第8話 不撓の守護者
険しい山々に囲まれ、今は少なくなった自然の恵みを享受する地。
彼の国は古より「星の恩寵を賜りし国」として知られている。
──エルフェリア聖王国。
帝国が力と鉄をもって領土を広げてきたのに対し、聖王国は祈りと信仰を礎に人々を束ねてきた。
白亜の神殿群が丘陵に並び、夜には星々の光と聖火が街を照らす。
帝国の石壁が重苦しい威圧を放つなら、聖王国の街並みは静謐で清らかな空気を湛えていた。
その中心に──
神聖な空気を纏い、ひときわ気高く佇む女性がいる。
神官長、リリア・ドゥラド・ルベリオスだ。
ドゥラドは《神の血》を意味する古代語で、神より恩寵を賜った尊き血筋であることを示す。
その名を冠する者は聖王国貴人五家と呼ばれ、民の羨望を一身に受ける特権階級である。
リリアはその一角を成す名門、ルベリオス家の当主にして神官長を務める。
彼女はまだ三十代半ばながら、深い知性と揺るぎない信念を持ち、王国の精神的支柱として人々に慕われていた。
長い銀糸の髪を背に流し、祈りの時には青白衣を纏うが、庶民の前では質素な衣を選ぶ。
彼女にとって大切なのは権威ではなく、星の声を人々に伝えることだった。
ある朝。
そこは聖王国の大聖堂。
リリアは祭壇の前に立ち、静かに祈りを捧げていた。
星の嘆きが微かに胸に響く──
救済者の少女が現れたことを、彼女も既に知っていた。
星に選ばれし存在を守らねば、この世界は滅びへと傾く──それが古の伝承であり、彼女の使命でもあった。
祈りを終えたリリアは、部下の神官たちを集めた。
彼女は椅子に腰掛けると、冷気を帯びたような澄んだ声を響かせる。
「救済者の少女についてだが──
帝国が動きを見せたようだな。詳しく聞かせてくれ。」
若い神官が口を開く。
「帝国軍は追手を増派し、暗殺者まで雇ったとの噂です。
少女を脅威と見なし、捕らえようとしているようですが……
経緯を鑑みるに、死んだら死んだで構わない、といった所かと……」
別の神官は眉をひそめた。
「なんという事を……。
リリア様、救済者の力は計り知れません。
……聖王国にとっても利用価値があるのでは?」
その言葉に、リリアの瞳が鋭さを帯びた。
「──私の聞き違いだろうか。
……今、“利用価値”と言ったか?」
その場の空気は、瞬時に凍りつく──
「救済者は利用するものではない。
星に選ばれた奇跡の存在なのだ。
我々が──なんとしても守らねばならん。」
彼女の声は静かだが、揺るぎない意志を帯びていた。
部下たちは言葉を失い、ただ彼女の信念に圧されるように沈黙した。
その時、一人の従者が駆け込んできた。
「リリア様!先程……
帝国の大将ハンス・オルデインが、暗殺者を退けたとの報告が入りました!」
リリアは怪訝な表情を浮かべ目を細めた。
「……帝国の大将が……
自国が雇った暗殺者を止めた、と?」
従者は頷き、報告を続ける。
「はい……
彼は任務を中止するよう命じ、従わない暗殺者を一瞬で制圧したと……。」
リリアは小さく笑った。
それは、呆れと皮肉が滲む笑みだった。
「ふっ、帝国の大将が少女を守るとは……
なんとも、あの男らしいではないか。
元帥殿も、今ごろは顔を引き攣らせているだろう。」
彼女はかつて、酒場でハンスと杯を交わした夜を思い出す──
巨躯に似合わぬ温かさを宿した瞳、戦場で血を流しながらも人としての心を失わぬ姿。
彼が語る覚悟は本物だと、リリアは確信していた。
「……ならば、私も応えねばならんな。」
そう呟くと、リリアは立ち上がり部下たちに告げた。
「救済者の少女、そして彼女と共にいる男に使者を送る──
聖王国は二人を守る意思があることを、急ぎ伝えよ!」
神官たちは驚きの表情を浮かべた。
帝国との緊張が高まる中、少女を庇うことは聖王国にとっても危険な選択だった。
しかし、リリアの瞳に迷いはなかった。
ハンスが立場を賭して少女を守ろうとするなら、自分は信念をもって応える──
それが“守護者”としての務めだと彼女は理解していた。
──その夜、聖王国の街に星々が瞬く。
リリアは窓辺に立ち、遠い空を見上げた。
星の光は静かに彼女を照らし、その胸に誓いを刻む。
「救済者を守る──それが私の戦い。」
帝国の戦神ハンスと、聖王国の守護者リリア。
大国を背負う二人の信念は、少女を守るために交わり始めたのである。




