第45話 二柱の神
大聖堂に漂う緊張は、先ほどの騒動の余韻をまだ色濃く残していた。
追放された神官の足音は、ゆっくりとこの場から遠ざかっていく。
アストたちは胸の奥に重いものを抱えながら、その足音に耳を傾けた。
やがて、短刀を囲んでいた神官たちが一斉に顔を上げた。
その表情には驚愕と困惑が入り混じっている。
「……終わりました。ご報告いたします。」
代表の神官アローナが、リリアの前に進み出ると、深く息を吸い込んだ。
「短刀に刻まれていた星法紋──
それぞれ“エルラドゥーム”、“ドワラドゥーム”と読めました。」
アストは思わず身を乗り出した。
「エルラ……ドゥーム……?」
アローナは頷き、話を続けた。
「意味は──
“エルフの神”、そして“ドワーフの神”です。」
その場にいた全員が息を呑んだ。
「それぞれに……神様がいるの……?」
ミアが小さく呟く。
アローナは静かに首を振った。
「少なくとも、我々の知る歴史には一切記述がありません。
我々は、“全ての人類が神に創られた“と信じていますが、“種族ごと“というのは──
この世界のどこにも、そんな概念は存在しないはずです。」
リリアも眉をひそめた。
「……星法紋は、聖紋の原型となった古代文字ではあるが……
種族神というのは……私も聞いたことがないな。」
アローナはさらに続けた。
「そして……もう一つ。
私も信じられないのですが……
この短刀には“造られた痕跡”がありません。」
アストは目を瞬かせた。
「造られた痕跡が……ない?」
「はい……。
鍛造の跡も、加工の跡も、魔術的な生成痕も一切ない。
まるで、最初からこの形で存在していたかのように……」
その言葉は、場の空気をさらに重くした。
アストは短刀を見つめ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……そんなことが……ありえるのか?」
リリアは腕を組み、深く考え込んだ。
「星法紋、種族神、そして“造られていない短刀”……
これは、我々の知る歴史の外側にある何かだ。」
その時、アストはふと遺跡で見つけた記述を思い出した。
「リリアさん、そういえば……
調査中に、原初の種族の記述があったんですが……
“ティリス”という種族について、何かご存知ありませんか?」
その名を聞いた瞬間──
空気は張り詰めリリアの表情が一変した。
いつになく険しいその表情は、明らかに何かを警戒している顔だった。
「……“ティリス“だと?
アスト……どこでその名を目にした……?」
アストは驚きながらも答えた。
「あ、えっと……
帝国北部の遺跡にあった石碑に……
古代には“ティリス”という種族がいた、と。」
リリアはしばらく沈黙したのち、神官たちへ向き直った。
「この短刀の件は、決して口外するな。」
「承知いたしました。」
アローナの声と共に、神官たちは一斉に頭を下げた。
リリアはアストたちへ向き直り、低い声で告げた。
「……執務室へ戻る。
──詳しくはそこで話そう。」
その声音には、明らかに“触れてはならない領域”の気配があった。
アストたちは緊張しながらリリアの後を追う。
大聖堂を包む静けさが、その不穏さを際立たせていた。
──その頃。
追放された神官は、街の石畳を重い足取りで歩いていた。
「……くそ……くそっ!なぜ私が……!」
悔しさと怒りで胸が焼けるようだった。
分家とはいえ、自分はルベリオス家に名を連ねる神官。
誇り高き神に、真摯に仕えてきたつもりだった。
それなのに、あの女──
あの“血を穢す売女”に追放されるとは。
そんな歪んだ思想は、一層強く、神官の胸に根を張っていく。
彼は、たった一言で自分を蔑ろにしたリリアに、暗く深い恨みを募らせていた。
「……許せん……絶対に……!」
その時だった。
「おや……
ずいぶんとお怒りのようですね。」
路地裏の影から、黒い外套をまとった男が現れた。
深く被るフードで顔は隠れ、その表情は見えない。
神官は警戒し、身構えた。
「誰だ、貴様……!」
男はゆっくりと近づき、穏やかな声で言った。
「そんなに警戒しないでください。
あなたは──神官、イネルバ様ですね?」
イネルバと呼ばれた神官は眉をひそめた。
「私はもう神官ではない。
リリア様……いや、あの売女に追放されたのだからな。」
男は驚いたように声を上げた。
「これはこれは……
あなたのような優秀な方を追放とは。
見る目のないお方ですね、あの神官長様は。」
イネルバの怒りが再び燃え上がる。
「貴様に……私の何が分かる!
くだらない同情ならばいらんぞ!」
男は微笑むように肩をすくめた。
「同情ではありませんよ。
ただ、あなたが“復讐”を望むのなら──
私どもがお力になれる、というだけです。」
イネルバは息を呑んだ。
「……復讐……?」
男は静かに頷いた。
「ええ。
あなたを追放した神官長リリア。
彼女に一矢報いたいとは思いませんか?」
イネルバは拳を握りしめた。
怒りが、憎悪が、胸の奥から湧き上がる。
「……そんなことが……叶うのか……!?」
男は満足げに頷いた。
「ええ、もちろんですとも。
良い話があります。どうぞこちらへ──」
男は路地裏の奥へと歩き出す。
イネルバは一瞬だけ迷ったが、次の瞬間には男の後を追っていた。
その背中には、もはや“神官”だった頃の面影はなかった──




