第72話 脅威の襲来
アストの身体から噴き上がる魔力は、どんどん膨れ上がっていた。
その異様な気配に、アローナは瞳を輝かせ、歓喜の声を上げた。
「あああ……アスト様!いえ、調停者様!
そのまま世界を、燃やし尽くしてくださいませえええッ!!」
頬を赤らめ、まるで想い人に縋るようなその表情は、彼女の心が完全に壊れていることを雄弁に物語っていた。
そんな彼女の不快な声に反応するように、アストはゆっくりと立ち上がり、囁くように声を漏らす。
「……ディ……アナ……」
そのまま静かに、アローナへ向けて手をかざした。
次の瞬間──
噴き上がる魔力が、アストの腕に収束する。
そして轟音を従え、アローナに向かい迸った。
「なっ……!?」
放たれた魔力はアローナの半身を削るように突き抜け、その肌を焼き、爛れさせる。
「うがあああああッ!!?」
アローナは床を転がり、悲痛な叫びを上げた。
悶える声を押し殺しながら、喉の奥から濁った穢音を響かせる。
「な、ぜだ……意識が、ある……のか……?」
アローナは震える手で床を掴み、震える身体を持ち上げ、縋るようにアストを見据えた。
アストはゆっくりとミアへ歩み寄り、縛られた彼女を静かに見下ろす。
その瞳には、もはや本来の優しさはないようにも見えた。
「アス……ト……?」
ミアは、怯えた声で問いかける。
アストはまるで別人のような気配のまま、しかし、いつもの優しい声で囁いた。
「ディアナ……無事だったんだね。」
その声は、今まで通りミアに注がれるものでありながら、彼ではないようにも感じた。
「アスト……」
ミアの声には、複雑な想いが滲む。
その声のおかげか、渦巻いていた禍々しい魔力は、アストの胸へと静かに収束し始めた。
だが──
彼が口にしたのは、知らないはずの少女の名。
「アスト……私は……」
ミアはそう言いかけて、口を噤んだ。
「ううん、ありがとう。
助けに来てくれて、すごく嬉しい。」
ミアは“違う”と言いかけた言葉を飲み込み、彼の優しい声に身を任せた。
「帰ろう、ディアナ。」
「……うん。」
アストはミアの手を引き、ゆっくりとリリアの元へ歩き出した。
「おい、アスト……
お前は……アスト、なのか?」
リリアが恐る恐る問いかける。
アストは微笑み、穏やかな声で答えた。
「リリアさん。僕は僕です。
ほら、ディアナも取り返しましたし、早く帰りましょう。」
「ア、アスト……お前……
そこにいるのはディアナなどでは……」
そう言いかけたリリアに、ミアは首を振って止めた。
「……今はいいの。
それより早く、みんなのところへ帰ろう?」
つい先ほどまで、腕を切り落とされる恐怖に晒されていたとは思えないほど、ミアは気丈に振る舞っていた。
その姿を見て、胸を引き裂かれそうな痛みを覚えながらリリアは小さく頷き、二人にそっと歩み寄る。
「……ううう……ま、てえええッ!
調停者様……世界、を……おおおおッ!!」
アローナの怒りとも悲しみともつかぬ叫びが、不協和音のように響き渡る。
暗部たちはアローナの狂乱と仲間が受けた傷を恐れ、近づくことができないまま後ずさりながら道を開けた。
「……いくぞ、二人とも。」
「……うん。」
リリアは周囲を警戒しながら、二人を庇うように出口へ向かう。
その時──
アストが突然、力尽きたように崩れ落ちた。
「おい!アスト!?」
リリアは驚き、彼を抱きかかえる。
ミアも動揺しながら彼に寄り添い、縋るように声をかけた。
「アスト!どうしたの!?ねえ!!」
しかしアストの呼吸は浅く、眠ったように動かない。
必死に呼びかける二人の声は、その耳に届いていなかった。
そんな中──
倉庫に突如、爆音が鳴り響く。
屋根に大きな穴が開き、ガラガラと瓦礫が崩れ落ちてくる。
「きゃっ!!」
「なんだ!?」
リリアは咄嗟に、聖銀の籠手から複数の聖銀剣を束ねた幕を造り出し、降り注ぐ瓦礫を受け止めた。
「き、さまああッ!何をしにきた!?」
奥からアローナの怒号が響き渡る。
リリアとミアが視線を向けると──
そこには、ハンスを思わせる威容を湛えた謎の男が立っていた。
魔蒸気を噴き上げる黒鉄の義肢。
そして、獣のような鋭い眼光。
「な、んだ……あいつは……?」
リリアが唖然と声を漏らす。
彼が放つ異様な気配に、その場にいる者全てが凍りつく。
新たな脅威をその身に宿し、突如現れた男は、静かにアストたちを見据えていた。




