第70話 永き因習の果て
レイナードが、郊外で襲撃を受けていた頃。
五人が集まる大聖堂では、新たな動きがあった──
突如として現れたのは、アローナの遣いと思われる黒外套の男。
その姿をリリアは、鋭い眼光で威嚇し、分かりやすく殺気を放つ。
「貴様、何者だ!」
「もしかして、アローナさんの……!
ミアをどこへやったんだ!?返してくれ!!」
アストも怒りを滲ませ、声を張り上げる。
ハンスとルシアナは立ち上がり、カンナは銃を構え、男の一挙手一投足を逃すまいと睨みつけた。
しかし──
男は敵意を見せず、両手を上げて淡々と口を開く。
「アローナ様より言伝でございます。」
「言伝……?」
アストが唖然とする中、男は続けた。
「救済者を無事に取り戻したければ……
アスト様とリリア様のみで、倉庫群にある“例の拠点”へ来るように、とのことです。」
「例の拠点……
暗聖裁派の拠点か……!」
リリアは眉間に皺を刻み、怒号を飛ばした。
「はい。それでは……
私はこれで失礼いたします。」
「待て──!」
リリアの制止を意に介さず、男は踵を返すと、建物の影へ溶けるように姿を消した。
「間違いなく、罠だろうな……」
ハンスが低く唸る。
「私たちも行きます!」
ルシアナが声を上げた。
「いや、ミアに何かあったらいけない。
彼女の言う通りにするしかない……」
俯きながら呟くアスト。
「だが……!
お前の身に何かあったらどうする!?」
そう言って詰め寄るルシアナに、アストは目をまっすぐ見据え、静かに告げた。
「心配してくれてありがとう。
でも……リリアさんもいるし、大丈夫だよ。」
「……アスト……」
「安心しろ、ルシアナ。
アストもミアも、必ず無事に連れて帰る。」
そう力強く告げるリリアに、ルシアナは唇を噛み、視線を落とした。
「……分かりました……」
「ルシアナよ、俯く暇はないぞ。
いつでも踏み込めるように準備しておくんだ。」
そう言って、ハンスは鼓舞するように彼女の背を叩く。
「……はい!すみません!」
自らの頬を叩き、気を張り直すルシアナ。
その姿を見たカンナも、二人に続くように頼もしく声を上げた。
「私も、いつでも援護できるようにしておきます!」
だがその横でただ一人、レオンだけは眉間に皺を寄せ深く考え込んでいた。
「なぜ、わざわざアストを呼び出す……?
ミアが供物……何か意図があるのか……?」
言葉にできない、嫌な予感が頭をよぎる。
レオンは大聖堂に残った者たちの目を盗み、慎重に距離をとりながら、アストとリリアの跡を追った。
◆◆◆
大聖堂を離れ、アストとリリアは倉庫群へ向かっていた。
薄暗い路地を抜けた先──
かつて、アルベドが暗聖裁派を束ね、暗躍していた拠点の前に立つ。
「ここが……」
アストは息を呑んだ。
以前はその存在を悟られぬよう、ただの倉庫と変わらぬ場所だったが──
今は禍々しい気配が漂い、そこが、普通ではないと一目で分かる。
「お待ちしておりました。どうぞ、中へ。」
入り口を見張る暗部たちが、二人を中へ招き入れた。
中は薄明かりに照らされ、冷ややかな空気が満ちている。
そして──
中央には椅子に縛り付けられたミア。
その隣には剣を携え、静かに立つアローナの姿があった。
「ミア!!」
「アストッ!」
ミアの声を聞き、アストは胸を撫で下ろした。
ひとまずは無事──それだけで、胸の奥が締め付けられる。
「アローナ!貴様、なぜこんなことを……!」
リリアは、怒りと哀惜を滲ませた険しい表情で問いただす。
しかしアローナは、まるで悍ましいものを見るようにリリアを睨みつけた。
「……なぜ、ですか?」
その声は冷たく、深い憎悪を孕んでいた。
「貴人本家として、この世に生を受けた……
生まれながらに“何者であるか”を約束されたあなたには、きっと分からないでしょう。」
アローナは淡々と、しかし確かな怒りを込めて言葉を紡ぐ。
「私の母は、血を絶やさぬために生まれた“あなたの予備”でした。
けれど、優秀すぎたあなたは、異例の若さで次代の当主となることが決まった……」
彼女は憂うように視線を落とし、刃を握る拳に力を込めて震わせた。
「そして分家として家族と隔てられた母には、すぐさま男があてがわれました。
そこで、愛のない二人の間に生まれたのが、私という“次の予備”なのです。」
アストは息を呑み、リリアの横顔を見る。
微かに瞳を揺らすその表情は、怒りとも悲しみともつかぬ複雑な様相を浮かべていた。
追い討ちをかけるように、淡々と話し続けるアローナ。
その表情には憎しみだけではなく、この世界に対する憂いも宿っていた。
「若くして、愛のない子を産まされた母は……
私がまだ幼い頃に、精神を病んで亡くなりました。
ルベリオス家が……あなた方当主が、自らの血族である母を殺したのです!」
リリアの生家であるルベリオス家の因習。
必ず姉妹を産み、当主に何かあった時のための“予備”とする。
そして、アローナもまた、古より続く因習の犠牲者だった。
「だが、私には子はいない!なにより……
分家だからではない……“お前を”信頼していた!
次の神官長の座を……託すつもりだったのだぞ!?」
リリアは必死な声で、説得するように彼女に言い放つ。
そんな彼女を見て、酷く憐れむようにアローナは薄い笑みを浮かべた。
「信頼……次の神官長……
ふふ、滑稽ですね。そんなもの……
あなたが去った後、私に求められるものが何か、分かりませんか?」
その笑みは、悲しみと憎悪が徐々に強くなっていく。
「あなたが拒絶した因習の継続……
私が受け皿となり、“子”と“予備”を産むことです。
数千年続く、古く、永き因習は──
あなたの正義感ごときで、無くなりはしないのですよ。」
リリアは、それ以上何も言えなかった。
自分の意思だけでは何も変わらない、そんなことは分かっていた。
「……私は、アルマを……
そしてお前を、ただ軽んじたくなかっただけだ……」
神官長の座を譲れば、今は亡き妹のアルマもアローナも救われるのではないか、と甘く考えていた。
まさか、分家となった妹や彼女が、ここまで追い詰められていたとも知らず──
「そうだとしても……!
なぜミアたちを傷つける?
……そこに、どんな理由がある!?」
リリアの問いに、アローナは声に含む感情はそのままに、恍惚とした表情を浮かべながら語り始める。
「ティアドイデア教の神──いえ、調停者様は素晴らしい。
腐り、濁ったこの世界を、全て無に帰すことができるのですから。」
薄明かりの中、アローナの濁った瞳が鈍い光を帯びる。
「“救済者”は、調停者様をお迎えするためのエサです。
そして私は確信している。アスト様こそ──
この世界をまっさらな焦土に変える、調停者様なのです!」
「な、何を言っている……?
アストが調停者だと……!?」
リリアは驚愕し、声を張り上げた。
その瞬間──
アローナから注がれた視線は、アストの背筋を不快に撫でる。
胸の奥底を貫くようなその瞳は、純然たる世界への憎悪と、終焉への渇望を孕んでいた。




