第99話 託された心
二人の間にはしばらく沈黙が落ちる。
その静かな空気を切り替えるように、ブライトが口を開いた。
「そういえば……
俺に聞きたいことがあったんじゃないのか?」
そう問われたハンスはここへ来た目的を思い出し、懐から一枚の写真を取り出した。
「そうだった。もしかして……
これがその、生きた金属とやらではないか?」
ハンスは深緑の鉄塊が写された写真をブライトに見せた。
骨や筋肉などを模した腕のような鉄塊を見た彼は微かに指を震わせて写真を手に取った。
「……恐らくそうだ。」
そう言うと彼は立ち上がり、部屋の奥にある鍵のかけられた金属箱を開いた。
中から取り出したのは、ハンスの写真と同じ骨や臓器の一部を模した深緑の鉄塊だった。
「それは、まさか……」
ハンスは唖然として目を見開いた。
ブライトは淡々と告げる。
「ああ。ラティマの身体の一部だ。
“無様な肉塊”になんてしたくないからな。火葬したんだ……」
並べられた鉄塊を見たハンスは息を呑んだ。
手足などの末端だけではなく、臓腑を補うことのできるその金属はあまりにも異質で、言葉にできない恐ろしさも感じた。
「俺は気づけなかったが……
倒れる前から無理をしてたんだろうな。
……生身の部分と半々ってとこだろう。」
こんなになっても他人の命を尊び、最後まで自らの運命から逃げなかったラティマ。
愛する者との別れを正面から受け止めた彼女の姿に、ハンスは胸の奥に深い敬意を抱かざるを得なかった。
その覚悟を噛み締めるように口を固く結んだハンスだが、やがて自身の大切な者のためにその重い口を開いた。
「失礼を承知で頼む……
この遺骸を俺に譲ってくれないか、ブライトさん。」
「……なぜだ?」
ブライトは鋭い視線を向けた。
ハンスが軽薄な人間でないことは分かっているが、ラティマの一部を託すからには理由を知る必要があった。
彼の目を見据えたハンスは静かに告げた。
「……仲間が、俺などを庇って腕を失った。
最高の腕をつけてやると誓ったのだがな……
そいつには、こんな無骨な物はつけさせたくないんだ。」
眉間に皺を寄せて自身の腕を眺めるハンス。
それを見たブライトは腕を組み、目を閉じて深く考え込んだ。
しばらく沈黙が続いたのちに、彼はハンスを見据えてそっと口を開いた。
「無骨な腕はつけたくない、か……
戦い以外に大切なもの──いや、女でもできたか?」
からかうように不敵な笑みで軽口を言うブライトに、ハンスは呆れた声で告げた。
「はは。まあ、そんなところだ。」
ブライトは並べられた遺骸から、心臓を模した鉄塊だけを手に取って見つめる。
少し間を空けた彼は、それ以外のすべてを惜しむように見渡しながらもハンスに言った。
「……あとはまあ……好きにしてくれ。
ラティマならきっと、役に立てて欲しいと言うはずだ。」
最後まで彼女を尊重する彼の姿に、ハンスは胸の奥を震わせる熱を感じた。
そして、丁寧に遺骸である鉄塊を革袋へ収めると、ブライトに向かい深々と頭を下げた。
「ありがとう、ブライトさん。
あなたと奥方の想いは決して無駄にはせん。」
ブライトはラティマの心臓だった鉄塊を見つめながら、胸の痛みを隠すように微笑んだ。
「はは。大袈裟なやつだ。
まあ、せいぜい綺麗な腕にしてやってくれ。」
消え入りそうなタバコを灰皿に押し付けたブライトは、窓から覗く陽が落ちた空を眺めて丸めた手を口元で傾けた。
「今日はもう遅い。
元死人の晩酌に一杯付き合えよ。」
「ははは。蘇った男と呑むのも悪くないな。」
二人は軽妙に笑みを交わし、久々の再会を祝して酒を酌み交わした。
◆◆◆
翌朝──
「世話になったな。」
簡素な挨拶を済ませてブライトの家を後にしようとするハンスに、彼は分厚い資料の束を手渡した。
「これは……?」
ハンスが資料を眺めて尋ねた。
「死んだことにされてからの方が自由に動けたからな。
鉄塊を調べるついでに、流れの学者にでも貰ったとか適当に言っといてくれ。」
雑に頭を掻きながら渡すブライトに、ハンスは呆れた顔で溜め息をついた。
「……まったく、相変わらずだな。
それとなく誤魔化すが、気づかれても文句は言わんでくれよ?」
「……まあ、その時はその時だ。
あいつを……アストを頼んだぞ。」
「ああ。任せておけ。」
二人は固く握手を交わし、ハンスはその場を後にした。
遠ざかる彼の背を見送り、家の中に戻ったブライトは椅子に深く背を預けてタバコに火をつけた。
深く息を吸い込もうとしたその時──
「……ふぅ……ぐっ!
ごほっ!ごほっ!……ぐふ……」
口元を押さえた彼の手は赤く染まっていた。
息を整えたブライトは再びタバコを咥え、深く息を吸い込みゆっくりと吐き出す。
揺らめく煙をじっと見つめながら天を仰ぎ、そっと震えた声を漏らした。
「偶然だったが……
最後に“やるだけのことはやれた”みたいだ、ラティマ。」
その瞬間──
「ふふ。お疲れ様、ブライト。」
聞こえないはずのラティマの声が、彼の胸に優しく響いた気がした。
彼女の温かい声に身を委ねるように、ブライトは静かに目を閉じた。




