第100話 新天地
ハンスとブライトが、カナント市国で奇跡の再会を果たしていた頃。
聖王国では、大聖堂の一室でアストたち六人がドワーガ帝国へ向かう準備を進めていた。
秘境は険しく連なる渓谷に囲まれ、そこへ赴くにはドワーガ帝国を経由して小国郡へ向かう必要がある。
「そういえば……
ハンスは帝国に行ったきりなのか?」
ルシアナは、ここ数日顔を見せないハンスの身を案じていた。
彼女の声音には、単に彼を心配する気持ちと同時に、やはり隻腕になったことによる守りの不安が微かに滲む。
「えっと、例の侵攻の戦後処理と……
壊れた義腕のことで技術開発局に寄っているはずです。
ハンス殿の腕は特別製なので、修復に時間がかかってるかもしれませんね……」
難しい顔をしながら真面目に告げるカンナに、リリアはハンスの普段の言動を思い浮かべたように溜め息混じりの声を漏らした。
「……あいつのことだ。
どうせまた、酒でも呑んでいるのだろう。」
「ふふ。そうかもね。」
ミアが肩を震わせて笑うと、ルシアナも呆れたように苦笑して頷いた。
「ハンスならあり得るな……」
そんなやりとりをしていると、神官の一人がリリアの元へやってきた。
伝信用の魔導具を手にした神官は、彼女の元へ歩み寄りそれを手渡した。
「リリア様。今し方届きました。
帝国にいらっしゃるハンス殿からです。」
「ああ。ご苦労だった。」
リリアがすぐに中身を確認すると、広げた魔紙に文字が浮かび上がる。
書かれた文面に目を通した彼女は顔が強張り、深い溜め息とともに額を押さえて俯いた。
「あの男は、また勝手な……」
「なんと書かれているのですか?」
ルシアナの問いに、リリアは俯いたまま呆れを滲ませた声で答えた。
「『やることがあるから小国郡へ行ってくる。
それと、急ぎ神官たちの知恵が必要だ。
神官を一人、帝国軍技術開発局のドルテオという男に紹介してくれ』だそうだ……」
「ドルテオ局長に、神官さんを……?」
カンナが不思議そうに首を傾げる。
「聖法紋に関わりのある遺物があるらしい。
その解読に、我々の力を借りたいようだ。
まったく……国家間で協議するようなことを軽々しく決めおって……」
そう言ってリリアは眉間に皺を寄せ、少し考えるように口元へ手を添えた。彼女の横にいたレオンが苦笑しながら、彼女をなだめるように声をかける。
「それだけ、信頼されているということですよ。はは。」
「……物はいいようだな。」
リリアも苦笑いを浮かべた。
リリアはそのまま神官の一人へ声をかける。
「ルドニカ。頼めるか?」
「わ、私ですか……?」
ルドニカと呼ばれた若い神官は、驚いた様子で目を丸くした。
「お前は聖法紋や古代文字についての知識が深い。よろしく頼むぞ。」
「承知いたしました!」
リリアの言葉に、ルドニカは感嘆の表情を浮かべて深々と頭を下げる。
部下の能力を把握するなどリリアにとっては当然のことだが、彼にとっては心震えるものだった。
こうしてアストたち六人にルドニカを加えた一行は、小国郡を目指すために急ぎ帝国へ向けて出発した。
◆◆◆
彼らが出発した頃──
聖王国五大貴人の一角であるハーゲンシュタイン家の屋敷では、怪我の療養を終えつつあるエラルドと、付き添うように佇むシルベリアの影があった。
「……なぜ私を生かした?」
豪奢な長机の上に両手を組んで椅子に腰かけるエラルドは、不快そうに眉間を吊り上げてシルベリアへ問いかけた。
彼女はそんなエラルドを見つめながら、艶やかな唇に指を添えて楽しげに微笑む。
「私が、身も心も痺れそうって……
そう言ったの覚えてるかしらぁ?
あなたのことは、結構気に入ってるのよぉ。」
「何をバカな……」
眉間の皺を深めるエラルド。
「ふふ。照れちゃって、かわいいわねぇ。」
シルベリアはふわふわと浮かぶ水滴を指の隙間で弄びながら、彼をからかうように甘い声を響かせた。
そんな彼女を鋭く見据えたエラルドは、ずっと気になっていたある質問を投げかけた。
「……お前は、誰だ?」
エラルドがそう投げかけた瞬間──
彼女の指はぴたりと止まり、その隙間を滑らかに流れていた水滴が床に落ちる。
「……あら、よく知ってるでしょぉ?
あなたの大好きなシルベリアよぉ?」
「戯言を……
薄々気づいてはいたが確信した。
彼女は私を、“あなた”などとは呼ばん。」
そう指摘されたシルベリアは、薄い笑みを浮かべたまま沈黙した。
しかしその笑顔の中でも、怪しい光を宿す瞳だけは笑っていなかった。
「……知ってどうするのぉ?」
先ほどとは違う少し冷ややかな声。
だがエラルドは怯むことなく、力強い声で告げた。
「何者か分かった上でなら、貴様に利用されてやってもいい。
ただしその存在を謀り、これ以上シルベリアを侮辱するなら即刻その首を落とす。」
「もう……仕方ないわねぇ。
じゃあちょっと、昔話に付き合ってくれるかしらぁ?」
ふわりと微笑んだシルベリア。
彼女は再び水滴を指の隙間に流しながら淡々と語り始めた。




