この国では、赤ん坊は泣いてはいけない
この国では、赤ん坊は泣いてはいけません。
赤ん坊が泣くと、夜空から星がひとつ消えるからです。
星がすべて消えれば、二度と子供が生まれなくなるといわれていました。
だから産室には銀の鈴が吊るされ、赤ん坊が泣くと産婆が鳴らしました。
すると赤ん坊は声を失い、母親もその泣き声を忘れてしまうのです。
人々はそれを、星を守るための慈悲だと信じていました。
けれど、星が消えるのは赤ん坊が泣いたときではなく、いつも銀の鈴が鳴ったあとでした。
*
王都の外れに、鈴職人のセシリアが暮らしていました。
六年前、彼女は娘を産みました。名はルネ。春に咲く白い花のような、小さな女の子でした。
ルネは生まれた瞬間、ひと声だけ泣きました。
産婆が鈴を鳴らすより早く。
その夜、王宮の使者が現れ、娘は《星を落とした子》として連れ去られました。
セシリアが泣きながら追いすがるなか、扉の向こうで銀の鈴が鳴りました。
すると、娘の泣き声だけが記憶から消えたのです。
残されたのは小さな産着と、娘のために作った花模様の鈴でした。
以来、セシリアは夜空を見上げ続けました。
星が消えるのは、いつも鈴の音が響いたあと。
それなのに、誰も不思議がりませんでした。
*
雪の降る夜、工房に白い髪の少女が訪れました。
六歳ほどで、灰色の瞳をしています。
「鈴を、直してほしいの」
差し出されたのは、ひび割れた銀の鈴でした。
内側には、小さな花の模様。
セシリアは息をのみました。六年前、娘のために作り、王宮へ持ち去られたはずの鈴と同じ傷があったのです。
「あなた、これをどこで?」
少女は答えず、棚の鈴を見つめました。
「ねえ。泣かなかった子は、幸せだったの?」
セシリアは返事ができませんでした。
少女はリュシーと名乗り、王宮の地下にある《星の間》へ案内すると言いました。
*
雪に埋もれた庭園を抜け、地下へ下りると、天井いっぱいに銀の鈴が吊るされていました。
その奥には、星のように輝く無数の硝子球が並んでいます。
耳を澄ませば、硝子の内側から小さな泣き声が聞こえました。
「……これは?」
「空から取ってきた星だよ」
リュシーは答えました。
銀の鈴は、赤ん坊の泣き声を封じると同時に、夜空の星を地上へ引き寄せる道具でした。
鈴が鳴るたび、星は光の核となって硝子球に収められ、封じられた泣き声を照らします。
だから星が消えるのは、赤ん坊が泣いたときではなく、鈴が鳴ったあとだったのです。
集められた星の光は、王宮の奥へ送られていました。
寿命を迎えた王は、その光を取り込んで老いと死を先延ばしにしていたのです。
ひとつの星で生きられる期間は短く、王は延命のため鈴を鳴らし続けさせていました。
「星が消えたら子供が生まれなくなるっていうのは……」
「嘘だよ。星を取るために、みんなを怖がらせたの」
セシリアは立ち尽くしました。
守っていると信じていた星を、自分の作った鈴が奪い、その光が王の命をつないでいたのです。
*
「ルネは……?」
リュシーは、いちばん奥の硝子球を指しました。
その下には小さな寝台があり、胸元に白い花を刺繍した産着が畳まれていました。
「ルネは、鈴で声を取られたあと、すぐに死んだの」
セシリアの膝が崩れました。
娘は六年間、どこかで生きていると思っていました。いつか迎えに行き、抱きしめられると。
けれど、そこに残っていたのは声だけでした。
「……どうして、あの子が」
リュシーは小さな手で、セシリアの頬に触れました。
「ルネは、ずっと覚えてたよ。お母さんが最初に呼んでくれた名前も、抱いてくれた手も」
「あなたは……誰なの?」
少女は微笑みました。
星に閉じ込められた子供たちの声は、長い年月のうちに寄り集まり、ひとりの少女の姿を作ったのだといいます。
それが、リュシーでした。
彼女はルネではありません。
けれど、その胸にはルネの声も生きていました。
「ルネが、ずっと呼んでたの」
少女の瞳から涙がこぼれました。
「お母さん、って」
*
セシリアは娘の産着を抱きしめました。
「ごめんね、ルネ……」
応えるように、硝子球の中で小さな光が揺れました。
リュシーは、ひび割れた鈴を差し出しました。
「これは、ルネの声を閉じ込めた鈴なの。ずっと、ひびが広がっていたんだよ」
「どうして?」
「ルネが、何度もお母さんを呼んだから」
セシリアは震える指で鈴を受け取り、娘の名を呼びました。
「ルネ」
鈴のひびが、わずかに広がりました。
「ルネ……!」
二度目の声とともに、硝子球が震えました。
セシリアは産着を胸に押し当て、六年間言えなかった言葉を絞り出しました。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
その瞬間、鈴が砕けました。
硝子球から、小さな泣き声があふれました。
生まれた日の、たった一度の声でした。
セシリアはようやく思い出しました。
あの声が、どれほど小さく、必死に、この世界へ生まれてきたことを知らせていたのかを。
*
ルネの声が解き放たれると、硝子球の光が隣へ伝わりました。
ひとつ、またひとつ。
母親に忘れられた声たちが響き合い、天井の鈴に細い亀裂が走りました。
やがて、無数の鈴が静かに砕けました。
硝子球の星の光は王へ送られる流れを失い、地下から夜空へ戻っていきました。
消えていた星々が空へ帰るにつれ、王の延命も途絶えました。
王がそのあとどれほど生きたのか、セシリアは知りません。
けれど、星の光で命を延ばすことは、もうできませんでした。
その夜、王都の産室では初めて、銀の鈴が鳴りませんでした。
赤ん坊が泣きました。
母親たちは恐る恐るその声を聞き、やがて小さな体を抱き寄せました。
泣き声は、星を消しませんでした。
それはただ、生まれた命の声でした。
*
夜明け前、セシリアは工房へ戻りました。
リュシーの姿は、もうありませんでした。
窓辺には銀の鈴の欠片と、小さな白い花が一輪置かれていました。
セシリアは花を手に取り、空を見上げました。
明け方の空に、星がひとつ残っています。
ルネが戻ってきたわけではありません。
六年間を取り戻せたわけでもありません。
それでも、娘の声だけは、もう忘れません。
セシリアは窓を開けました。
冷たい風が頬を撫で、遠くの産室から赤ん坊の泣き声が届きました。
その声に耳を澄ませながら、彼女は囁きました。
「……ルネ。あなたも、こんなふうに泣いていたのね」
窓辺の白い花が、朝の風に静かに揺れていました。




