第34話 市場に咲く花
──アストたちが話し込んでいた頃。
三人と別れたルシアナは一人、市場の喧騒の中へ足を踏み入れていた。
「……すごいな。
こんなに賑やかな場所は初めてだ。」
彼女の口から思わず、感嘆と共に独り言が漏れる。
魔蒸気を吹き上げる管が縦横に走る建物と、鉄の匂いや香辛料の香りが漂う独特の空気。
荘厳な聖王国で育った彼女にとって、この雑多で活気に満ちた光景は、胸を躍らせるものばかりだった。
「……香ばしい香りが……
よし……少し覗いてみるか……」
屋台では、見慣れぬ機材で焼き上げた肉串が香ばしい匂いを漂わせ、露店には色とりどりの装飾品が並んでいる。
辺りには、売り子や職人たちの威勢のいい声が飛び交っていた。
ルシアナは屋台で大きな肉串を買い、恐る恐るかじってみる。
「……これは……!おいしい……」
彼女は目を見開き、ふいに笑みがこぼれた。
ここ最近、遺跡での出来事や戦争での緊張が続いていた──
そんな張り詰めた胸の奥が、少しずつ解けていくような気がした。
装飾品の露店では、魔石を使った髪飾りや、魔蒸気仕掛けの小物が並んでいる。
「これ……ミアに似合いそうだな。
こっちはアストに……いや、これは違うか。」
小物を手に取り眺めるルシアナ。
そんなふうに考えながら歩く時間が、彼女にとっては久しぶりの“普通のひととき”だった。
──しかし。
一つ大きな問題が、彼女自身が気づかないところにあった。
煌めく淡い翠光の髪に翡翠に輝く瞳。
絵に描いたような顔立ちと、すらりと伸びた長い手脚。
さらには、聖王国の貴人として育った気品溢れる立ち居振る舞い──
行き交う人々がふと足を止め、露店の主人も思わず見惚れる。
幼い子どもでさえ彼女の前で立ち止まり、目を丸くして見つめていた。
「……どうした、少年?
私の顔に何かついているか……?」
「う、ううん!なんでもない!」
声をかけられた少年は、慌てて走り去ってしまった。
「……?
なんだったんだ?」
彼らの反応も無理はない。
そこに立つ彼女の姿は、この世界では見かけなくなった可憐な天然花が、荒野に一輪咲いているようだった。
「……なんだ……?
やけに視線を感じるな……敵か……?」
鋭いようで鈍感な彼女は、自身が注目される理由など露ほども気づかない。
そして──
「お嬢さん、一人?」
路地から現れた少し粗雑な男は、馴れ馴れしく声をかけてきた。
突然の出来事に、ルシアナは困ったように微笑んでみせる。
「あ、いや……その……」
「いいだろ?ちょっと話そうぜ。
あんたみたいないい女、初めて見たよ。」
不躾に距離を詰める男──
ルシアナは、間合いを取るように一歩下がった。
この程度の男、容易に組み伏せられるのだが、下手に目立つ訳にもいかない。
戸惑う彼女を尻目に男はしつこく付きまとい、ルシアナの腕を掴もうと手を伸ばした。
「……くっ……!」
彼女が仕方なく、男の手首を捻り上げようと構えたその瞬間──
「──おい。」
鉄の義足が地を踏む音と共に、豪気な声が轟いた。
ルシアナは、驚きながら振り返る。
「貴様……“俺の女”に何の用だ?」
そこには、鬼のような形相で腕を組んで仁王立つ、ハンスの姿があった。
少し離れた場所には、屋台の影からこちらを伺うアストとミアの姿もある。
ハンスの風貌を見た男の顔は、わかりやすく青ざめていく。
「……なっ……!?
そ、それは悪かった……
俺は……退散させてもらうよ……」
そう呟くと、男は両手をあげて街路の奥へ消えた。
すでに男のことなど頭にないルシアナは、呆然としながらハンスに向き直る。
「……助けてくれたのは感謝します……
でも……いきなり、その……“俺の女”って……」
彼女の頬はほんのり赤く染まる。
だが、ハンスはその動揺に気づきもせず、珍しく不機嫌そうに言った。
「なんでもいいだろう。
ああいう輩には、これが一番効くんだ。」
「そ、そうかもしれませんが……!」
ルシアナは詰め寄りたいと思いつつも、彼の顔を直視できずにいた。
その様子を見ていたアストとミアは、心配しつつも嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ルシアナ、大丈夫だった?」
「驚いたよね……でも、顔赤いよ?」
ルシアナは慌てて首を振る。
「だ、大丈夫!私はなんともないぞ!」
「ハンス、かっこよかったよ。」
「不躾な輩を追い払っただけだ。」
少しからかうようなミアの言葉に、ハンスは照れくさそうに呟いた。
「でも、“俺の女”は言い過ぎじゃないです?」
「黙れ。ああでも言わねば、あの手の輩は引き下がらんぞ。」
アストが肩をすくめてそう言うと、ハンスは眉を寄せ、不機嫌そうに言い放った。
「そういうことにしときましょうか。」
珍しく、からかうような素振りを見せるアスト。
「ふふ。とりあえずみんなで買い物しよ?」
ミアは微笑み、アストの背中を押して歩く。
「そ、そうだな。」
ルシアナは、照れを誤魔化すように早足になっていた。
市場の喧騒の中、四人の歩みは自然と輪になっていく。
ルシアナは、先ほどまでの緊張が嘘のように和らいでいるのを感じていた。
自分がこんな旅をする事になるなんて──
彼女の胸には、家族の絆のような温もりが広がっていく。
始めはただの“守る側と守られる側”、それだけだった。
しかし、旅の中で育まれたその絆は、いつの間にか家族と呼べるほどの確かなものになっていた。




