月曜日だけ存在する少女
月曜日にだけ、いる少女がいる。
火曜日になると誰も彼女を覚えていない。
*
シオンがそのことに気づいたのは、十二歳の春だった。
月曜日の朝。
いつものように学校へ行くと、窓際のいちばん後ろに知らない少女が座っていた。
淡い金色の髪を肩まで伸ばし、青灰色の瞳で窓の外を眺めている。
春だというのに、その子の周りだけ冬の朝のように空気が澄んで見えた。
「転校生?」
休み時間に尋ねると、少女は振り返った。
「違うよ」
「じゃあ、誰?」
少し考えてから、彼女は笑った。
「ユノア」
それが、二人の最初の会話だった。
ユノアは不思議な少女だった。
先生は彼女を当たり前のように指名する。
給食もある。
出席簿にも名前がある。
けれど翌日。
「ユノアって今日休み?」
シオンが尋ねると、友人たちは首を傾げた。
「誰?」
先生に聞いても同じだった。
出席簿を開く。
昨日まであったはずの名前がない。
窓際の席には、誰も座っていなかった。
そして翌週の月曜日。
「おはよう、シオン」
ユノアは同じ席にいた。
まるで火曜日から日曜日までが存在しなかったように。
*
それからシオンは、月曜日が好きになりました。
七日間のうち、たった一日。
ユノアと話せる日。
二人は学校の帰りに寄り道をしました。
川沿いを歩き、古い橋から魚を眺め、パン屋でひとつだけ菓子パンを買って半分にしました。
「火曜日って、どんな感じ?」
ある日、ユノアが尋ねました。
「どんなって?」
「私、知らないから」
笑っていました。
けれどその横顔は少しだけ寂しそうでした。
「月曜日が終わるとどうなるの?」
「眠るの」
「それで?」
「目を開けたら、また月曜日」
シオンは言葉を失いました。
彼にとっては七日。
ユノアにとっては一晩。
十三歳。
十四歳。
十五歳。
シオンの背は伸び、声は低くなりました。
けれどユノアは十二歳のままでした。
「また大きくなったね」
十六歳になったシオンを見て、ユノアは笑いました。
「ずるいなあ」
その言葉に、シオンは笑えませんでした。
*
シオンは調べ始めました。
町の図書館。
古い新聞。
学校の記録。
そして時計塔の地下に保管されていた、百年以上前の町史を見つけました。
そこに奇妙な記述がありました。
《月曜日の子供について》
百二十年前。
この町では原因不明の病が流行り、月曜日に生まれた子供ばかりが亡くなった。
町の人々は神に祈りました。
――この子たちに、もう一日だけください。
願いは叶いました。
月曜日だけ、死んだ子供たちは世界へ戻ってきたのです。
けれど記録の最後には、こうありました。
《月曜日の子は、七日を生きる者に覚えられてはならない》
《覚えている者がいるかぎり、彼らは月曜日から出られない》
シオンの指が止まりました。
*
次の月曜日。
「ユノア」
「なに?」
「君、死んでるんだ」
ユノアは驚きませんでした。
ただ、困ったように笑いました。
「知っちゃったんだ」
シオンの胸が痛みました。
「いつから知ってた?」
「最初から」
「どうして言わなかったんだよ」
「言ったら、悲しむでしょう?」
風が吹きました。
桜の花びらが彼女の身体をすり抜けました。
昔はそんなことはありませんでした。
「最近ね」
ユノアは自分の掌を見ました。
「月曜日も短くなってるの」
朝から夕方まであった一日が、少しずつ削れている。
夕暮れまで。
昼まで。
やがて朝だけ。
「どうして?」
ユノアはシオンを見ました。
「あなたが覚えてるから」
シオンは息を止めました。
「私ね、本当ならとっくに消えてたの」
誰も覚えていなければ、月曜日の終わりとともに眠り、いつか世界から完全にほどけていく。
けれどシオンだけが毎週、彼女を待った。
名前を呼んだ。
存在を確かめた。
だからユノアは何度も月曜日へ引き戻されました。
「じゃあ……僕が忘れれば」
「うん」
ユノアは微笑みました。
「やっと火曜日へ行ける」
*
それからシオンは、忘れる練習をしました。
写真はありません。
手紙もありません。
火曜日になれば、ユノアが書いた文字さえ消えてしまうからです。
残っているのはシオンの記憶だけ。
それがいちばん捨てられませんでした。
最後の月曜日。
シオンは二十二歳になっていました。
ユノアは十二歳のままです。
二人は初めて会った教室にいました。
「ずいぶん、おじさんになったね」
「二十二で言うな」
ユノアが笑いました。
昔と同じ笑い方でした。
窓から朝日が差しています。
けれど彼女の輪郭は、もう光より薄くなっていました。
「怖い?」
シオンが尋ねました。
「少し」
初めてユノアが本当のことを言いました。
「火曜日って、どんなところかな」
「普通だよ」
「朝は来る?」
「来る」
「パン屋さんは開いてる?」
「開いてるよ」
「川もある?」
「ある」
ユノアは安心したように笑いました。
「そっか」
そして少しだけ泣きました。
「行ってみたかったなあ」
シオンは唇を噛みました。
忘れたくありませんでした。
十二歳の春に半分にした菓子パン。
橋の上。
笑った顔。
月曜日を待ち続けた十年間全部が、自分の人生でした。
「シオン」
ユノアが呼びました。
「忘れて」
涙が落ちました。
「無理だよ」
「お願い」
「君がいなくなる」
「違うよ」
少女は笑いました。
「やっと、いなくなれるの」
*
火曜日の朝、シオンは教室で目を覚ましました。
なぜここで眠っていたのか分かりません。
窓際のいちばん後ろ、空の机。
胸の奥が、ひどく痛みました。
何かを忘れている。
とても大切な。
けれど、思い出せません。
窓の外では春の雨が降っていました。
机の上に、小さな水滴がひとつ落ちています。
涙のようでした。
シオンは理由も分からないまま、それを指で拭いました。
*
それから長い年月が過ぎました。
シオンは老人になりました。
月曜日が来るたび、なぜか少しだけ嬉しくなりました。
火曜日になると、なぜか少しだけ寂しくなりました。
理由は最後まで分かりませんでした。
そして八十三歳の春、病院の寝台で、シオンは静かに息を引き取りました。
翌朝目を開けると、知らない教室にいました。
窓の外には春の光。
そして窓際のいちばん後ろに、少女が座っていました。
淡い金色の髪。
青灰色の瞳。
少女は振り返りました。
「遅かったね」
シオンは彼女を知りません。
名前も。
声も。
一緒に歩いた川辺も。
何ひとつ覚えていません。
それなのに涙が出ました。
少女も泣いていました。
「……誰?」
尋ねると、少女は泣きながら笑いました。
「誰だろうね」
廊下の時計が鳴りました。
十二回。
そして、もう一度。
十三回目の鐘が鳴った瞬間、黒板の日付が静かに変わりました。
月曜日から火曜日へ。
少女は目を見開きました。
初めて見る曜日でした。
窓の外では、火曜日の朝日が昇っています。
「ねえ」
少女が震える声で尋ねました。
「火曜日って、こんなに綺麗なの?」
シオンには、なぜその言葉がこんなにも懐かしいのか分かりませんでした。
それでも笑いました。
「たぶんね」
そして二人は教室を出ました。
少女は何度も振り返りました。
自分を百年以上閉じ込めていた月曜日を。
けれどもう戻りません。
名前も。
約束も。
思い出も。
全部そこへ置いていきました。
廊下の向こうには、二人とも知らない朝がありました。
少女は初めて火曜日を歩きます。
隣には、自分を忘れてくれた人。
忘れることでようやく、一緒に歩けるようになった人。
少女はその人の袖を、そっと掴みました。
理由など、もう覚えていません。
ただ、ずっと昔からそうしたかったような気がしたのです。
窓の外では、昨日にはなかった風が吹いていました。
火曜日の風でした。




