第89話 背負う者の矜持
アストは、父ブライトから幼い頃に聞かされた御伽話をゆっくりと語り始めた。
それは、他に語る者のいない珍しいもので、かなり古い時代に秘境にあったとされる文明に触れていた。
◆◆◆
数千年前──
大陸最北端の秘境には、高度な文明が栄えていたという。
人は空を自由に駆け、怪我や病に悩まされることはなく、その国には三百年ほど生きる“神の使徒”が住んでいた。
その国の名は“シアータイル”。
柔らかく、しかし硬い“生きた金属”を纏う彼らは、他の人類から神と崇められた。
だが文明が発展するにつれ、その人間たちは激しく争うようになっていく。
そして、その戦火は神の使徒たちにも及ぶ。
その争いを憂いて悲しみに暮れた神の使徒たちは、ある日突然、国ごと忽然と姿を消した。
◆◆◆
「初めて聞く国だな……
こんな状況でもなければ信じ難い話だ。
恐らく、私でも御伽話だと笑うだろうな。」
レオンはベッド横の椅子に腰をかけ、顎に手を添えて考え込むように呟いた。
「そうなんですよ。でも今は……
ここに至るまでの積み重ねがあります。
もう、ただの御伽噺とは言い切れません。」
アストは眉を寄せ、ゆっくりと立ち上がるとレオンを見据えた。
「僕も手伝います。この話は……
無意味なものではない気がするんです。
父さんの資料をもう一度確認しましょう。」
彼が力強くそう告げると、二人は療護室を出て大聖堂へ向かった。
◆◆◆
大聖堂では厳かな空気の中、神官たちが仕事の合間を縫って秘境についての調査を進めていた。
しかし彼らの知見を合わせても、それらしい手がかりはなく時間だけが過ぎていく。
「こっちに来てくれ。私がブライトから預かっていた資料がこれだ。
そこにアストの資料を突き合わせて調べてみたんだが……なかなか先に進まなくてな……」
レオンは資料が広げられた長机の前に腰掛け、疲れたように深く溜め息をついた。
アストも隣に座り、資料へ視線を落としてそれぞれの記述に改めて目を通す。
「もう何度も見てますからね……
しかも、やはり秘境については噂通りで何もなさそうだし……」
「そうだな……
ブライトの資料を見る限り、噂は本当なのだろう。
彼も同じような景色を、ぐるぐる回らされていたようだしな……」
額に手を当てて俯くアスト。
レオンも打つ手がないように声を漏らした。
その時──
大理石の床に靴音を響かせながら、神妙な面持ちのリリアがやってきた。
「レオン殿、ここだったか。
先ほど母に話を聞いてきた。やはり──」
そう言いかけたリリアは横に座るアストに気づき、少し驚いたように立ち止まった。
そして、意を決するように深く息をすると、ゆっくりと二人の元へ歩み寄る。
「アスト……具合はどうだ?」
恐る恐る、微かに声を震わせて問いかけるリリア。
その表情は普段の彼女にはない、深い悲しみを湛えていた。
「えっと……リリア、さん?」
アストが名を呼んだ瞬間、リリアは身を乗り出して声を上げた。
「思い出したのか!?」
「あ、いえ……ミアから、リリアさんのことを聞いていて……
神官長を務める方で、すごく綺麗だと言っていたので。違いましたか?」
「あ、ああ。そうだ……私がリリアだ。」
視線を落としたリリアは眉を寄せ、揺れる瞳を隠すように俯いた。
「すみません……
すごくお世話になっているようなのに……」
アストが俯くと、リリアは顔を上げ、励ますような声を語りかけた。
「構わんさ。必ず思い出してもらうぞ。」
そう言って笑顔を見せたリリア。
だが、すぐにその表情を引き締めた。
「ひとまず、謝罪せねばならんことがある。」
先ほどの笑顔とは一変した気配を纏い、リリアは深く頭を下げると、アイリスから聞いた一部始終を語り始めた。
ルベリオス家とブライトの関係。
そして、その罪の全てを。
それを聞いたアストは、父を死に追いやったことへの怒りが込み上げた。
しかし同時に、他国の重大な事情に土足で踏み込んだ父の軽率さにも呆れた。
硬く握った義手が軋む。
複雑な感情が、胸の奥へ染みるように広がっていった。
「少し、ひとりで頭を整理させてください。」
そう言って立ち上がり、大聖堂を後にするアスト。
その背を見送るリリアの顔には、罪を背負う覚悟と同時に、深い悲しみが滲んでいた。
「リリアさん……
確かに許されないことですが、あなたがやったわけでは……」
レオンは立ち上がり、そう声をかけた。
だがリリアは首を横に振り、静かに告げた。
「私が今の当主だ。
全てを背負った上で彼と……
その怒りと、向き合わなければならない。」
その言葉には──
国と家の重責を背負う者の雄々しさと、ひとりの女性としての深い愛情が宿っていた。




