堵感も、ほんの数瞬のことでしかなかった。
森のさらに深い奥、幾重にも重なる木々の影がひときわ濃くなった闇の向こうから、肌を刺すような冷たい風が吹き抜ける。
さっきのゴブリンなどとは比べものにならない、圧倒的で異様な重圧を含んだ気配。
背筋の毛穴という毛穴が逆立ち、総毛立つような悪寒が走った。
(……なんだ、これ……?)
一瞬、右手の小指が、まるで意思を持つかのように「ドクン」と脈打って不気味な熱を帯びた気がした。
嫌な予感に導かれるように小指へ目を落としたその瞬間、アランさんの表情がこれまでに見たこともないほどに険しく凍りついた。彼は僕を背後へと乱暴に押しやり、一気に愛剣を鞘から引き抜く。
「……チッ、何だこの気味の悪い気配は。おいぼうず、俺の背中から離れるな!」
アランさんの張り詰めた声が、静まり返った森の空気を切り裂く。
闇の奥から、低く這うような足音がゆっくりと、しかし確実にこちらへと近づいてきていた——。




