第6話 帝国の思惑
重苦しい沈黙に包まれる広間──
ドワーガ帝国軍本部が置かれるその部屋には、ただならぬ空気が漂っていた。
分厚い石壁に囲まれた空間は外界の喧騒を遮断し、床を弾く軍靴と紙をめくる音だけが響いている。
救済者の少女を捕縛する任務が、失敗に終わったという報告が届いた直後だった。
「……二度もしくじったか。」
帝国軍元帥の低い声が広間に響く──
彼の言葉は、冷たい刃のように幹部たちの胸を突き刺した。
長机に並ぶ幹部たちは、互いに視線を交わしながら次なる手を冷徹に議論し始める。
「次は精鋭部隊を差し向けるべきだ。」
「命さえあれば問題あるまい?」
「他国に渡る前に始末するべきでは?」
「少女を捕らえるためならば、多少の犠牲は仕方ないだろう。」
その言葉には一片の情もなく、ただ任務遂行のための冷酷な算段が並んでいた。
救済者や調停者の存在は帝国にとって脅威であり、同時に利用価値のある資源でもある。
幹部たちは少女を「人間」ではなく「物」としか見ていなかった。
広間の空気はさらに重く沈む──
だが、そこには帝国軍の大将、ハンス・オルデインの姿はなかった。
彼は地方の情勢確認に赴いていたため、この軍議には参加していなかったのである。
一方その頃、地方都市の視察を終えたハンスのもとにも、追手増派の知らせが届いた。
報告を受けた瞬間、彼の眉間に深い皺が刻まれる──
身の丈、二メートルを超える巨躯。
肩幅は常人の倍近くあり、身体の半分近くが機械化され、重武装で覆われている。
その重量は、並の人間なら歩くどころか立つ事すら許さない。
鋼鉄の義肢が軋むたびに、周囲の兵士は思わず息を呑む。
──“戦神“──
そう呼ぶに相応しい威風堂々たる風格と、畏怖を抱く威圧感を放っていた。
戦わずして敗北を悟る者も少なくないだろう。
だが、その瞳は鋭さの奥に人間らしい温かさを宿していた。
「……守るべき国民を──
ましてや少女を追い回すなど、誇り高き帝国軍として恥ずべき事だ。」
ハンスは低く呟いた。
その声には、帝国軍への憤慨と失望が混じっていた。
帝国が少女を捕らえるために次々と追手を差し向けるやり方は、彼の信念に反していた。
戦場で敵を討つ事と、無垢な少女を追い詰めることは決して同じではない。
──彼は決意する。
単身で、放たれた追手を探し出し任務をやめさせる。
帝国の命令に背くことになるが、それでも彼の心は揺るがなかった。
ハンスには、密かに交流を持つ人物がいた。
エルフェリア聖王国、神官長リリア──彼女は時に杯を交わすこともある旧友だ。
ある夜、石造りの街角にある小さな酒場で、二人は向かい合って座っていた。
リリアは神官の衣を脱ぎ、庶民の服に身を包んでいた。
彼女の瞳は深い知性と信念を湛え、“戦神“を前にしても全く臆することはない。
「帝国は、少女を捕らえようとしているようだな。
だが、彼女は──救済者は星に選ばれた存在だ。
彼女の行く末を守らねば、この世界は滅びかねん。」
リリアの声は低く、しかし冷美に響く。
それでいて、確固たる意志を宿していた。
彼女の言葉に静かに耳を傾けるハンス。
彼は杯を掲げ、苦みの効いたビールを喉に流し込んだ。
「……俺もそう思う。
だが、帝国軍──特に元帥閣下は耳を貸さない。
彼らにとって、少女は脅威であると同時に利用すべき力だ。」
リリアは真っ直ぐに彼を見つめた。
「だからこそ、お前のような人間が必要なのだ。
力を持ちながらも、人としての心を失わない、お前がな。」
その言葉に、ハンスの胸に熱いものが込み上げた。
彼は大将でありながら最前線で幾度も血を流し、そのたびに身体の機械部分は少しずつ増えていった。
だが、心まで機械のようにはなりたくなかった。
リリアの元を後にしたハンスを夜風が撫でる。
彼は、帝国の命令と己の信念──
その狭間で揺れながらも少女を守る道を選び始めていた。
「俺は……帝国軍の大将だ。
だが、それ以上に一人の人間だ。
少女を追い詰めることは、俺の戦いではない。」
そう呟くと、彼は騎乗艇に跨り追手の捜索に向かった。
その決意は、その時すでに固まっていた。
帝国の命令に背いてでも“少女のために尽力する“──
リリアと交わした杯の記憶が、その決意をさらに強くした。
夜空には星が瞬いていた。
ハンスはその光を見上げながら、己の信念にかけて心に誓う。
「救済者たる少女を守る──」と。




