第9話 聖王国の使者
夜の街は静まり返り、石畳を渡る風が冷たく頬を撫でる。
アストとミアは、人目を避けるように裏路地を歩いていた。
だが──
その静けさは唐突に破られてしまう。
物陰から、黒い布で顔を覆った男が現れた。
冷ややかな鋭い眼光と腰へ忍ばせた刃──
表の世界で生きる者ではないと、アストは一瞬で悟った。
“暗殺者”らしき風貌のその男は、低く押し殺した声を闇夜に響かせる。
「救済者を……こちらに渡せ。」
「……くっ!」
アストは咄嗟にミアを背に庇い、義肢の腕を構えた。
だが暗殺者の動きは速い。
鋭い刃が月光を反射し、一直線に二人へ迫る──
「そこまでだ!!」
鋭い声と共に、静夜を切り裂き現れた女性らしき影。
闇に溶け込む黒い外套に身を包み、声に似合わぬ身のこなしでその男を圧倒した。
瞬く間に男を地にねじ伏せると、懐から金の詰まった袋を投げ捨て言い放つ。
「奴には話をつけてある。
貴様は、その金を持って大人しく去れ!」
彼女を鋭く睨みながらも、金を受け取った男は深い闇に紛れて消えた──
女性は二人へ向き直すと、静かに言葉を投げかける。
「ご安心を。私は敵ではない。
奴は、我が国の意向に反感を持つ一部の貴人が放った刺客だ……本当に申し訳ない。」
アストは、警戒しながらも問いかける。
「あなたは……何者なんだ……?」
女性は胸に拳を当て、凛々しく姿勢を正す。
そして、確固たる意志と信念を湛えた瞳で二人を見つめ、その澄んだ声を夜気に響かせた。
「私はエルフェリア聖王国、神官長リリア様の使者ルシアナ。
救済者の少女に害意はない。むしろ、あなた方を我が国で保護したい。」
彼女の眼差しには敵意も欲望もなく、揺るぎない使命感だけが宿っていた。
アストは疑念を抱きつつも、その言葉に耳を傾ける。
「……聖王国が……?」
ルシアナは頷いた。
「そうだ。
あなた方が背負うものを、聖王国は見過ごせない。
リリア様の元へ──我々と共に来て欲しい。」
夜風が吹き抜ける中、アストは揺れる心のまま決断を迫られていた──
そんなアストを見透かすように彼女は続けた。
「あなたの不安は理解している。
だが、彼女を狙う影は日に日に増すばかりだ。
聖王国ならば、その力で彼女を守れる。」
アストは深く息を吐いた。
ミアの震える手をそっと握り、少し俯いて口を開く。
「……分かった。聖王国へ行こう。
ただ、さっきあなたが言っていた“貴人“は……?
このままついて行って……大丈夫なのか?」
「……ひとまずは問題ない。
詳しい事は、リリア様の口から直接聞いて欲しい。
すまないが、この場ではご容赦いただきたい。」
ルシアナは少し目を伏せて答えた。
不安は完全には拭えなかったが、彼女が二人を守ってくれた。
その事実だけは、信頼に値するとアストは考えた。
こうして、二人はルシアナと共に聖王国へ行くことを決めた。
だが、アストの胸の奥には重いものが残っていた。
果たしてこの決断は、本当にミアのためなのか。
それとも、自分の不安を拭うためなのか──
答えは出ないまま、夜の風が二人の頬を撫でていった。
アストの返事を聞いたルシアナは、静かに頷き路地の奥を指し示した。
「この先に乗り物を用意してある。
聖王国へ向かう道は険しいが、私が必ず守り抜く。」
「聖王国か……
どんなところだろうね。ちょっと楽しみ。」
「……そうだね。きっと……良いところさ。」
自身も不安でたまらないはずなのに、思い悩むアストを気遣うミア。
そんな優しい彼女の姿に、アストの胸は情けなさで締め付けられた。
アストはミアを抱き寄せ、ルシアナの後を着いて歩く。
夜空には雲が流れ、星は隠されていた。
闇の中に灯る微かな光が、彼らの未来を照らすのか、それとも新たな迷いを呼ぶのか──
それはまだ、誰にも分からなかった。




