いちばんやさしい子
その国では、十二歳になると、子供をひとり森へ送ることになっていた。
それは、昔から続く慣習だった。
春の終わり、白い花が森いっぱいに咲くころ、国中の十二歳の子供たちは王宮の広場へ集められる。
そこで王さまが、ひとりひとりに尋ねる。
「あなたは、やさしい子ですか?」
子供たちは胸を張って答える。
「はい」
すると王さまは微笑む。
「それは素晴らしい」
そして、その中から最もやさしい子をひとり選ぶ。
選ばれた子は《花の子》と呼ばれ、白い服を着せられ、頭には花冠を載せられる。
お菓子を好きなだけ食べてもいい。
学校にも行かなくていい。
王宮で三日間を過ごし、ふかふかの寝台で眠る。
国中の人々から言ってもらえる。
「ありがとう」
そして四日目の朝、森へ送られる。
誰もその子が戻ってくるとは言わなかった。
けれど、それを悲しいことだと思う者もいなかった。
森には神さまがいるからだ。
神さまは一年にひとり、最もやさしい子を求める。
その代わりに、国を守ってくれる。
麦を実らせる。
雨を降らせる。
病気を遠ざける。
赤ん坊を健やかに生まれさせる。
だから《花の子》になることは、この国で最も名誉なことだった。
リゼは、十一歳のころから《花の子》になりたいと思っていた。
母が病気だったから。
母の肺には悪いものが住みついていて、冬になるたびに血を吐いた。
けれど薬は高かった。
ある晩、リゼは母に尋ねた。
「私が《花の子》になったら、お母さんの病気も治る?」
母は困ったように笑った。
「そんなこと、考えなくていいのよ」
「でも、神さまが病気を遠ざけてくれるんでしょう?」
「そうね」
「じゃあ、治るね」
母は答えなかった。
ただ、リゼを強く抱きしめた。
だからリゼは、それを「はい」という意味だと思った。
※
春になり、十二歳になったリゼは王宮へ向かった。
王さまが尋ねる。
「困っている人がいたら、どうしますか?」
「助けます」
「自分のパンがひとつしかなくても?」
「半分あげます」
「半分では足りないと言われたら?」
リゼは少し考えた。
「全部あげます」
王さまは微笑んだ。
その年《花の子》に選ばれたのはリゼだった。
母は泣いた。
リゼは嬉しくなった。
母が、こんなに喜んでいる。
「お母さん」
リゼは母に抱きついた。
「私、いちばんやさしい子だったよ」
母は声を出さずに泣いた。
何度もリゼを抱きしめながら言った。
「ごめんね」
リゼには、その意味が分からなかった。
「ありがとう、じゃないの?」
母の身体が震えた。
しばらくして、母は言った。
「……ありがとう」
だからリゼは笑った。
※
王宮での三日間は夢のようだった。
苺のケーキ。
蜂蜜のお菓子。
温かいミルク。
薔薇の浮かんだ風呂。
ふかふかの寝台。
町を歩けば、誰もが花をくれた。
「ありがとう、リゼ」
「あなたのおかげよ」
「立派な子ね」
リゼは少し照れた。
こんなに褒められたのは初めてだった。
けれど、夜になると母の咳が耳の奥によみがえった。
血のついた布を隠そうとする母の手。
苦しいはずなのに笑おうとする顔。
「大丈夫よ」と言いながら、リゼの髪を撫でてくれた指。
王宮の温かな寝台に横たわっていても、母は今ごろひとりで眠っているのだろうか、と考えてしまう。
自分が森へ行けば、母の病気は治る。
そう信じていた。
けれど、もし治らなかったら。
もし、神さまが本当はいなかったら。
その考えを、リゼはすぐに追い払った。
国中の人々が自分をやさしい子だと言ってくれた。
母も、きっと自分を誇りに思っている。
ここで怖いと言えばみんなを失望させてしまう。
母のために選ばれたのに帰りたいと言えば、母まで悲しませてしまう。
胸の奥にある不安をリゼは口にできなかった。
※
三日目の夜、王さまがやってきた。
「怖くありませんか?」
リゼはすぐには答えられなかった。
怖い。
帰りたい。
お母さんに会いたい。
どれも本当だった。
けれど、王さまの後ろに、昼間に笑顔で花をくれた人々の顔が浮かんだ。
「少しだけ」
ようやく、リゼは答えた。
「森では神さまに会えます」
「神さまはやさしい?」
王さまは、少し黙った。
「きっと」
「じゃあ、大丈夫」
リゼは笑った。
笑わなければならないと思った。
「私、お願いするんです。お母さんの病気を治してくださいって」
王さまは何も言わなかった。
その沈黙が、なぜか母の「ごめんね」と重なった。
リゼは聞かなかったことにした。
※
翌朝、国中の鐘が鳴った。
リゼは白い服を着て、森へ入った。
みんなが手を振った。
母もいた。
泣きながら手を振っていた。
リゼは大きく手を振り返した。
「行ってきます!」
誰も言わなかった。
「行ってらっしゃい」
※
森の奥には、小さな家があった。
神さまはいなかった。
代わりに、おばあさんがひとりいた。
「おや」
おばあさんはリゼを見ると、悲しそうに笑った。
「今年も来たのかい」
「神さまは?」
「いないよ」
「お出かけ?」
「最初からいない」
リゼは首を傾げた。
おばあさんは、家の裏へリゼを連れていった。
そこには墓が並んでいた。
小さな墓ばかりだった。いくつも、いくつも。
「これ、なに?」
「《花の子》たちさ」
リゼは、しばらく墓を見つめていた。
「神さまのところに行ったんじゃないの?」
「行かない」
「じゃあ、どうして?」
おばあさんは答えなかった。
だからリゼは、もう一度尋ねた。
「どうして子供を森へ送るの?」
おばあさんは長い間、黙っていた。
やがて、口を開いた。
「昔、大飢饉があった」
食べ物がなくなった。
老人も、大人も、子供も死んだ。
そこで村人たちは決めた。
毎年子供をひとり減らそう、と。
ほんの少しでも食料を節約するために。
けれど、親たちは耐えられなかった。
自分たちが子供を捨てたとは、思いたくなかった。
だから神さまを作った。
森を作った。
《花の子》という美しい名前を作った。
やがて飢饉は終わった。
麦は余るほど実るようになった。
それでも、習慣だけが残った。
誰もやめようとは言わなかった。
なぜなら《花の子》をやめてしまえばこれまで森へ送った子供たちが、ただ無意味に捨てられたことになってしまうから。
リゼは墓を見つめた。
母の顔が浮かんだ。
血を吐きながら、それでも笑っていた顔。
自分を抱きしめた腕。
「ごめんね」と繰り返した声。
帰れば、母のそばにいられる。
神さまがいないのなら森に残る理由などない。
けれど、王宮で聞いた「ありがとう」という声もよみがえった。
みんなはリゼが国を守ると信じている。
自分が帰れば、母は助かるかもしれない。
でも、国中の人々はどう思うだろう。
いちばんやさしい子に選ばれたのに、逃げた子だと思われるだろうか。
母のために帰ることは、やさしくないことなのだろうか。
母を助けたい気持ちと、みんなの期待に応えたい気持ちが、胸の中で引っ張り合った。
どちらを選んでも、誰かを裏切るような気がした。
リゼは墓を見た。
知らない子供たち。
みんな自分と同じ十二歳だった。
怖かっただろうか。
泣いただろうか。
お母さんに会いたかっただろうか。
もし自分だけ帰ったら、この子たちは本当に置き去りにされてしまう。
そう考えると、足が動かなかった。
母に会いたい。
帰りたい。
それでも、ここに残らなければならない。
母への思いと国中の期待。そのどちらも捨てられないまま、リゼの中でひとつの決意が形になった。
リゼは胸元の花を一本抜いた。
いちばん手前の墓に置いた。
そして笑った。
「じゃあ、私もここにいる」
おばあさんが顔を上げた。
「帰っていいんだよ」
「でも私、いちばんやさしい子だから」
「そんなものにならなくていい!」
初めて、おばあさんが怒鳴った。
鳥たちが一斉に飛び立った。
リゼは驚いた。
それから、困ったように笑った。
「でもね」
母の顔を思い出した。
国中の人々が言ってくれた。
ありがとう。
立派だね。
あなたのおかげ。
「今帰ったら、みんなに嘘つきだと思われちゃう」
本当は、母のところへ帰りたかった。
母の手を握り、もう一度だけ抱きしめてほしかった。
けれど、母が自分を送り出したときの泣き顔を思うと帰ることはできなかった。
母が望んでいたのが自分の命なのか、国の期待に応えることなのか、リゼには最後まで分からなかった。
ただ、母の「ごめんね」を無駄にしたくなかった。
だからリゼは森に残ることを選んだ。
その年も、麦はよく実った。
雨も降った。
赤ん坊もたくさん生まれた。
リゼの母親は、冬に亡くなった。
病気は治らなかった。
※
翌年、また十二歳の子供たちが王宮へ集められた。
王さまは、ひとりずつ尋ねた。
「あなたは、やさしい子ですか?」
森では、リゼが墓の隣に座っていた。
もう立つ力はなかった。
おばあさんが手を握っていた。
遠くで鐘が鳴った。
リゼは嬉しそうに目を開けた。
「あ」
かすかな声で言った。
「今年の子が来る」
白い花が、一斉に咲いていた。
とても、とても美しい春だった。
リゼの息が静かに消えるころ、森の入口には、新しい《花の子》が白い服を着て立っている。




