第96話 もう一人のティリス
翌日のラティマは、朝から顔色がよかった。
やつれた顔には血色が戻り、重いはずの身体はここ最近で一番軽やかに見えた。
そしてアストが来ると、久しぶりに晴れやかで温かい笑顔を見せてくれた。
その笑顔は──
二人が出会ったあの頃のようだった。
「ふふ。アスト、元気にしてたぁ?」
「うん!お母さんは大丈夫?」
「うん、アストの顔見たら元気になったよ。」
「そっか! よかった!」
そんな会話を交わす二人を、遠目から眺めるブライトは、この何でもない時間がいつまでも続けばいいと思っていた。
久しぶりに笑顔を絶やさないラティマの姿を見た彼は、このまま彼女が回復するのではないかという錯覚を覚えた。
だがこの日──
アストが知人の家へ戻った夜、ラティマは静かに息を引き取った。
最後は晴れやかな笑顔を残し、彼女はその永い生涯に幕を閉じた。
そしてそれは、ブライトを古の都へとさらに執着させていく。
ナノマギアに力が戻れば彼女は生き返るかもしれないと、そんな狂気が彼を蝕んでいった。
◆◆◆
そこからさらに数年──
ブライトは小国郡にいたとされる“異人”について調査をしていた。
薄紫の髪。
海のような青い瞳。
古代の偉人として語られるその特徴は、ラティマと同じだった。
つまり、小国郡の起こりとなった彼らはティリス種だったと推測される。
そして、彼らが集落を形成していたのはすべて秘境の周辺であり、現在の小国郡にあたる地域だった。
つまり、古のティリスたちは皆、秘境にその都があると知っていたのだ。
こうして、ブライトは徐々にティリス種の謎に迫っていった。
だが、それを放ってはおけないのが、ルベリオス家当主のアイリスだった。
このままいけばブライトは、聖王国の起源に触れてしまうかもしれない。
そんな彼に、ラティマが亡くなってからも、アイリスはずっと交渉を続けていた。
しかしブライトが首を縦に振ることはなく、ついにアイリスは強行手段に及ぶ。
それこそが──
アイリスがリリアに語ったルベリオス家の罪だった。
だがそこには、アイリスでさえ知らない真実が隠されていた。
◆◆◆
ルベリオス家の刺客に追われながら、ブライトは秘境周辺を調査し続けた。
だが、“迷わずの大地”という間抜けな異名とは裏腹に、常に入った場所へと立ち戻るその秘境は、一筋縄ではいかなかった。
「くそったれが……!
“帰れない”ってのはこういうことか……!」
おそらく、ラティマの言っていた結界の効果だろう。
奥に進んでいる感覚を覚えながらも、いつの間にか最初に足を踏み入れた場所に戻ってしまう。
それはまるで──
この世界のすべてを拒む呪いのようだった。
「ふふ。苦戦しているわねぇ。
そろそろ諦めたらどうかしらぁ?」
不気味な声が、岩肌の影から響き渡る。
それはルベリオス家の放った刺客の一人だった。
だが──
ブライトは違和感を覚えた。
その女の声に殺気は感じられない。
そして何より、その声──
どこか懐かしさを感じるそれは、ラティマの声に似ていた。
「お前……まさか……!」
「あら、声だけで気づいちゃったのぉ?
そんなにあの子を愛していたのかしらぁ?」
髪の色は違う。
瞳の色も違う。
見た目はエルフ種にそっくりだ。
しかし、その顔には間違いなくラティマの面影があった。
「お前……ラティマの姉か……?」
「ふふ。やっぱり勘がいいのねぇ。」
そう言って微笑む彼女の表情は、愛した人の影を滲ませていた。
だが、そんな驚きを超えて、ブライトにはある疑問が浮かび上がった。
「ラティマは死んだ。
それなのになぜ、お前は生きてるんだ……?」
姉とされるその女は、ラティマより以前に都を離れたはず。
それならば、ラティマよりも永く、しかも平然としていられるのはおかしい。
「それを知ったら……
がっかりするかもしれないわよぉ?」
女は薄く笑みを浮かべると、自身がなぜ生き永らえているのかを語り始めた。
そしてそれは、ブライトが縋るように、微かに抱いていた希望を砕くものだった。




