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第75話 過去の悲劇

 ゼルドアの口から語られた過去──


 それは深く、静かに蠢く帝国の過ち。

 彼の言葉全てが、四人の心を深い悲しみの鎖で締めつけるようだった。


 ◆◆◆


 ──37年前。


 まだ若かったゼルドアは、帝国軍の軍曹として軍務に励んでいた。

 彼は類稀な武才に恵まれていたものの、優しいその性格は争いごとに向かなかった。


 「まったく……

  親父殿の頭は帝国一色だな……」

 ゼルドアは、いつものように愚痴をこぼす。


 父は帝国軍元帥イゴール・オルデイン。

 愛国心の塊であり、帝国のためなら家族すら犠牲にする男。


 「武才のみの役立たずが。

  貴様はもっと、アドルフを見習わぬか。」

 イゴールの、冷たく重い声が響く。


 武才はあれど、目立った功績のないゼルドア。

 イゴールは、そんな彼にあまり関心がなく、代わりに軍略の才に恵まれた、弟アドルフを溺愛していた。


 しかしそのおかげか、ゼルドアは比較的穏やかな任務に就かされ、平凡ながらも温かな日々を送っていた。


 「ただいまー。今日も小言だ……

  任務より、親父殿の相手の方が疲れるよ……」


 帰るなり愚痴を呟くゼルドア。

 そんな情けない姿を見せても、妻タニアは、いつも穏やかな笑顔で迎えてくれる。


 「おかえりなさい、ゼル。

  ふふ。またこってり絞られたのね。」


 「そうそう。よく飽きないよ、ほんと。」


 「もう、ダメよぉ。

  あまりお義父様を悪く言っちゃ。」


 春の陽気に包み込まれるような声。

 彼女の温かなその声が、ゼルドアにとっては何よりの癒しだった。


 ある日──

 いつものように帰宅したゼルドアを、タニアが満面の笑みで迎えた。


 「どうした?今日はやけにご機嫌だな。」


 「うふふ。すっごく良い報せがあるのよ。」


 「なんだ?勿体つけずに教えてくれよ。」


 タニアはそっとゼルドアの手を取り、自分のお腹に添えた。


 「ここに……ゼルの子がいるのよ。」


 「……なっ……!

  それは本当か!俺たちの子が……!?」


 「そうよ。ふふふ。

  これからはパパになるんだから、身体に気をつけないとね!」


 「……ああ、そうだな!

  ありがとう、タニア。愛してるよ。」


 ゼルドアは涙を溜め、そっと彼女を抱きしめる。

 その日、二人の世界を照らす光は、温かい優しさに溢れていた。


 やがて生まれた子は、ハンスと名付けられた。

 ゼルドアの武才と、タニアの愛嬌を受け継いだハンスは、すくすくと元気に育っていった。


 「パパ!抱っこ!」


 「よーし!持ち上げるぞ、ハンス!」


 「ふふっ。ハンスは大きめなのに、ゼルだと軽々ね!」


 この時の二人は、そんな幸せが永遠に続くと思っていた。


 ──だが。

 その幸福は、突然終わりを迎える。


 「ふざけるな、親父殿!

  そんなのあんまりじゃないか!!」


 ゼルドアは怒りに震えた声で叫ぶ。

 そこには、父イゴールの姿があった。


 「帝国の未来がかかっている。

  貴様ごときが、私に歯向かうことは許されん。」


 冷酷な声で、淡々と告げるイゴール。


 なんと、次期元帥に据えるつもりだったアドルフに子が望めないことが発覚。

 その“代わり”として、ハンスをアドルフの養子にすることが決められたのだった。


 まるで、ゼルドアとタニアの意思など、最初から存在しないかのように。


 「やめてください!お義父様!

  それだけは、どうか……どうか!!」

 タニアが泣きながら縋りつく。


 しかし、イゴールは容赦なく彼女を払い除け、泣き叫ぶハンスを抱えて去っていった。


 「くそおおおッ!!」


 ゼルドアは怒り狂う。

 だが、追いすがることはできなかった。


 当時、独裁色をさらに強めていた帝国。

 その頂点である帝国軍元帥の命令は絶対。

 逆らえば、イゴールは例え家族でも躊躇わずに粛清するだろう。


 いくら武才があろうと、軍内に影響力のないゼルドアは無力だった。


 「ハンス……!ううぅぅ……ぁぁ……!」

 タニアの悲痛な嗚咽が部屋を満たす。


 その日──

 3人で歩むはずだった未来は、無惨に断ち切られた。


 ◆◆◆


 それから3年が経った。


 タニアは息子を奪われた喪失感から逃れるためか、心の隙間を埋めるようにティアドイデア教へ傾倒していった。


 それは、宗教国家イデアリンドの国教であったが、あまり良い噂は流れてこない。

 しかし、ゼルドアは彼女の心が少しでも軽くなるならと、その信仰を止めずにいた。


 だが──

 さらなる悲劇が訪れる。


 『ゼル……私、もうあなたとはいられない。

  悲しみに暮れる中でも、あなたといる時間だけは幸せでした。

  ありがとう──先に行く私を許してください……さようなら。』


 そう書かれた手紙を残し、タニアは自ら命を絶った。

 彼女は、イデアリンドに巣食う俗物的な幹部たちに弄ばれ、心を壊されていたのだ。


 ゼルドアはのちに知る。

 ハンスの喪失という深い傷につけ込まれたタニアが、その美しい身も心も、悪辣で憎い欲望に蹂躙されていたことを。


 「タニアああああッ!!そんな……

  なぜだ……なぜ、俺たちばかりがこんな目に……!」


 ゼルドアは絶望の底へ沈んだ。

 息子を奪われ、妻を奪われ──彼の世界は純然たる憎悪に呑まれていった。


 そして、憎悪は世界へ向けられる。


 「イゴール……帝国……イデアリンド。

  この世界も……星も……全てだ……」


 ゼルドアの瞳は濁る。

 深く、深く、底知れぬ闇に染まる。


 「俺が味わった絶望を──

  世界の全てに、等しく与えてやろう……」


 心優しかった男は、この日死んだ。


 そして──

 深い闇を纏う男は、憎悪の炎に焼かれた“復讐者”として生まれ変わった。



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