第十二章 ログアウト
現実の身体は、驚くほど弱かった。
ベッドから起きる。
それだけで。
腕。
震える。
「待ってください」
看護師。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃありません」
立つ。
足。
力が入らない。
「レオンなら」
口から出た。
看護師が首を傾げる。
「レオン?」
「……何でもないです」
二歩。
三歩。
椅子。
座る。
息。
「これだけ?」
「初日ですから」
アンナが後ろにいた。
「レオンなら走れるんだけど」
「あなたは風間悠斗です」
「ステータス引き継ぎないんですか」
「ありません」
「クソゲー」
「現実です」
少し笑う。
アンナも。
ほんの少し。
---
現実で経過していた時間。
八か月。
「三年じゃないんだ」
「治療環境内の時間は加速されています」
「知ってたけど」
説明では聞いていた。
でも。
実感はない。
ガレスと過ごした三年。
こちらでは。
八か月。
「向こうは?」
「現在も継続しています」
悠斗が見る。
「今も?」
「はい」
「俺がログアウトしてからも?」
「はい」
何か。
変な感じ。
自分が見ていないのに。
動いている。
ゲームなら。
サーバーは動く。
当然。
でも。
ガレスたち。
今。
何をしている。
「時間は?」
「治療環境の加速率は変更されています」
「じゃあ、もう何年か経ってる?」
アンナは少し間を置く。
「可能性はあります」
「見れます?」
「現時点では」
「ログインは?」
「治療フェーズは終了しています」
分かっていた。
「そっか」
それ以上。
聞かなかった。
---
検査。
面談。
リハビリ。
毎日。
同じ。
身体。
戻す。
現実。
戻す。
治療前。
何が嫌だったか。
人。
仕事。
失敗。
期待。
全部。
面談室。
アンナ。
「将来について考えると、不安がありますか?」
「あります」
即答。
以前なら。
言いたくなかった。
不安。
弱い。
駄目。
そう思われる。
「どんな不安ですか」
「仕事」
「はい」
「また駄目になるかも」
「はい」
「人と関わるのも」
「はい」
「あと」
考える。
「何か始めて、失敗するのも」
「はい」
アンナは否定しない。
「でも」
悠斗は言う。
「やってみないと分からないかなって」
言葉。
ロルフ。
**失敗しても次行け。**
「前は、失敗する可能性があるなら、最初からやらない方がいいと思ってた」
「今は?」
「失敗したら」
少し笑う。
「次行けばいい」
アンナが記録する。
「誰かに言われましたか?」
「友達に」
ペン。
一瞬。
止まる。
「治療環境内の?」
「はい」
「どなたです?」
「ロルフ」
名前を言う。
現実で。
初めて。
少し。
変な気分。
「ガレスと、エリスも」
セレスティア。
「あとセレスティア」
アンナが書く。
「大切な人たちなんですね」
悠斗は。
少し考える。
AI。
人工人格。
治療用。
でも。
「友達です」
それでいい。
---
退院。
一か月後。
小さな部屋。
一人暮らし。
治療前の部屋ではない。
病院から少し離れた。
ワンルーム。
段ボール。
机。
ベッド。
冷蔵庫。
窓。
「狭い」
誰も返さない。
エリスなら。
「宿より広い」
と言うかもしれない。
ロルフなら。
「酒置く場所あれば十分」
ガレスなら。
「掃除しろ」
まだ。
何も汚れていない。
悠斗は笑う。
一人。
でも。
前とは違う。
---
仕事。
探す。
履歴書。
職歴。
空白。
病気。
どこまで書く。
病院の就労支援員と相談。
一社目。
面接。
「前職を退職された理由は?」
喉。
詰まる。
「体調を崩しました」
言えた。
「現在は?」
「治療して、安定しています」
面接官。
メモ。
結果。
不採用。
メール。
短い。
**慎重に選考した結果――**
画面。
見る。
胸。
重い。
やっぱり。
駄目。
思考。
早い。
一社落ちた。
仕事ない。
能力ない。
また失敗。
同じ。
ベッド。
横になる。
何もしたくない。
夜。
スマホ。
求人。
見ない。
翌朝。
起きる。
ロルフ。
頭の中。
**自分だけ例外にすんな。**
「うるさい」
誰もいない。
「一社だぞ」
自分で言う。
ゲームなら。
一回全滅したくらい。
攻略やめる?
昔の自分なら。
やめない。
二社目。
応募。
---
二社目。
不採用。
「二連敗」
笑えない。
でも。
翌日。
三社目。
応募。
面接。
小さな会社。
システム運用。
大きな仕事ではない。
給料。
前職より低い。
面接官。
四十代くらい。
「ブランクありますね」
「はい」
「大丈夫ですか?」
怖い。
大丈夫。
言えばいい。
でも。
分からない。
「分かりません」
面接官が顔を上げる。
しまった。
「ただ」
続ける。
「前と同じ働き方はしないようにします。無理なら相談します」
沈黙。
「前は相談しなかった?」
「できませんでした」
「今は?」
「するつもりです」
本当。
ガレス。
一人で全部判断するな。
第八章。
北部迷宮。
自分の注意事項。
「分かりました」
面接。
終了。
三日後。
採用。
メール。
何度も見る。
「マジか」
誰もいない。
「ロルフ」
言う。
「勝ったぞ」
少し。
恥ずかしい。
---
初日。
緊張。
駅。
電車。
会社。
入口。
帰りたい。
本当に。
帰りたい。
でも。
入る。
挨拶。
「今日からお世話になります、風間です」
声。
少し震える。
誰も気にしない。
席。
PC。
説明。
分からない。
質問。
する。
「すみません、ここもう一回いいですか」
教えてくれる。
午後。
ミス。
手順。
一つ飛ばす。
先輩。
「ここ、確認してください」
心臓。
速い。
怒られた。
違う。
注意された。
「すみません」
直す。
終わる。
誰も。
自分を否定していない。
ただ。
ミス。
一日目。
終了。
駅。
疲れた。
「無理」
呟く。
翌日。
行く。
一週間。
毎日。
辞めたい。
一か月。
少し。
慣れる。
三か月。
後輩ではないが。
新しい人が入る。
操作。
聞かれる。
「これどうやるんですか?」
悠斗。
教える。
「ここ先に確認した方がいいです。俺、一回飛ばしてミスったんで」
「あ、ありがとうございます」
それだけ。
でも。
帰り道。
少し。
嬉しい。
---
半年。
通院。
アンナ。
「仕事は?」
「続いてます」
「負担は?」
「あります」
「辞めたいと思うことは?」
「週三くらい」
アンナが笑う。
「多いですね」
「でも辞めてない」
「それは良いことですか?」
悠斗は考える。
以前なら。
続けること自体を成功と思った。
今は。
「分からない」
「はい」
「辞めた方がいい仕事もあるし」
「そうですね」
「今は、まだ続けてもいいかなって」
「それなら十分です」
十分。
その言葉。
昔なら嫌いだった。
十分。
もっと。
ちゃんと。
完璧。
今。
少し。
好きになった。
---
ある日。
昼休み。
同僚。
「風間さん、ゲームやるんですか?」
「昔は」
「何やってました?」
いくつか。
名前。
最後。
「エルディア・オンライン」
同僚が顔を上げる。
「マジで?」
「知ってる?」
「俺もやってましたよ」
懐かしい。
現実の。
エルディア。
治療世界の基盤。
「職何でした?」
「魔術師」
「うわ、初期勢?」
「そう」
「俺、後期だから物理しか知らないです」
笑う。
「後期、魔法死んでましたもんね」
「死んでたな」
「バランス悪すぎ」
「うん」
「でも初期は魔法強かったんですよね?」
「強かった」
強かった。
強すぎた。
だから。
向こうでは。
魔法職が社会上位。
ゲームバランス。
それが。
社会制度になっていた。
同僚。
「今やったら何使います?」
「物理」
答えようとして。
止まる。
「……魔術師かな」
「何で?」
「たまには」
「弱いですよ」
「知ってる」
その夜。
家。
PC。
《ELDIA ONLINE》
公式サーバー。
まだある。
インストール。
ログイン。
昔のキャラクター。
残っている。
魔術師。
高レベル。
懐かしい。
でも。
新規作成。
職業選択。
剣士。
槍士。
重戦士。
斥候。
魔術師。
クリック。
魔術師。
キャラクター名。
少し考える。
レオン。
入力。
**その名前は使用できません。**
「そりゃそうか」
別の名前。
開始。
草原。
グレイウルフ。
魔法。
詠唱。
遅い。
「弱」
笑う。
でも。
楽しい。
---
一年半。
治療開始から。
現実。
安定。
薬。
通院。
減る。
仕事。
続いている。
友人。
多くはない。
でも。
同僚と食事。
たまに。
家族。
連絡。
以前より。
少し。
ある。
完治。
ではない。
不安。
ある。
落ち込む。
ある。
何もしたくない日。
ある。
それでも。
生活。
続く。
定期面談。
アンナ。
「治療開始時と比べて、どうですか」
「マシ」
「それだけ?」
「かなりマシ」
「では記録はかなりマシ、と」
「それ書くの?」
「書きません」
笑う。
面談。
終了。
悠斗は立つ。
扉。
手。
止まる。
ずっと。
聞かないようにしていた。
聞いたら。
戻りたくなる。
そう思った。
でも。
一年半。
自分は。
現実で生きている。
なら。
聞いてもいい。
「先生」
「はい」
「治療世界って」
アンナを見る。
「ログアウトした後、どうなるんです?」
少し。
間。
「継続しています」
知っていた。
退院直後にも。
聞いた。
でも。
「今も?」
「はい」
「時間は?」
「環境によって異なります」
「俺のところ」
アンナは答えない。
守秘。
研究。
「ガレスたちも?」
「個別の自律人格については、私には確認できません」
「確認できない?」
「私の権限では」
言い方。
つまり。
誰かは確認できる。
「ログインできます?」
「原則として再接続は行いません」
原則。
悠斗はその言葉を拾う。
「絶対じゃない?」
「研究上の必要がある場合など、例外はあります」
「研究協力なら?」
アンナが悠斗を見る。
「なぜ戻りたいんですか」
答え。
簡単。
「気になる」
「何が?」
ガレス。
ロルフ。
エリス。
セレスティア。
職業平等法。
物理職互助連盟。
魔術院。
**俺たちは大丈夫だ。**
「どうなったのかなって」
アンナは何も言わない。
「一回だけ」
悠斗。
「少しだけでいい」
沈黙。
長い。
「申請はできます」
「通る?」
「分かりません」
「お願いします」
即答。
アンナが少し驚く。
悠斗自身も。
昔なら。
考えた。
迷った。
断られたら嫌だから。
申請しなかった。
今。
「お願いします」
もう一度。
アンナは頷いた。
「分かりました」
---
その夜。
悠斗は《ELDIA ONLINE》を起動した。
魔術師。
レベル十二。
弱い。
ゴブリン。
詠唱。
攻撃。
MP。
すぐなくなる。
「やっぱ弱いな」
笑う。
休憩。
画面。
草原。
治療世界と似ている。
でも。
違う。
ガレスはいない。
ロルフも。
エリスも。
セレスティアも。
悠斗はログアウトした。
申請。
結果。
まだ。
分からない。
それでも。
以前のように。
何もできず待つだけではない。
自分で。
戻ると決めた。




