第七章 常識
セレスティアは三日後、本当に来た。
一人だった。
「護衛は?」
レオンが聞く。
「いらないわ」
「魔術師なのに?」
「喧嘩を売っている?」
「いや」
王都北側の訓練場。
今では毎回五十人近い物理職が集まる。
剣士。
槍士。
斧使い。
重戦士。
斥候。
以前は互いに別の職業だと思っていた人間たちが、同じ戦い方を学んでいる。
セレスティアが来ると空気が変わった。
視線。
ざわめき。
明らかな敵意。
「なんで魔術師がいる」
誰かが言った。
ロルフが答える。
「見学だってよ」
「俺たちを笑いに来たのか?」
「さあな」
セレスティアは聞こえているはずだった。
何も言わない。
レオンは手を叩いた。
「始めるよ」
訓練。
今日は攻撃速度と硬直時間。
説明する。
実演する。
セレスティアはずっと見ていた。
一時間後。
「質問していい?」
「どうぞ」
「あなたはなぜ、攻撃魔法を使わないことを前提に戦術を組むの?」
レオンは少し考える。
「なくても勝てるから」
「あればもっと楽でしょう」
「今はね」
「今は?」
また失言した。
レオンは誤魔化す。
「レベルが上がれば物理職の方が伸びる」
「根拠は?」
「計算」
セレスティアの目が変わる。
「見せて」
面倒なことになった。
その日の午後。
四人は魔術院にいた。
レオンには居心地が悪かった。
白い石造りの建物。
壁には魔法陣。
歩いているのはほぼ全員魔法職。
物理職の四人は明らかに浮いている。
「見られてる」
エリスが言う。
「珍しいんだろ」
ガレスが答える。
「動物園みたい」
ロルフが笑う。
「俺たちが動物?」
「たぶん」
案内された部屋には巨大な黒板があった。
セレスティアがチョークを渡す。
「説明して」
「本当に?」
「あなたが言ったのでしょう。計算だと」
レオンは仕方なく書く。
基礎攻撃力。
筋力補正。
武器補正。
攻撃速度。
クリティカル。
敵防御。
ゲーム時代ならWikiに全部載っていた。
正確な式を完全に覚えているわけではない。
だが考え方は分かる。
「魔法は一発が強い」
レオンは書く。
「でも詠唱時間がある。MPも使う」
「当然ね」
「物理攻撃は弱い。でも速くなる」
数値を書く。
一秒。
二秒。
十秒。
一分。
「一定時間で比べると逆転する」
セレスティアが式を見る。
「理論上は」
「実際にも」
「装備が必要でしょう」
「必要」
「その装備を揃える費用は?」
「高い」
「魔法職より?」
「最初は」
「なら、現在の評価が間違いとは言えない」
レオンは止まった。
「え?」
「低レベル、低予算、未熟な戦闘技術」
セレスティアが黒板へ近づく。
「その条件なら魔法職の方が優秀なのでしょう?」
「まあ」
「なら現在の社会が物理職を低く評価していることには、一定の合理性がある」
ロルフが立ち上がった。
「だから差別していいって?」
「そうは言っていない」
「同じだろ」
「違う」
空気が張る。
ガレスがロルフを止める。
「座れ」
「でもよ」
「座れ」
ロルフは不満そうに座った。
セレスティアは続ける。
「私はあなたたちの待遇について話しているのではない。戦闘能力の評価について話している」
レオンは少し面白くなった。
ゲーム攻略の話を、ここまで真面目に議論したのは久しぶりだった。
「じゃあ高レベルまで育てれば?」
「あなたの理論が正しいなら評価は変えるべきでしょうね」
「簡単に言うなよ」
ロルフがまた口を挟む。
「俺たちは高レベルになる機会すらない」
セレスティアが黙る。
「弱いから危険な仕事しか回されない。死ぬ。金がないから装備も買えない。だから弱いまま」
ロルフは笑っていなかった。
「それで、お前らは言うんだ。ほら、物理職は弱いって」
部屋が静かになる。
レオンは初めて、その循環を意識した。
ゲームにはなかった。
キャラクターは死んでも復活する。
装備は金を貯めれば買える。
レベル上げを邪魔する社会制度もない。
プレイヤーは好きな職を選べる。
この世界では違う。
「それについては」
セレスティアがゆっくり言う。
「あなたの言う通りかもしれない」
ロルフが意外そうな顔をする。
「認めるのか?」
「間違っているなら認めるわ」
「魔術師なのに?」
セレスティアの眉が動く。
「あなたは魔術師を何だと思っているの?」
「偉そうな奴」
「ロルフ」
ガレスが止める。
だがセレスティアは怒らなかった。
「そう見えるのでしょうね」
少しだけ疲れたように言った。
その日から、セレスティアは時々訓練場へ来るようになった。
最初は遠巻きにされていた。
一週間。
二週間。
彼女は物理職の戦闘データを記録した。
レベル。
装備。
討伐速度。
負傷率。
魔法職との比較。
数字が積み上がる。
そして一か月後。
王立魔術院から正式な報告書が出た。
**高レベル物理職の戦闘能力について、従来評価に重大な誤りが存在する可能性。**
王都中で話題になった。
冒険者ギルドにも変化が起きる。
物理職だけでは受けられなかった依頼の一部が解放された。
報酬体系の見直し。
訓練制度の変更。
装備商人が物理職向け商品を増やす。
レオンたちの訓練場には百人を超える人間が集まるようになった。
「やばくない?」
レオンは人の群れを見た。
「何が?」
ガレスが聞く。
「多すぎ」
「いいことだろ」
「俺、こんなの頼んでない」
「誰も頼んでない」
「じゃあ減らして」
「どうやって?」
分からない。
レオンは人前に立つ。
百人。
無理。
現実世界なら逃げていた。
今も逃げたい。
「レオン!」
誰かが呼ぶ。
「今日は何やるんだ?」
別の声。
「レッドベア教えてくれ!」
「俺、レベル二十五になった!」
「昨日初めて第三等級の依頼成功した!」
声が飛ぶ。
期待。
レオンは一瞬、息苦しくなった。
昔と同じ感覚。
期待される。
失敗できない。
自分が間違ったことを言ったら。
誰かが死んだら。
逃げたい。
「レオン」
隣からエリスが言った。
「顔、死んでる」
「帰りたい」
「帰れば?」
「え?」
「今日はガレスがやればいいじゃん」
ガレスを見る。
「俺?」
「いつも見てるでしょ」
エリスが言う。
「ロルフもいるし」
「俺は?」
ロルフが聞く。
「余計なこと言わない係」
「なんだそれ」
エリスはレオンを見る。
「全部レオンがやらなくてもいいでしょ」
簡単に言った。
レオンは何も言えなかった。
全部自分でやらなければならない。
期待されたら応えなければならない。
できなければ失望される。
そう思っていた。
「……じゃあ今日はガレス」
「急だな」
「俺、見てる」
ガレスは困った顔をした。
それから前へ出た。
「分かった」
訓練が始まる。
ガレスの説明は下手だった。
レオンの説明をそのまま真似している。
時々間違える。
レオンが訂正する。
ロルフが余計なことを言う。
エリスが笑う。
それでも進む。
誰も怒らない。
誰もレオンを責めない。
それどころか。
レオンがいなくても、ちゃんと進んでいる。
「なんだ」
小さく呟いた。
エリスが聞く。
「何?」
「別に」
少しだけ肩の力が抜けた。
その夜。
王都中央区。
セレスティアに呼ばれた。
初めて正式な許可証をもらって入った。
以前、門前払いされた場所。
石畳。
高級店。
魔法職。
三か月前と同じはずなのに、違って見える。
「こっち」
セレスティアが歩く。
「どこ行くの?」
「冒険者評議会」
「何それ」
「あなた、本当に何も知らないのね」
「ゲームにはなかった」
口に出した。
セレスティアが止まる。
「ゲーム?」
「……故郷の遊び」
「そう」
危なかった。
評議会の建物。
会議室。
十人ほどが座っていた。
ほとんど魔法職。
冒険者ギルドの幹部。
魔術院。
王国軍。
レオンは嫌な予感しかしない。
「レオン殿」
年配の男が言った。
「あなた方の戦闘法について話を聞きたい」
「セレスティアから聞いてない?」
「聞いている」
「じゃあ帰っていい?」
セレスティアが睨む。
駄目らしい。
質問が続いた。
物理職の育成。
装備。
戦術。
高レベルでの能力。
そして。
「物理職のみで、北部迷宮を攻略できると思うか?」
レオンは止まった。
北部迷宮。
知っている。
レベル四十帯。
ゲーム初期には、魔術師を最低三人入れることが常識だった。
後年。
物理パーティーなら、半分以下の時間で周回できた。
「できる」
答えた。
会議室がざわめく。
「確実に?」
「レベルと装備が揃えば」
「魔術師なしで?」
「いない方が速い」
今度はもっと大きくざわめいた。
セレスティアがレオンを見る。
「本当に?」
「本当」
「証明できる?」
レオンは考えた。
ガレス。
ロルフ。
エリス。
今のレベルなら。
あと少し。
「できる」
言ってしまった。
会議が終わる。
外へ出る。
セレスティアが隣を歩く。
「大変なことになったわね」
「何が?」
「北部迷宮」
「行けばいいだけだろ」
「そういう意味じゃない」
レオンは彼女を見る。
「北部迷宮は、王国が魔法職の優位性を示す象徴でもあるの」
「知らない」
「でしょうね」
「ダンジョンじゃん」
セレスティアは少し笑った。
「あなたにとってはね」
その意味を、レオンはまだ理解していなかった。
北部迷宮を物理職だけで攻略する。
レオンにとっては、ただの攻略だった。
だが、この世界にとっては違う。
長い間、誰も疑わなかった常識を。
物理職は弱いという常識を。
目に見える形で壊すことになる。
そして常識というものは。
壊された側が、必ずしも喜ぶとは限らない。




