第79話 誰もが願うもの
ゼルドアの巨体は静かに横たわる。
それは、先程まで暴虐の限りを尽くした鬼神とは思えない姿だった。
ハンスはその亡骸をじっと見下ろす。
彼の瞳に映るのは憎むべき敵なのか、それとも亡き父なのか、彼自身にも分からなかった。
ただ、今そこに横たわるのは、たった一人の女性を愛し、普通の幸せを願っただけの一人の男の姿にしか思えなかった。
「いかん……ルシアナ!
──おい!ルシアナは無事か!?」
ハンスはふと我に返り、ルシアナたちの元へ駆け寄る。
そこに戦神の威圧はなく、拳は震わせながらただ仲間の身を案じていた。
「なんとか、応急処置はしました!
リリアさんの魔術のおかげで血も止まっています!」
カンナが立ち上がり、敬礼するように声を張る。
「安心しろ。今は気絶しているだけだ。
ひとまず命に別状はない。ただ……」
リリアは言い淀んだ。
「腕は消し飛んだからな……
さすがに、無いものを生やすような奇跡は起こせん……」
「そうか……
ルシアナには謝ら──」
ハンスは眉間に皺を寄せ、静かにうなだれていると、それを遮るようにレイナードが声を上げた。
「ちょっとー?俺の心配はー?」
飄々とした彼の姿に、リリアは呆れたように告げた。
「仮にも聖法騎士団団長だ。
その程度問題なかろう。騒ぐな。」
冷たく言い放つ彼女だったが、その表情には彼の無事に安堵する色が滲んでいた。
「ひっどいなぁ……!
いやぁしかし、無様な姿を晒してしまったねぇ……」
「仕方なかろう。奴の強さは異常だ……
アローナの足掻きがなければ、あそこに横たわるのは俺だったかもしれん。」
ハンスは険しい顔を浮かべたまま、ゼルドアの亡骸へ視線を向けた。
レイナードはそんな彼の心の底を察するように、苦笑いを浮かべる。
「さっきの……続きは言うな。
ルシアナは、そんな言葉望んじゃいない。」
「……」
ハンスは言葉を失う。
「彼女も騎士だ。覚悟を持って戦場に立っている。
謝罪や後悔は彼女への侮辱だ。それを言ったら……俺が君を許さない。」
レイナードの言葉には、騎士の誇りと抑えきれない悔しさが込められていた。
彼の言葉を聞き、リリアはルシアナの頰に手を添えながら言葉を紡ぐ。
「そうだな……
お前は一言、“助かった、礼を言う”と言ってやればいい。」
リリアはそう言って立ち上がると、ハンスの肩を叩いて続けた。
「だがもし、それでは気が済まんと言うなら……
お前がルシアナに似合う義手でも用意してやれ。」
ハンスは静かに目を閉じると、ふっと気持ちを落ち着けるように笑う。
「ああ。最高のものを俺がつけてやる。」
彼は苦笑いを浮かべながら、静かにルシアナを見つめた。
「なあ、リリア。」
「なんだ?」
「奴を、弔ってやりたい。構わんか?」
リリアは少しだけ目を伏せ、静かに頷いた。
「ああ。好きにするといい。
遺体はあとで、騎士たちに運ばせる。」
「礼を言う。」
ハンスは口元の血を拭い、ゼルドアの亡骸へと歩み寄った。
「自分だけ、満足したような顔をしおって……
──なんとも身勝手な男だ……なあ、父よ。」
その言葉は怒りとは違う、どこか寂しげな響きを持っていた。
ハンスは静かに片膝をつくと、ゼルドアの亡骸に短い祈りを捧げた。
そして、再びリリアたちの元へ戻り、ルシアナをそっと抱き抱える。
五人は亡骸に背を向けると、大聖堂へ向け、静まり返った倉庫を後にした。
◆◆◆
全てが終わり、倉庫を静寂が包む中──
物言えぬ鬼神の前に歩み寄る、怪しくも優麗な影があった。
「うふふ。鬼神まで退けたのねぇ。
あの子たち、ますます気に入ったわぁ。」
影の主は、シルベリア。
彼女はふわりと柔らかい笑みを浮かべながらも、その表情とは裏腹に、凍りつくような声を響かせる。
「もう、あそこも必要ないわねぇ。
放っておいてもいずれ潰されるでしょうけど……
余計な口は、自分で塞いでおいた方が安心かしらぁ。」
怪しく微笑むその姿は、美しくもあり、しかし確かな闇を纏っている。
「ふふふ。あなたたち、行くわよぉ。」
シルベリアの声とともに、周囲に身を潜めていた暗部たちが動き出す。
彼女は連なる影をその背に従え、暗闇の中へと溶けるように姿を消した──




