空へ刻む
豪奢な部屋の窓辺から見下ろす帝都の街並みは、どこまでも白く整然としていて、どこか冷たかった。
あの日、馬車の中で深い眠りに落ちてから、目が覚めた時にはすべてが終わっていた。
目を開けた瞬間に広がっていたのは、見慣れた田舎の風景ではなく、帝国の巨大な城門だった。事態を呑み込めない私に、両親は誇らしげな顔で「今日からお前は帝国の王子の婚約者だ」と告げたのだ。
数ヶ月前の視察で私を見初めたという王子は、今年で十六歳。若くして騎士団の部隊長を務めるほどの手練れであり、両親にとっては我が家を再興するための最高の手札だったのだろう。
だが、私にとっては違った。
わけも分からず見知らぬ土地へ連れてこられ、見知らぬ男の婚約者に据えられた。拒絶する隙すら与えられなかったあの日の絶望と悔しさは、今でも胸の奥で重く燻っている。
あれから一年が経ち、私は十三歳になった。幸いなことに、私はまだある程度の自由を許されている。本格的な婚姻の儀まではまだ時間があり、王子の計らいもあって、街へ出たり勉強をしたりすることまでは制限されていないのだ。
両親は私が大人しく運命を受け入れたと思っているのだろう。けれど、私は何ひとつ諦めてなどいない。
窓から差し込む陽光に、右手をかざす。
その小指には、何も刻まれていない。けれど、あの日あの丘で、彼と小指を絡め合わせたときの確かな温もりだけは、今も私の中で生き続けている。
(待ってる……なんて言わない。私が迎えに行くんだから)
あの強がりを、ただの夢物語で終わらせるつもりはなかった。
この理不尽な運命を跳ね返すためには、誰にも文句を言わせないだけの「力」が必要だった。だからこそ、私は自ら動き出したのだ。
現在、私は帝都でも指折りの実力を持つ、高名な女性冒険者に弟子入りを果たしている。
彼女は私の身分や政治的な立場など一切気にせず、ひとりの人間として容赦なく指導してくれた。そして、私に類稀なる「光」の魔法適性があることを見抜いてくれたのだ。
「光は、闇を払うだけの力じゃない。大事なものを照らし、守り抜くための剣だ」
師匠である彼女の言葉が脳裏に蘇る。
私には光の適性がある。それならば、この与えられた光を極限まで磨き上げてみせる。帝国の王子だろうと、親の決めた都合のいい運命だろうと、すべてを自分の力で跳ね返して、この手で未来を掴み取るために。
どれほど過酷な訓練であろうと、体に痣をつくりながら必死についていった。師匠である彼女の手ほどきを受けるたび、自分の中に眠る澄んだ光が少しずつ、けれど確実に強く大きくなっていくのを感じている。
誰かに守られるだけの、飾られた人形のまま終わるつもりはない。彼が命がけで強くなろうとしているのなら、私もまた、彼に恥じない強い存在でありたかった。
窓から差し込む夕空の光に、右手をそっとかざしてみる。
茜色に染まる帝都の街並みが、あの日、彼と最後に眺めたあの小さな丘の夕焼けと重なって見えた。
小指をキュッと強く握りしめる。指先から溢れ出た柔らかくも凛とした純白の光が、私の手のひらを静かに包み込んでいく。
冷たい城の空気も、重く圧しかかる政治の鎖も、この手に宿る温かな光と約束の記憶だけは決して奪えない。
(待っていてなんて、やっぱり言わないよ……。あなたに追いつくためじゃない。あなたをこの手で迎えに行くために、私は誰よりも強くなってみせる)
胸の奥で静かに燃え盛る決意。それは怒りや憎しみではなく、純粋で揺るぎないひとつの約束だった。
はるか遠く、彼が今も剣を振るっているであろう王国の空へ向けて、私は心の中で深く、力強く誓いを刻み込むのだった。




