第35話 父を超える期待と不安
市場での出来事から二日後──
帝都の朝は、朝霧のような薄い魔蒸気の膜に包まれていた。
魔力管から漏れる蒸気が、朝日を受けて淡く輝き、城門前の広場を幻想的に染めている。
アスト、ミア、ハンス、ルシアナの四人は、
帝国北部の遺跡へ向かうため、城門前に集まっていた。
「……これが、エリオットさんが用意してくれた魔導艇か。
こんな立派な……今度、ちゃんとお礼言わないとな……」
目の前に停められていたのは、帝国軍仕様の小型魔導艇。
黒鉄の外装に魔力管が走り、船体の側面には帝国の紋章が刻まれている。
「聖導船だと目立つからって言ってたね。」
ミアが船体を撫でながら言う。
聖導船よりも小型で、しかし軍用らしい堅牢さと機動性を兼ね備えた造り。
帝国領内を駆け回るのであれば、これ以上に最適なものはないだろう。
「確かに……
聖導船は悪目立ちするかもしれない。
……それにしても、頑強な造りをしているな。」
ルシアナも船体に触れ、間近で見る軍用艇に感嘆の声を漏らしていた。
そこへ、帝国兵が一人足早に近づいてきた。
軍人にしては小柄で、少女にも見えるあどけなさを残す女性兵だ。
彼女は、栗色の短い髪を揺らしながら弾んだ声で告げた。
「皆さま、お待たせしました!
元帥閣下は激務のため見送りに来られず……
“非常に残念だが、あとはよろしく頼む”とのことです!」
兵士は敬礼し、さらに話を続けた。
「私は帝国軍軍曹、カンナ・ハルペジオと申します!
気軽に“カンナ“と呼んでくださいね。
今後、この魔導艇の操縦士として、皆様と共に旅をさせていただきます!」
「え、軍曹……?
私と同じくらいに見えるのに……」
ミアが驚きの声を漏らすと、カンナは照れたように笑う。
「いやいやいや!
嬉しいやら悲しいやら……
これでも30歳でして……あはは……」
「「……えっ……?」」
四人は同時に声を上げ、そして沈黙した。
「見えない……」と誰もが言いたげだった。
そんな四人を尻目に、彼女は懐から徽章らしきものを取り出すと、ハンスに手渡した。
「こちらをお使いください。
──“帝国特監徽章”です。」
「ほお……」
ハンスは、手渡された徽章を怪訝な顔で眺める。
掌に乗るほどの小さな徽章。
黒鉄に金の縁取りが施され、中央には“特監”の二文字と、帝国の紋章が刻まれている。
「必要に応じて、これを提示してください。
帝国の力が及ぶ範囲なら、ほとんどの施設に自由に出入りできます!」
「ええ!……すごいね!」
ミアが目を輝かせて、徽章をじっと見つめる。
「エリオットさん、ここまで……」
エリオットの気遣いに、アストは胸の奥が熱くなるのを感じた。
ドワーガ帝国軍の後ろ盾。
それは、周辺諸国が簡単には手を出せなくなるということだ。
あんなに恐ろしかった存在が味方となった心強さは、簡単には言い表せないものだった。
カンナは誇らしげに胸を張ると、北部の現状について話を始めた。
「北部遺跡周辺は、小国の小競り合いが増えております。
ですが、帝国軍が近隣諸国へ通達を出しましたので、我々に手を出す国はまずないでしょう。」
「それはありがたいな。」
ハンスは腕を組み、満足そうに言う。
「私たちの旅は、どうしても目立ちますからね。」
ルシアナも静かに頷いた。
「帝国が協力してくれるのは大きいね。
これで、余計な争いは避けられるはずだ。」
アストは、安心したように笑みを浮かべた。
「では、早速参りましょう!」
カンナは敬礼し、魔導艇に乗り込むと、各計器のチェックを始める。
四人はしばし、魔導艇を前に立ち尽くしていた。
「こんなに穏やかな出発、久しぶりだね。」
ミアが小さく呟くと、彼女の肩に手を添え、アストはそっと空を見上げた。
北へ向かう優しい風が、彼らの頬をふわりと撫でていく。
「そうだね。
紋章のことも、世界の真実も……
全部、みんなで見つけに行こう。」
胸の奥がざわつく。
期待、不安、焦りと希望。
亡き父──ブライト・リーゼウス。
未だ見ぬ世界の真理に、生涯をかけた男。
アストは、父の背中を追い続けてきた。
だが今、その隣にはミアや仲間たちがいる。
みんながいれば、ずっと追っていた父の背中を、追い越すことができるかもしれない。
そんな期待が、アストの胸を高鳴らせる。
同時に、足がすくむほどの不安も押し寄せていた。
「アスト。」
ミアがそっと袖を引いた。
「大丈夫。私が──みんながついてるよ。」
アストはミアの瞳を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。そうだね。」
「ブライトさんが挑んだ遺跡か──
何があるか、今から楽しみだな!」
ハンスは腰に手を当て、満面の笑みで言った。
「未開の領域──
なんとも、胸が躍るじゃないか。」
ルシアナもそう言って、弾む胸に手を添える。
「みなさーん?置いてっちゃいますよー?」
待ちくたびれたように、カンナが呆れた声を上げる。
「あ、ごめんね……!今行くよ!」
アストは慌ててタラップに足をかけた。
こうして、四人は魔導艇へ乗り込んでいく。
魔蒸気が朝日を帯びて吹き上がり、魔導炉が低く唸りを響かせる。
それに呼応するように、帝国の重厚な城門がゆっくりと開いていく。
その先には、北へ続く壮大な大地が彼らを待っていた。
父が見たかった景色。
父が辿り着けなかった真実の一端。
その先へ、自分たちが行く──
アストは深く息を吸い込んだ。
「父さん……」
期待と不安を胸に抱えながら、一行は新たな一歩を歩み始める。
魔導艇は静かに浮上し、遺跡を抱く北方の地へと動き出した。




