第82話 失われた絆
リリアとシルベリアが話していた頃──
療護室で眠るアストの傍らには、献身的に付き添うミアの姿があった。
目覚める様子のないアストの手を握り、ミアはその顔を見つめ続けていた。
そこへ、鍛錬から戻ったルシアナがやってきた。
数日前に目を覚ました彼女は、重傷であったにも関わらず、不安を紛らわすかのようにその身に鞭を打っていた。
「ミア。心配なのは分かるが……
じっとしていても心が沈む。一緒に鍛錬でもどうだ?」
額に汗を浮かべながら、ミアの元へ歩み寄るルシアナ。
「ルシアナさん、何言ってるんですか!
あなたは安静にしてないと!片腕が無くなったんですよ!?」
少し離れたところから声を荒げるカンナ。
ルシアナの後を追いかけるように、彼女も慌ててミアの元へ走り込んできた。
「もお、ルシアナったら……
カンナさんを困らせちゃだめだよ。
それに、ハンスが帰ってきたら怒られるよ?」
ミアは悲しげな表情を隠すように、無理に微笑んでみせた。
「それはそうかもしれんが……
やはり騎士として、じっとしているのは性に合わん……」
ルシアナは眉間に皺を寄せ、残った左腕で頭を掻いた。
だが、利き腕を失ったことにまだ慣れない様子で、その動きはどこかぎこちなく見える。
「騎士ってほんと……
みんなこんな感じなんですかぁ……?」
「うーん……どうなんだろ……」
ミアとカンナはルシアナを眺めてそう言うと、呆れ果てたように顔を見合わせた。
その時だった──
「……う……いっ……!」
アストが僅かに身体を動かし、額を手で押さえながら声を漏らした。
頭に痛みが残るのか、どこか険しい表情を浮かべている。
「……っ!……
アスト!目が覚めたの!?」
ミアは椅子を倒して勢いよく立ち上がり、アストの手を強く握りしめた。
「どこか痛むの……?アスト……」
震えた瞳には涙が溜まり、今にも溢れ落ちそうだった。
「アスト!身体は無事か!?」
そう言って一瞬安堵したルシアナだが、すぐに表情を引き締め、カンナに声をかける。
「カンナ……!
すまないが、医者を呼んできてくれ!」
「は、はい!すぐ呼んできます!」
ルシアナの声に応じ、カンナは療護室の奥へ急ぎ駆けていった。
「……ここは……あれ、ミア?」
アストは額を押さえたまま、ゆっくりとミアへ視線を向ける。
「アスト……!うう……
よかった……よかったあああッ!」
ミアは張り詰めていた気持ちを吐き出すように声を上げ、泣きながらアストの胸に顔をうずめた。
「……え!?えっと……何が……」
アストは戸惑いながら周囲を見渡した。
しかし、彼のその様子にはどこか違和感があった。
「……おい、アスト。様子が変だぞ?
やはり、まだ寝ていた方がいいのではないか?」
アストの顔を覗き込むように、不安げに声をかけるルシアナ。
ところが──
アストの口から返ってきたのは、信じられない言葉だった。
「えっと……あなたは……?」
アストは怪訝な顔を浮かべ、ルシアナを見つめる。
その言葉を聞いたルシアナは、一瞬、呼吸を忘れたように固まった。
「おい、アスト……
お前……何を言ってるんだ……?」
「……えっと、ミアのお知り合いですか?」
そう言って首を傾げるアストに、ミアは慌てて間に入った。
「アスト、何言ってるの……?
ルシアナだよ……ずっと一緒にいたのに、忘れたの?」
しかしアストは、状況を飲み込めない様子で目を瞬かせていた。
「ルシアナ……さん?
す、すみません。全然思い出せない……」
その言葉に二人は唖然とし、声を失った。
彼の口から出たその呼び名──
それを聞いたルシアナは、苦しくなる胸を強く押さえた。
そこへ、医者を連れたカンナが走ってきた。
「お待たせしました!お医者さんを──
あれ?二人ともどうしたんですか……?」
その場を包む重い空気を察したカンナ。
ミアとルシアナは、彼女に今起きた出来事を話して聞かせた。
「そ、そんな……」
カンナはそれ以上の言葉を見つけられず、医者も驚き、アストの顔を覗き込む。
少し間を空け、カンナは恐る恐る尋ねた。
「私のことも……わかりません、よね……
私はカンナと言います。ここがどこだかわかりますか?」
その問いかけに、アストは困惑した表情でゆっくりと答えた。
「いえ、まったく……。孤児院でミアと合流して……
その後は、近くの街で宿に泊まっていたはずなんですが……気づいたらこの有様で……」
三人は息を呑んだ。
その横で、医者は少し戸惑いながら告げた。
「気を失うほどの精神的な──
受け入れ難い光景や何らかの情報が原因で……
ある時期以降の記憶に、脳が蓋をしてしまったのかもしれません……」
「なぜ、そんな……
ミア以外……誰も覚えていないのか……?」
ルシアナは視線を落とし、握った拳を震わせながら言葉にできない悔しさを滲ませた。
ミアはアストの手をそっと握りしめたまま、震える瞳で彼を見つめるしかなかった。
アストはその三人の様子に、自分が置かれている状況を必死に理解しようと試みた。
だがどんなに思考を巡らせても、彼女らになぜこんな顔をさせているのか、全くわからなかった。
「ミア……お二人も……
本当にすみません……僕のせいで……」
誰よりも困惑しているはずなのに、周りを気遣うように落ち込むアストの姿に、三人の胸はさらに締めつけられていった。
「いや、すまない……
ひとまずは、目覚めただけでもよしとしなければな。」
ルシアナはミアの肩に手を添え、苦笑いを浮かべた。
「……うん、そうだね。
目が覚めてほんとによかった。おかえり、アスト。」
「……うん、ただいま。」
ミアの言葉に、アストは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
長い時間で育まれた彼らの絆──
しかし、突如失われたその絆はあまりにも大きく、そしてあまりにも痛ましかった。




