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公認ストーカー神崎の代筆  作者: ヒョードル
第二章 ロックバンド、Semaforoの場合
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五曲目

「鹿鳴館だって?」


 智也と秀治は互いに声を上げていた。智也がちらりと時計を見ると、午後十時を指していた針は動いていなかった。大概は次の予約グループがすぐに入ってくるのだが、この日は空いているのだろうか。そもそも清掃員と入れ違いになることなど今まではなかったのだ。しかしこれ幸いかな、智也はギグバッグを床に下ろし、秀治もそれに倣った。


 反町は作られたような表情のまま秀治のギターケースを見ていた。一層慈しむような目だった。


「まあ俗にPAいうやつですわ。歳ばっかり食うて体が追いつかんくなりましてな、ずっとおった鹿鳴館を辞めてしもうたんや。ほんで閑居先にここを選んだっちゅうわけです。腰やってしもうて」


 反町は腰を擦りながら小さく言った。


 目黒鹿鳴館は、若手やインディーズバンドの登竜門として知られ、数多くのバンドを輩出してきた老舗のライブハウスである。ハードロックやヘヴィメタルバンドの足掛かりとしての認知が大きいのだが、その実多種に渡るバンドやグループがここから巣立っていった。


 神崎や神保町の都市伝説を知ったきっかけである「X-Limited」も、目黒鹿鳴館の出身として世に轟かす雷名を欲しいままにしており、出世頭として後進からの声望を浴びている。


 秀治は、幼いころに見ていたギターヒーローたちが、ブラウン管から飛び出して目の前で暴れ狂っているかのように、両目を見開いていた。


「じゃあ色んなバンドの曲を生で聴いてきたんですね。すごいや、そんなバンドの生き字引きみたいな人に会えるなんて」


 肩を竦ませた反町は、朴訥さを思い出した秀治の喜々とした瞳を翳らせた。


「世の中じゃ一発屋や言われ見かけんようになったバンドもよういますわ。鹿鳴館で人気を博したかて、その後も安泰やいう保証はありまへんしな。メンバー皆が四十しじゅうを超えて細々と小さな箱でライブやっとる奴らもおるぐらいや。いっときはオリコンで一位を取ってウン十万枚や、言うてたんやで」


 智也はギグバッグの端を強く握った。


 智也たちは全員今年で二十五歳になる。他の同級生たちはほとんどが就職をして、中にはすでに所帯を持っている者もいた。実家がある地元に帰省をした際に、子供を連れている同級生に偶然再会したことがあった。サッカー部の主将を務めていた男で、国立競技場にも立ったこともある、校内一の快足の持ち主だったと記憶していた。その男は智也の姿を認めるなり言ったのだった。「現実を見るようになった」と。


 逃げるようにその場を立ち去った智也は、以来地元に戻ろうとはしなかった。意固地なプライドが許さないのではなく、幸せを絵に書いたような笑顔を振りまくその神経が気に触ったのである。


 しかし反町が教えた非情とも呼べる現実は、そうならへんようにな、と暗に言っているようで、現実を見るようになった男への賛同を促しているような気がした。


「とは言うても、腐っても鯛や。どんなに落魄しようが持っとる腕はみな確かや。それだけは言える。兄ィさん方は彼らと同じ匂いがすんねん」


「でも売れなかったり、それを諦めたら意味ないですよね」


「兄ィさん、あんた売れるために音楽やっとるんか。好きやから音楽やっとるんか。どっちなん? 教えてんか」


 智也はサッカー部の主将だった男を脳裏に浮かべたまま答えた。


「俺は売れたいです。他のみんなも同じだと思うけど、諦めたくはないです。秀治もそうだろ。売れれば汗水垂らしてバイトすることもなくなるんだ」


「俺は……」


 秀治が言い淀んだことは智也にとって意外であった。巷でよく聞く「方向性の違い」がすぐそばに潜んでいることを知らなかった智也は、秀治の返答如何によっては考えを改めねばならなくなる事態を今更ながら恐ろしく感じた。ふと、神崎の言葉が蘇ってきた。


「おい秀治……まさか」


「いや、もちろん俺も売れたいよ。だけど、それよりも大事なものってあるような気がしてさ。うまく言えないけど、売れるバンドよりも聴いてる人を導けるようなバンドでいたいな、俺は。バンド名だってそうだろ」


 喜色を全面に出している反町の顔がにわかに動いた。落胆とも愉悦ともとれない顔は変わらないのだが、どうやら一家言あるようだった。


「あんさん秀治はん言いますの? ええ心がけや。せやけどな、落伍する人間はみな秀治はんみたいな言葉を言って辞めてくんや。予定調和なセリフみたいなもんやねん」


「確かに綺麗事ですかね。俺はギターしかできないから高望みはできないから……。だけど、このままみんなでやっていきたい気持ちはあります」


「そうでっか。せや、さっきバンド名言うてましたやろ。何て言うんでっか」


Semaforoセマーフォロっていいます。イタリア語やポルトガル語で“信号機”って意味です」


 秀治は力なく答えた。バンド名の考案者は健一だった。テレビ番組で踊る表示をする信号機がポルトガルにあることを知ったらしく、ポルトガル語で信号機を意味する名前にしよう、と言い出したのだ。秀治はそれに二つ返事で賛同した。純は「もっと格好いい名前にしようぜ」と鼻息を荒くしていたが、健一に諾った秀治と、その秀治に諾った智也に推されるかたちで強引に決定したのだった。


「ええ名前やな。単語を適当に並べて、頭文字を繋げて愛称にさせるような安っぽい名前が今は多いさかい、シンプルで深い名前がええ。ちいと言いにくいけどな」


 反町は初めて歯をこぼして破顔した。


 その時、入り口の方から数人の男が近づいてきたのを智也は発見した。集団はどうやらこの部屋に向かっているようだった。ギターケースやスネアドラムと思しきものを持っているのを見る限り、使用者だろう。


 智也が壁を見ると、時計は十時前を指していた。反町とは十分以上話していたと思ったのだが、腕時計を見てもやはり十時前を示していた。不思議な時間錯誤に陥った智也は、突如現れた寒気に身震いをした。すぐさま反町に向かって「また今度お話し聞かせてください」と一礼し、ハード性のギターケースを大事そうに抱えている秀治と共に部屋を出た。


 受付けでスタジオ退出のサインを書いた智也は、中にいる顔馴染みのスタッフに恐る恐る尋ねてみた。


志田しださんお疲れ様です。あの、ちょっと聞きたいんですけど」


 受付けの内側で書類に目を通している志田は、智也の顔を見るや顔を綻ばせながら椅子から立ち上がった。


「おお高崎君。お疲れ様。どう調子は? 今月もPARAMAに行くからね。チケットよろしく」


「あ、いつもありがとうございます。あの――」


 智也は身を乗り出して受付け室の中を見渡した。普段から見ている部屋と何も変わらない、普通の小部屋である。目当てのの物はなさそうだった。


「どうした赤信号。何か忘れ物?」


「せめて信号機にしてください。そんなことより志田さん。最近新人さん入りました?」


「いや、入ってないよ。ここ三年変わってないけど」


 智也は挨拶も忘れ外に向かった。

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