第四章 お前たちは弱くない
「下がる!」
レオンが叫んだ。
ガレスが反応する。
グレイウルフが一歩後退。
直後、跳んだ。
ガレスは盾で受けなかった。
横へ動く。
狼の牙が空を切る。
「今!」
ガレスの剣が振り下ろされた。
一撃。
二撃。
三撃。
「離れろ!」
ガレスが下がる。
狼が振り向く。
「もう一回!」
数十秒後。
グレイウルフが倒れた。
ガレスは動かなかった。
剣を構えたまま、死体を見ている。
「終わり」
レオンが言った。
「……終わり?」
「死んでる」
ガレスはゆっくり剣を下ろした。
「俺、一人で倒したのか」
「俺、何もしてないだろ」
「いや」
ガレスは狼を見る。
「初めてだ」
「何が?」
「一人で魔物を倒した」
レオンは答えられなかった。
ガレスは二十八歳。
冒険者として何年活動しているのかは知らない。
その男がレベル六の雑魚を一人で倒しただけで、こんな顔をする。
ゲームでは考えられない。
「もう一匹やる?」
「ああ」
二匹目。
失敗した。
ガレスは反射的に盾を出し、狼の攻撃を受けた。
「受けるな!」
「重戦士に無茶言うな!」
「見てから避けられる!」
「お前みたいに動けるか!」
「動ける!」
三匹目。
飛びかかりを避けた。
攻撃二回。
三回目を欲張らず離脱。
「今の」
「分かった」
四匹目。
ほぼ完璧。
五匹目。
レオンは指示を出さなかった。
ガレスだけで倒した。
「できるじゃん」
レオンが言う。
ガレスは返事をしなかった。
また死体を見ている。
「どうした?」
「いや」
ガレスが自分の手を見る。
「なんだったんだろうなって」
「何が?」
「今まで」
レオンには、その意味がすぐには分からなかった。
ガレスは地面に座った。
「俺が初めて冒険者になったとき、教官に言われた」
水筒を開ける。
「重戦士は攻撃する職じゃない。魔術師を守る職だって」
「昔のテンプレだな」
「てんぷら?」
「なんでもない」
「盾を上げろ。敵を見るな。仲間を見ろ。魔術師が詠唱を終えるまで耐えろ」
ガレスは笑った。
「何度も怪我した」
レオンは隣に座った。
「仲間が死んだこともある?」
「ああ」
短い返事だった。
それ以上は聞かなかった。
「でも、それが普通だった。俺たちは魔法を使えないから」
ガレスが草を一本抜く。
「今日、お前に言われた通り動いただけだ」
草を指でちぎる。
「五匹倒した」
「まだグレイウルフだけだけどな」
「それでもだ」
ガレスはレオンを見る。
「俺が弱かったんじゃないのか?」
質問だった。
レオンは答えを知っている。
ゲームとしてなら。
重戦士は弱くない。
むしろ強い。
最終環境ではトップクラスの物理アタッカーだ。
ただし、そこへ到達するには条件がある。
レベル。
装備。
ステータス。
そして正しいビルド。
「弱くないよ」
レオンは言った。
「少なくとも職としては」
ガレスが黙った。
「お前らは育て方を間違えてる」
「俺たち?」
「この世界の人たち」
「世界?」
「いや、なんでもない」
レオンは立ち上がる。
「まだ時間ある。次行こう」
ガレスは動かなかった。
「どうした?」
「レオン」
「ん?」
「俺の仲間にも教えてくれないか」
「仲間?」
「物理職だ。槍使いと斥候」
レオンは嫌な予感がした。
「何人?」
「二人」
「増えるの?」
「嫌か?」
嫌というより、面倒だった。
一人教えるだけでも予想以上に時間がかかった。
三人になればもっと遅くなる。
自分一人なら、今頃レベル四にはなっている。
ゲームなら迷わず断る。
だが。
ガレスの顔を見る。
期待している。
この顔が苦手だった。
誰かに期待される。
それに応えられなかったときのことを考える。
現実で何度も味わった。
上司。
同僚。
家族。
期待されるくらいなら、最初から関わらない方がいい。
そうやって人間関係を減らした。
「別に俺じゃなくても――」
言いかけて止まる。
昨日の自分なら、そこで断っていた。
今日は。
「一回だけな」
ガレスの顔が明るくなる。
「本当か?」
「合わなかったらやめる」
「ああ」
「あと俺、教えるの上手くないから」
「十分だ」
「それと朝早すぎ」
「冒険者は朝が早い」
「治療に悪いだろ」
「何の話だ?」
「こっちの話」
翌日。
北門へ行くと三人いた。
ガレス。
その隣に、細身の青年。
槍を持っている。
もう一人は小柄な少女だった。
「こいつがロルフ」
ガレスが青年を指す。
「槍士だ」
「ロルフ・ハイマン。よろしくな、先生」
「先生はやめて」
「じゃあ師匠」
「もっと嫌だ」
ロルフが笑った。
第一印象からよく喋る。
「で、こっちがエリス」
少女が軽く手を上げる。
「エリス・ノール」
「職は?」
「斥候」
レオンは少し考える。
斥候。
ゲームではかなり特殊な職業だった。
直接戦闘では弱い。
だが索敵、罠解除、移動速度補正。
高難度ダンジョンでは一人いるだけで攻略が楽になる。
「当たりだな」
レオンが言った。
エリスが眉を寄せる。
「何が?」
「職」
「斥候が?」
「うん」
三人とも変な顔をした。
「お前、本当に物理職好きだな」
ガレスが笑う。
「好きというか、強いから」
ロルフが吹き出した。
「強い?」
「ああ」
「俺たちが?」
「そう」
ロルフはしばらく笑っていた。
だが、レオンが笑っていないことに気づく。
「本気?」
「本気」
「魔術師より?」
「レベル上がれば」
三人が黙る。
レオンにとっては常識だった。
かつて何万人ものプレイヤーが検証した結果。
だが彼らにとっては違う。
「じゃあ」
ロルフが言った。
「いつか魔術師の連中をぶっ飛ばせる?」
ガレスが顔をしかめる。
「ロルフ」
「冗談だよ」
ロルフは笑った。
「今まで散々馬鹿にされたんだ。一回くらい言わせろ」
エリスがため息をつく。
「また始まった」
「お前は腹立たないのか?」
「腹立てたら魔法が使えるようになる?」
「ならねえけど」
「じゃあどうでもいい」
レオンは二人を見る。
同じ物理職でも違うらしい。
当たり前だ。
NPCだから同じ反応をするわけではない。
その考えが浮かんで、少し引っかかった。
NPC。
本当にそうなのだろうか。
エリスがこちらを見る。
「で、何するの?」
「ああ」
レオンは思考を切り替えた。
「今日はグレイウルフじゃない」
「何を狩る?」
「フォレストボア」
三人の表情が固まった。
「おい」
ガレスが低い声を出す。
「昨日と言ってること違うぞ」
「大丈夫」
「フォレストボアは第六等級だ」
「知ってる」
「突進食らったら死ぬぞ」
「食らわなきゃいい」
ロルフが笑う。
「気に入った」
「お前は黙ってろ」
ガレスが言った。
西の森。
ゲームではレベル八から十二程度の狩場。
レオンには懐かしい場所だった。
木の配置まで完全に同じではない。
当然だ。
ここは自律生成された世界。
だが地形の基本構造は覚えている。
森の東側。
小川。
倒木。
その先。
「いた」
フォレストボア。
巨大な猪。
レベル九。
「どうする?」
ガレスが聞く。
「まずエリス」
「私?」
「右の茂み見て」
エリスが目を細める。
「……もう一匹いる」
「正解」
ガレスとロルフが驚く。
レオンは少し嬉しくなる。
ゲーム知識通り。
フォレストボアは二匹一組で配置されることが多い。
一匹だけ見て突っ込むと、横からもう一匹に轢かれる。
初心者殺し。
「エリスは敵の位置だけ見て。戦わなくていい」
「それで報酬もらえるなら楽でいい」
「ロルフ」
「はいよ」
「槍の間合いを使う。突進を横に避けたら後ろから一発だけ」
「一発?」
「二発目はやめろ」
「いけそうなら?」
「やめろ」
「はいはい」
「ガレス」
「盾だろ?」
「今日は捨てる」
ガレスが顔をしかめる。
「本当に?」
「フォレストボアの突進は盾で受ける方が危ない」
「じゃあ何する」
「殴る」
「またそれか」
「大丈夫」
レオンは剣を抜いた。
「俺が知ってる」
その言葉が自然に出た。
三人がレオンを見る。
不思議だった。
現実世界では、自分が何かを知っていると言うのが怖かった。
間違っていたらどうする。
期待されたらどうする。
ここでは言える。
俺が知っている。
「行くぞ」
戦闘が始まった。
最初は酷かった。
ロルフが欲張って二発目を入れ、危うく突進を食らった。
ガレスは反射的に盾を構えようとする。
エリスは索敵に集中しすぎて木の根につまずいた。
レオン自身も、ゲームと現実の身体感覚の違いに苦労した。
それでも。
一匹。
二匹。
三匹。
戦うたびに動きが良くなる。
昼過ぎ。
四人は六匹目のフォレストボアを倒した。
誰も大きな怪我をしていない。
ロルフが地面に寝転がる。
「なんだこれ」
「疲れた?」
「違う」
空を見ながら笑っている。
「俺ら、強くない?」
エリスが倒れた猪を蹴る。
「調子に乗ると死ぬよ」
「でも倒しただろ」
「レオンの言う通り動いただけ」
「だからだよ」
ロルフが起き上がった。
「今まで誰も教えてくれなかった」
ガレスは何も言わなかった。
剣を見ている。
レオンは三人を眺めた。
たった二日。
それだけで動きが変わった。
まだレベルも低い。
装備もゴミ。
スキルもほとんどない。
それでも戦えている。
この先。
レベル三十。
五十。
八十。
装備が揃えば。
どこまで行けるか、レオンは知っている。
ロルフが言った。
「なあレオン」
「ん?」
「本当に俺たち、魔術師より強くなるのか?」
レオンは迷わなかった。
「なるよ」
「絶対?」
「ちゃんと育てれば」
ロルフが笑う。
ガレスも笑った。
エリスだけが、
「面倒なことになりそう」
と呟いた。
レオンは聞き流した。
その日の夕方。
四人はギルドへ戻った。
フォレストボア六体。
受付が騒ぎになった。
昨日のグレイウルフ十一体。
今日のフォレストボア六体。
しかも全員物理職。
周囲の冒険者たちが集まってくる。
「本当に四人だけか?」
「魔術師は?」
「いない」
「どうやって?」
質問が飛ぶ。
ガレスが答える。
ロルフが得意げに実演する。
エリスは面倒そうに報酬を数えている。
レオンは少し離れたところから三人を見ていた。
自分が前に出なくてもいい。
教えたことを、彼ら自身が説明している。
妙な感覚だった。
悪くない。
そのとき。
ロルフの声が聞こえた。
「だから言っただろ。俺たちは弱くなかったんだよ」
誰かが笑う。
「物理職が何言ってんだ」
ロルフは笑い返した。
「そのうち分かるって」
軽い冗談だった。
少なくとも、その場にいた全員がそう思った。
レオンも笑った。
その言葉が、やがてこの街の意味そのものを変えることになるとは知らずに。




