神さまの骨を拾いました
神さまの骨を拾いました。
白くて、小さな骨でした。
だから最初、ルカシュはそれを鳥の骨だと思ったのです。
*
十二歳の夏。
百日も雨が降らず、村の井戸は底を見せていました。麦畑は黄色く枯れ、川だった場所には日に焼かれた石ばかりが転がっています。
ルカシュが骨を見つけたのは、その干上がった川底でした。
掌に収まるほどの白い欠片。
拾い上げると真夏だというのに冷たく、表面には金色の文字が刻まれていました。
《願いをひとつ》
「……神さま?」
冗談のつもりでした。
その夜までは。
隣の寝台で、六歳の妹ミレナが高い熱に浮かされていました。薬を買う金はなく、医者には朝まで持たないかもしれないと言われていました。
ルカシュは骨を握りました。
「妹を助けてください」
怖くなって、慌てて付け足します。
「僕の寿命をあげてもいいから」
骨が淡く光りました。
翌朝ミレナの熱は、嘘のように下がっていました。
代わりにルカシュの黒髪には、一房だけ雪のような白が混じっていました。
*
二度目の奇跡は、雨でした。
畑が死にかけていました。
「雨を降らせて」
ルカシュは骨へ願いました。
「僕の何かをあげるから」
その夕方に百日ぶりの雨が降りました。
村中の人々が外へ飛び出しました。大人まで子供のように笑い、泥だらけになって空へ手を伸ばしました。
ルカシュも笑いました。
けれど家へ戻ると、母が床に倒れていました。
命は助かりました。
ただ、二度と歩けなくなりました。
「どうして」
ルカシュは骨を握りしめました。
「僕から取るんじゃなかったのか!」
骨は答えませんでした。
*
それから、ルカシュは骨を使わなくなりました。
けれど奇跡の噂は広がりました。
冬の夜、一人の男が訪ねてきました。
妻が難産で死にかけているのだと言います。
「頼む。妻を助けてくれ」
「駄目です」
「俺の命をやる!」
男は泣きながら叫びました。
「俺はどうなってもいい!」
その瞬間、箱の中で骨が光りました。
翌朝、妻は助かりました。
男も生きていました。
けれど、生まれた赤ん坊は声を持っていませんでした。
泣こうとしても、笑おうとしても、小さな口からは何ひとつ音が出ませんでした。
*
「違う」
十六歳になったルカシュは、村の古い礼拝堂で呟きました。
四年間、奇跡について調べ続けていました。
祭壇の下から見つけた古い石板には、こう刻まれていました。
《神は、願う者から代価を取らない》
《その者が、最も失いたくないものから取る》
ルカシュの指が震えました。
妹を救った夜に奪われたのは、自分の命の一部だった。
なぜなら当時、ミレナがこの世界でいちばん愛していたのが兄だったから。
雨を願った日に代償を受けたのは母だった。
あのころのルカシュが、この世で最も失うことを恐れていた人。
そして妻を救った男。
彼が何度も語っていた。
――もうすぐ子供が生まれるんだ。 ――俺の人生で、いちばん大切な子だ。
「神さまは……」
ルカシュは吐き気を覚えました。
自己犠牲など、最初から求めていなかった。
人間が「自分ならどうなってもいい」と願った瞬間、その人が本当に失いたくないものを奪う。
それが奇跡の値段だったのです。
*
その冬、ミレナの病が再発しました。
今度は医者も首を振りました。
「お兄ちゃん」
寝台の上で、十二歳になった妹が笑いました。
「骨、使わないでね」
ルカシュは答えられませんでした。
「私、知ってるよ」
「何を」
「お母さんの脚も、お兄ちゃんの白い髪も」
ミレナは細い指で、兄の白い一房に触れました。
「私たちのせいなんでしょう?」
「違う」
「じゃあ、誰のせい?」
答えられませんでした。
夜更けにミレナの呼吸が浅くなりました。
「怖い」
妹が泣きました。
「死にたくないよ、お兄ちゃん」
その一言で、ルカシュの決意は簡単に壊れました。
骨を取り出します。
「助けて」
白い骨が輝きました。
《願いを》
「妹を助けてくれ」
《代価を取ろう》
「僕を持っていけ!」
沈黙。ルカシュは息を止めました。
《この娘が最も失いたくないものを》
骨の光が、ルカシュを照らしました。
「……お兄ちゃん?」
寝台から、小さな声がしました。
「嫌」
ミレナが兄の袖を掴みます。
「お兄ちゃんは、駄目」
骨が歓喜するように輝きました。
《それこそが、代価に値する》
ミレナの背筋が凍りました。
「どうして」
《愛とは、自分より大切なものを持つことだろう》
神は、優しい声で答えました。
《ならば、それをもらう》
*
ルカシュは骨を握りました。
「ミレナを助けたい」
《ならば差し出せ》
「死んでほしくない」
《ならば差し出せ》
妹が泣いています。
ルカシュも泣いていました。
「でも」
骨を握る指から、力を抜きました。
「誰かを壊してくれとは、願わない」
ルカシュを失って生き延びたら、妹は壊れてしまうでしょう。
光が揺れました。
《ならば娘は死ぬ》
「……うん」
声が震えました。
本当は嫌でした。
春を見せたい。 大人になった妹を見たい。 誰かを好きになって、喧嘩して、笑って。
全部、見たい。一緒に。
「それでも願うよ」
ルカシュは妹の手を握りました。
「治ってほしい。生きてほしい。明日もいてほしい」
《代価なくして、奇跡はない》
「奇跡じゃなくていい」
ルカシュは泣きながら言いました。
「叶わなくても、願うくらい僕の勝手だ」
ぱきり。
小さな音がしました。
骨に亀裂が走っていました。
*
奇跡は起きませんでした。
春の最初の朝、ミレナは兄の手を握ったまま、静かに息を引き取りました。
最後の言葉は、「お兄ちゃんがいてよかった」でした。
*
ルカシュは砕けた骨を、妹の墓のそばへ埋めました。
翌年そこから一本の木が生えました。
春になると白い花を咲かせます。
病を治すことも、死者を蘇らせることもありません。
ただ、誰かが木の下で泣くと枝が静かに垂れ、肩へ触れるのだそうです。
人々は言いました。
神さまが優しくなったのだ、と。
けれど老人になったルカシュは、そのたび笑いました。
「違うよ」
白い花びらが風に舞います。
「神さまは、もういない」
掌へ落ちた一枚を、ルカシュは握りませんでした。
願いもしませんでした。
ただ風へ返しました。
奇跡がなくても。 救えなくても。 失ってしまっても。
誰かを愛することは、誰かを差し出すことではない。
叶わないと知りながら、それでも「生きていてほしい」と願うことだってできる。
神さまの骨を拾った少年が、長い人生の果てに信じたのは、奇跡よりずっと役に立たなくて、けれど奇跡なんかよりずっと人間らしい、そんな願いでした。




