あなたを二度、埋めました
夫が帰ってきたのは、埋葬から三年目の春だった。
朝から雨が降っていた。
庭の白薔薇は首を垂れ、窓硝子を雫が伝っていた。私は暖炉の前で刺繍をしていた。
扉が三度、叩かれた。
開けると、濡れた黒髪の男が立っていた。灰色の瞳。左眉の小さな傷。
私は息を忘れた。
「ただいま、エレナ」
刺繍をしているときだけ、夫は私をそう呼んだ。
理由を尋ねたことがある。
刺繍をしている君は、エレナという顔をしている。
意味は、最後までわからなかった。
私の名はエリーゼだった。
「……レオン?」
男は微笑んだ。笑い方まで夫と同じだった。
レオンは三年前に死んだ。二十七歳だった。少なくとも、私はそう信じていた。葬儀をし、棺に納め、土をかけた。だから、帰ってくるはずがない。
それでも私は、男を家へ入れた。
「珈琲?」
「砂糖二つ」
「変わっていないのね」
「君も」
男は部屋を見回し、暖炉の上の小さな木彫りの鳥に目を留めた。
「まだ置いているんだ」
「覚えているの?」
「新婚旅行で買った」
正しかった。
「店主には鴨だと言われた」
「あなたは白鳥だと言い張った」
「今見ても白鳥だ」
私は笑った。レオンも笑った。
胸の奥で、三年間止まっていた時計が動き出した。
それから男は、この家で暮らし始めた。
不思議なほど、すべてを知っていた。私が眠るとき左を向くこと。冬でも窓を少し開けること。蜂蜜が嫌いなこと。喧嘩をすると、食器を必要以上に丁寧に洗うこと。
そして、レオンしか知らないはずのことまで。
「覚えている?」
ある夜、彼が尋ねた。
「結婚した日の夜のこと?」
「何を?」
「君は逃げようとした」
私は吹き出した。
「緊張していただけよ」
「窓から?」
「一階だったもの」
誰にも話したことはなかった。
やはり、この人はレオンなのだ。
けれど、彼が昔から使っていた言葉や仕草の中に、ときどき私の記憶にないものが混じった。私が知らないはずの場所を懐かしみ、私が聞いたことのない出来事を、二人の思い出のように語る。
それでも私は、考えないことにした。
理由など、もうどうでもよかった。神が返してくれたのかもしれない。死が何かの間違いだったのかもしれない。世界が私を哀れんだのかもしれない。
村人には、遠縁の親戚だと説明した。死人が帰ってきたなどと言えば、教会が黙ってはいない。
「名前は?」
「ルカでいい」
「適当ね」
「君が呼んでくれるなら、何でもいいよ」
そう言って、彼は笑った。
その名を聞いたとき、胸の奥で何かが引っかかった。けれど、私はすぐに忘れた。
幸せだった。恐ろしいほどに。
ただときどき妙なことを言った。
庭仕事の最中、私が土を掘っていると、背後から声がした。
「もう少し深いほうがいい」
「薔薇よ?」
「知っている」
「深すぎたら、根が腐るわ」
彼は穴を見つめた。
「そうだったね」
そして笑った。
「前は浅すぎたから」
私は手を止めた。
「前?」
「何でもない」
別の日、寝台で私を抱きしめながら、彼は囁いた。
「君は力がないから」
「失礼ね」
「重いものを運ぶときは、人を呼んだほうがいい」
「何の話?」
「さあ」
レオンは笑った。
※
秋になった。
二人で森を歩いた。三年前と同じ道だった。赤く染まった葉が、靴の下で乾いた音を立てた。
古い楡の木の前で、レオンが立ち止まった。
「ここ、覚えている?」
私は答えなかった。
「エリーゼ」
帰ってきてから、彼が初めて本当の名で私を呼んだ。
「何?」
「どうして泣いているの?」
頬に触れられ、自分が泣いていることに気づいた。
「風が冷たいから」
「そう」
レオンは、それ以上聞かなかった。
その夜、私は夢を見た。
三年前の夜だった。
レオンが眠っている。私は寝台の横に立っている。手には燭台。月明かり。白いシーツ。夫の寝息。
そして、振り下ろした。
一度。
二度。
三度。
夢の中の私は泣いていた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あなたが悪いの。
何が悪かったのか、もう覚えていない。浮気だった気もする。暴力だった気もする。私を捨てようとしたのかもしれない。
あるいは、何もなかったのかもしれない。
ただ、あの夜、私は夫を殺した。
葬儀などしていない。棺にも納めていない。
森まで引きずり、楡の木の下に埋めた。
浅い穴に、一人で。
目を覚ますと、隣にレオンがいた。こちらを見ていた。
「思い出した?」
私は声を出せなかった。
彼は優しく微笑んだ。
「おはよう、エレナ」
その呼び名が、今度は別の意味で胸に刺さった。
※
翌朝、私は森へ向かった。レオンもついてきた。
楡の木の下。三年前、夫を埋めた場所。
震える手で土を掘った。レオンは何も言わず、隣で手伝った。彼は土の硬さを知っているように、迷いなく深さを測った。
やがて、指先が何かに触れた。
骨だった。
頭蓋骨。肋骨。左手。薬指には結婚指輪が残っていた。
間違いない。
レオンだった。
私は隣を見た。同じ顔をした男が立っている。
「あなたは……誰?」
男は少し考えた。
「レオンだよ」
「違う」
「どうして?」
「レオンはここにいる」
私は骨を指差した。
男は寂しそうに笑った。
「じゃあ、僕は誰なんだろうね」
その声に、かつてレオンが口癖のように言っていた言葉が重なった。
君が呼んでくれるなら、何でもいいよ。
風が吹いた。楡の葉が落ちた。
私は逃げなかった。
三年間、ずっと後悔していたから。もう一度だけ会いたかった。謝りたかった。
それが本人でなくても。
私は彼を抱きしめた。
「ごめんなさい」
男は私の髪を撫でた。
「知っている」
「許してくれる?」
「もちろん」
「本当に?」
「愛しているから」
その言葉を聞いて、私は泣いた。
その日の夕方、私は男を殺した。
眠っているところを、以前と同じように。
一度。
二度。
三度。
今度は泣かなかった。
森へ運び、楡の木の下に穴を掘った。三年前より深く。
最初のレオンの骨の隣に、二人目を寝かせた。
土をかける前、男の目が開いた。
私は息を呑んだ。
けれど、彼は起き上がらなかった。ただ微笑んだ。
「今度は、ちゃんと深く埋めてね」
私は震えながら頷いた。
「ええ」
そして土をかけた。
「前は浅すぎたものね」
最後まで、彼は笑っていた。
*
それから二十年後。
楡の木が倒れた。
墓地の管理人が根を処理していると、人骨が見つかった。
警察が調べた。遺骨は一人分だった。二十年以上前に死亡した成人男性。左手の薬指には、古い結婚指輪。
それだけだった。
骨は一人分だけだった。
※
古い村の記録によれば、エリーゼという女性には夫がいた。名はレオン。
二人は仲の良い夫婦として知られていた。
レオンは失踪していない。殺された記録もない。死亡届もない。
二十年前、エリーゼが病気で亡くなるまで、夫レオンは彼女とこの家で暮らしていたことになっていた。
管理人は最後に、結婚指輪の内側を確認した。
小さな文字が彫られていた。
《エリーゼへ》
その下に、もっと新しい傷で、別の言葉が刻まれていた。
《三度目は、もっと深く。》




