第63話 蠢く不穏の影
時は少し遡り、アストたちが聖域へ向かう準備を整えていた頃──
ドワーガ帝国帝都にある帝国軍本部の執務室には、机に向かい、額を手で押さえたまま俯くエリオットの姿があった。
先の大戦による混乱を収めるため奔走していた彼は、ここへ来てようやく落ち着つけるはずだった。
しかし、戦後の混乱が収束し始めた今になり、彼の胸にはどうしても拭えない“違和感”が芽生えていた──いや、すでにあったその違和感に、今さら気づいたというべきかもしれない。
エイデン・ダイナス軍曹の死のきっかけ。
確かにハンスの旧友ではあるが、彼は家族を何より大切にしていた。
そんな彼が危険を冒してまで、帝国最重要兵器である“グングニル”を持ち出そうとするハンスを手引きするなど、冷静になって考えれば本来あり得ないことだった。
あの頃は考える余裕もなかったが、やはりあの行動は不自然に思えて仕方なかった。
エリオットは俯いたまま深く息を吐き出すと、執務室に部下を一人呼び寄せた。
「イルガ大佐、忙しいところすまんな。」
執務室には、軍服の襟を整えたイルガ・デルバン大佐が姿を見せる。
「失礼いたします、元帥閣下。ご用件は?」
突然の呼び出しに少し顔を強張らせるイルガに対し、エリオットは険しい表情のまま静かに告げた。
「イルガ大佐。少し気になることがある。
──エイデンについて、詳しく調べてくれないか?」
思いがけないエリオットの言葉に、イルガは一瞬だけ目を瞬かせ尋ねた。
「亡くなったエイデン軍曹ですか……?
あの……失礼ながら、なぜ今さら?」
「少し、気になることがあってな。
彼が処刑に至るまでの行動や、周囲の反応を洗い直してくれ。」
それは短く、しかし重い言葉だった。
イルガは怪訝な顔を浮かべながらも、姿勢を正して深く頷いた。
「承知しました。」
そう言ってイルガは執務室を後にする。
「エイデン……」
エリオットは椅子に深く身を預ける。
彼がハンスや自分と近しいのは間違いない。
だがそれでも、任務より名誉より、何よりも家族を守ることを選ぶ男だった。
そんな彼が帝国軍の監視を掻い潜り、グングニルを持ち出すなど到底信じられない。
それにいくら腐ってはいても、大国が誇る軍事の要である帝国軍が、そんな大それたことを見逃すほど甘いはずはない。
「……何かがおかしい。」
囁くようにそう漏らすエリオットは、胸の奥に広がる嫌な予感を振り払えずにいた。
そして──
その予感は数日後、最悪の形で現実となる。
イルガ大佐が再び執務室を訪れたのは、調査開始から四日後のことだった。
「元帥閣下。申し上げにくいのですが……
エイデン軍曹についての調査結果が出ました。」
「……聞かせてくれ。」
エリオットが書類から顔を上げると、イルガは息を整えて報告を始めた。
しかし、その声は何か恐れを抱くように微かな震えを帯びていた。
「まず……エイデン軍曹の遺体ですが──
禁忌魔術による“人体改変”が施された、別人であることが判明しました。」
「なんだと……!」
エリオットの表情が凍りつく。
イルガも顔を強張らせたまま報告を続けた。
「はい。骨格などの外見はエイデン軍曹そのものでしたが……
血中の魔力反応や体組織の構造……全てが一致しません。」
エリオットは拳を握りしめて呟いた。
「では、本物のエイデンは……?」
イルガは視線を落として報告を続ける。
「家族の証言によれば、ある日を境に“別人のようだった”と。
任務や出向を理由にほとんど帰らず──
稀に帰っても、まるで自分たちを家族と思っていないような態度だったとのことです。」
エリオットは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……その時にはすでに……
本人は殺されている可能性が高いな……」
「ええ……そして、遺体の正体ですが──
宗教国家イデアリンドの信者であることが判明しました。」
エリオットは視線を上げて眉間に皺を寄せると、訝しむように声を漏らす。
「イデアリンドだと?確か……
星そのものを神と崇めるティアドイデア教徒の集まりだったな?」
「はい。ご存知の通り、表向きは星との調和を謳う国ですが……
最近では裏で軍備を増強、勢力を拡大しつつ諸外国への影響力を強めています。
その中枢は“調停者”を崇拝し、『世界は星の意志と共に滅びるべき』という危険思想を掲げているようです。」
「狂信者どもめ……!」
エリオットは机を叩き、怒りを露わにする。
その拳は硬く握られたまま微かに震えていた。
そんなエリオットの様子に言葉を濁しつつ、イルガはさらに重い報告を続ける。
「元帥閣下……もう一つ、ご報告が。」
「なんだ?」
イルガは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……前元帥のアドルフ。
彼も、イデアリンドに“唆されていた”可能性があります。」
エリオットは息を呑んだ。
「……なんだと?
……まさか、あのアドルフが……」
前元帥、アドルフ・オルデイン。
帝国と中立国を戦乱へ導き、最後は自ら命を絶った男。
その背後にイデアリンドがいたという衝撃は、エリオットの胸に深く突き刺さる。
「先の大戦の傷が癒え始めた矢先に……
また新たな火種か……しかもこんな……」
エリオットは頭を抱えて唸るように呟いた。
「心中お察しします……」
イルガも険しい表情を浮かべた。
エリオットはゆっくりと立ち上がり、窓の外を見つめながら溜め息を漏らす。
帝都の空は晴れ渡っているが、その青さの奥には“蠢く影”が静かに広がり、こちらを嘲笑っているようだった。
「イデアリンド……
奴ら、何を企んでるんだ……」
静かな怒りと焦りを滲ませた声を漏らし、エリオットは手にした報告書を握りしめた。




