真実
いつもの訓練場で木剣を振るっていた僕の前に、ブラドさんが歩み寄ってきた。横ではアランさんが腕組みをして見守っている。
ブラドさんはポケットにガサゴソと手を突っ込むと、ひとつの小さな箱を取り出して僕に差し出してきた。
「ほらよ、ぼうず。受け取れ」
「これ……なに?」
受け取って箱を開けると、中には銀色の金属にほんのりと不気味で静かな鈍色が混ざり込んだ、小さな指輪が収められていた。ギルドにある無骨な練習用のものとは明らかに違う、どこか繊細な佇まいをしている。
「お前用に仕立ててもらった、練習用の指輪だ。それを使って魔力を練る練習をしてみな」
「僕用に……? ブラドさんが用意してくれたの?」
「……まあ、細かいことは気にするな。腕の立つ指輪師に作らせた特注品だ。そいつを小指に嵌めて試してみろ」
ブラドさんはそれ以上多くを語らなかったが、横に立つアランさんがどこか温かい目をこちらに向けていた。
受け取った指輪を右手の小指に嵌めてみる。カチリと心地よい音がして、ぴったりと指になじんだ。冷たい金属のはずなのに、不思議と手元から静かな温もりが伝わってくる。
「よし、試すぞ。無理はするなよ」
ブラドさんが警戒を解かない鋭い眼差しで見つめてくる。
僕は深く息を吐き出し、ゆっくりと目を閉じた。
体内の奥底から魔力を手繰り寄せ、右手の小指——ブラドさんから渡された指輪へと集中させていく。
驚いたことに、前回のギルドの指輪とはまったく違っていた。暴れ馬のように奔流となって吹き出そうとする魔力が、指輪を通過した瞬間に、すっと静かに抑え込まれていく。まるで指輪自体が僕の魔力を優しく包み込み、道を示してくれているかのようだった。
目を開けると、右手のひらの上に「黒い球体」が立ち昇っていた。
前回のような周囲の光を呑み込むほどの不気味な拡大も、意識を奪われるような狂おしい吸引力もない。自分の手のひらの上で、静かに、けれど確かにうねりをあげる純粋な闇の塊。
「……できた。ブラドさん、頭がぼーっとしないよ! ちゃんと自分の意思で抑えられてる!」
僕が声を弾ませると、ブラドさんとアランさんは顔を見合わせ、心底安堵したように大きな溜め息をついた。
「……へっ、あの大頑固の爺さん、いい仕事しやがるぜ。これなら自分の魔力に呑まれて自爆する心配はなさそうだ」
ブラドさんは頭をかきながら、僕に近づいて手元を覗き込んだ。
「だがなぼうず、勘違いするなよ。その指輪はあくまで『お前の荒ぶる魔力を少し抑えて扱いやすくしている』だけだ。闇の魔法そのものを完璧に制御できたわけじゃねぇ」
「う……うん」
「魔力の根底にあるお前の地力を育てなきゃ、指輪の抑えなんていつか限界が来る。……いいか、一人前の冒険者として認められるまでのあと二年、魔法に頼り切るんじゃなく、剣術も身体作りも地道に極めていくぞ」
「あと、二年……」
「そうだ。その時が来れば、ギルドの入団試験だって受けられる。それまでに、どんな力にも負けねぇ強い心と体を完成させるんだ。……やれるか?」
ブラドさんの力強い言葉に、僕はキュッと右手の小指を握りしめた。
指輪越しに感じる温かな余韻。僕のために用意してくれたこの指輪と、遠い街にいる彼女と交わしたあの約束。
二年後、胸を張って最強の冒険者への一歩を踏み出すために。
「……うん! 僕、絶対に強くなってみせるよ!」
僕は右手の闇を静かに消し去り、力強く頷いた。
ブラドさんの指導が一段落すると、今度はアランさんが僕の前に歩み出てきた。
いつもは柔和な笑顔を浮かべているアランさんだが、今はどこか真剣な、鋭い冒険者の顔つきになっていた。
「ブラドが基礎の制御を教えたなら、俺からは魔法の『性質』と『応用』についての勉強だ。よく見ておけよ」
アランさんは右手を軽く横に振り抜いた。
バツンッ、と空気が弾けるような鋭い音が鳴った。次の瞬間、少し離れた場所に立てられていた木製の的が、斜めに真っ二つに両断されて地面に崩れ落ちた。
「えっ……今、何をしたの?」
刃物で斬られたような見事な断面。しかしアランさんは剣を抜いてすらいない。ただ素手で空を薙いだだけだった。
「俺の魔法適性は風だ。だが、そんじょそこらのそよ風や突風を吹かせるのとは少し違う。俺の風は、対象を鋭く『切り裂くこと』に特化しているんだ」
アランさんは指先で空気を弄ぶようにしながら、僕に向かって優しく微笑んだ。
「魔法ってのは属性ごとに得意な形がある。ブラドの炎は燃やし尽くし、俺の風は切り裂く。……だが、半年前のオークの時、俺の得物は手元になかった。ちょうどあの日、俺の魔力を通すための指輪を工房へメンテナンスに出しちまっていたんだ。だから魔法の威力を引き出せず、俺たちは追い詰められた」
「俺の風魔法はじゃじゃ馬でな。指輪だけじゃ制御しきれず周りを巻き込んじまう。だからってあんな簡単にやられるとはな…」
アランさんはふっと自嘲するように笑い、困ったように眉尻を下げた。それから、少し表情を陰らせて僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「……ぼうず。ここで、お前に話しておかなきゃいけない真実がある」
「真実……?」
アランさんの重々しい雰囲気に、僕の背中に冷たいものが走った。
「あの時、他の冒険者が駆けつけてオークを倒してくれたって言ったろ。……ありゃ嘘だ。お前を怖がらせないために、俺とブラドでついた嘘だったんだ」
「え……? 嘘って……じゃあ、あのオークは……」
「倒したのは、お前だよ」
アランさんの言葉に、息が止まった。
「お前はあの時、力尽きた俺の前に立ち塞がり、溢れ出る闇の魔力を身に纏ってオークを叩き伏せたんだ。お前自身は覚えていないだろうがな。……お前の身体能力が異常に跳ね上がり、豚野郎を細切れにしたんだよ」
頭の中が真っ白になる。僕が……あの恐ろしい化け物を……?
「お前の魔力はそれほどまでに強大で、危険だということだ。自分でも気付かないうちに身体に闇を浸食させ、限界を超えた力を引き出してしまう。だからこそ、その指輪で制御する術を覚えなきゃいけない」
アランさんは落ちていた生の木の枝を拾い上げると、真剣な顔で僕に向き直った。
「恐怖を与えるつもりはない。ただ、己の持つ力の重さを知ってほしかったんだ。……さあ、ここからが本題だ。その指輪を使って、お前の闇がどんな力なのかを一緒に試してみよう」
「……うん。分かった」
自分の内に眠る真実を知り、震える手で小指の指輪を強く握りしめる。僕は深く息を吸い込み、右手のひらの上に純粋な黒い球体を浮かび上がらせた。アランさんはその球体に、持っていた木の枝の先端をゆっくりと差し込んだ。
瞬間、枝の先端が怪しく蠢いた。黒いモヤが枝の表面を這い上がり、闇に触れた部分がグニャリと歪む。まるで異物に内側から上書きされるように、枝は急速に芽を吹き出し、異様な太さへと変質して弾けたのだ。
「うおっ……!?」
アランさんは驚いて思わず枝を手放した。地面に落ちた枝は、闇が触れた部分だけが不自然に太く、脈打つような別の樹皮へと変質していた。
「こいつは……対象に闇を深く塗り重ねて、強制的に状態を書き換える『侵食』の力か…。オークの時もお前は自分に闇を侵食させ、過剰な自己強化を行っていたんだな……」
アランさんは納得したように深く頷いた。
だが——誰も気付いていなかった。
アランたちが『侵食による変質』だと解釈したこの現象こそ、闇の魔法が持つ本質。
あらゆる存在を我が物とし、能力も、肉体も、精神すらも意のままに操り従わせる『完全なる支配』の片鱗だったのだ。
あの時、闇に触れた枝は変質したのではない。少年の闇によって大きく成長せよと命じられ、その肉体を強制的に書き換えられたに過ぎない。
半年前のオーク戦でも同じだった。危機に瀕した少年を救うため、闇は少年自身の肉体と意思を完璧に支配し、死を賭した超強化を施していたのだ。
けれど、世界の誰一人として、そのあまりに強大で恐ろしい支配の真実には届いていなかった。
己の過去の真実と、歪んだ魔法の解釈を胸に、少年の手探りの修行は続いていくのだった。




