第87話 ルベリオス家の過去
リリアの呼びかけに対し、アイリスは静かに視線を向けた。
鮮やかな翡翠の瞳はリリアと似ている。
歳を感じさせぬ艶やかな銀糸の髪が背に流れ、まるで彼女だけが時の流れから切り離されているようだった。
「まあ、珍しいわね。今日は気分がいいわ。
いつも忙しくて顔を見せない娘が、わざわざ会いに来てくれたんだもの。」
華やかな笑顔を湛えながらも、どこか棘を含む言葉で迎えるアイリス。
リリアは眉を寄せ、少し困惑したような表情で深く頭を下げた。
「私が不甲斐ないせいで……
お時間が作れず、申し訳ありません……」
相変わらずのリリアの姿に、アイリスは微かに眉を引き上げる。
そして、彼女は手を口元に添えると、楽しげに笑って言った。
「うふふ。あなた真面目すぎるのよ。
母の戯言だと思って流しておきなさいな。」
「いえ、そんな……!
お心遣い、感謝いたします。」
リリアは慌てて両手を広げると、再び浅く頭を下げて母への敬意を絶やすことはない。
彼女の中ではアイリスはそれほどに、母であると同時に先代当主として偉大な存在だった。
アイリスはクスクスと小さく笑いながら、恐縮するリリアを見つめていた。
しかし次の瞬間、その和やかな空気は急に冷ややかさを帯びて引き締まる。
「それで、わざわざ来たのは何か……
私に聞きたいことでもあるのかしら?」
ふわりとした柔らかい笑みはそのまま──
だが、その鋭い瞳はすべてを見透かすようで、リリアは胸中を射抜かれる感覚を覚えた。
「やはり、母上には敵いませんね……」
リリアは諦めたように溜め息をつき、表情を引き締めて問いかけた。
「母上は、ブライトという人物をご存知ですね?」
彼女の口からその名が出た瞬間、アイリスの眉がわずかに動いた。
しかし、微笑みは崩さないまま、落ち着きを装うように聞き返す。
「その方が、どうかしたの?」
アイリスは取り繕うような笑みを浮かべながらも、どこか警戒を含む声を響かせる。
リリアはそんな母の前へ一歩踏み出し、口元を微かに震わせて願うように告げた。
「もう、我々が隠していた歴史は知れ渡りました。
この問いには、世界の命運がかかっている……
お願いです、母上……全てをお聞かせください。」
聖王家の過去と世界の真実──
その重責を背負ってなお、瞳に揺るぎない覚悟を宿すリリア。
それを目の前にしたアイリスはしばらく口をつぐむが、やがて深く息を吐き、ゆっくりとその口を開いた。
「……確かに、もう無意味ですね。
いいでしょう。包み隠さず、全てを話します。
ただ……高潔を絵に描いたようなあなたには、辛いかもしれませんよ?」
「……ええ。望むところです。」
そう言ってリリアは息を呑む。
微かに震える手を胸に当て、覚悟を決めたようにアイリスの言葉に耳を傾けた。
そして、母から語られたのは──
ルベリオス家の手によって行われた、衝撃の真実だった。
◆◆◆
発端は二十七年ほど前になる。
当時から伝承研究に執心し、研究者たちからも変人として扱われていたブライト。
関係者の間では、良くも悪くも知られた人物であり、ルベリオス家も彼の研究に懸念を抱いていた。
ただ、その頃の彼の研究は聖王国の核心に迫るものではなく、当時の当主であったアイリスたちもそれほど強くは警戒していなかった。
そんな中、十年ほどが経った頃だった。
突如、彼の研究の一部に“ティリス”の名が挙がる。
そこからブライトの研究は著しく進み、第三の種族など誰にも相手にされない中で、ただ一つ、ルベリオス家だけが危機感を覚えた。
アイリスは、急ぎブライトに遣いを出し、聖王国の裏側には触れないままティリスに関わる資料の破棄を要求する。
だが、研究者としての矜持を捨てられない彼は、当然その要求を呑むことはなかった。
アイリスは二年ほどをかけてブライトの説得を続けたものの、彼が資料の破棄と研究の中断に応じることはなかった。
これ以上彼の研究が進み、聖王国の核心に迫ることを恐れたアイリスは、聖王家のために苦渋の決断を迫られる。
そしてついに──
ブライトはルベリオス家の手によって、事故に見せかける形で命を奪われたのだった。
◆◆◆
「これが、私の……ルベリオス家の罪です。
聖王家の威信を守るためとはいえ……
我々が行なった非道は、許されるものではないでしょう。」
「まさか、我々に……
そんな過去があったなんて……!」
リリアの胸は人としての憤りと、当主の責務に殉じた母への理解で揺れた。
それ以上は言葉にならない複雑な想いに、ただ唇を噛み締めるしかなかった。
語り終えたアイリスは眉間に皺を寄せ、深い哀惜を滲ませる。
机の上で組んだ手を微かに震わせるその姿は、まるで懺悔をしているかのようだった。




