第32話 懐かしさを胸に
砂に覆われた大地を進む聖導船。
遠く視線の先には、ドワーガ帝国の国境が近づいていた。
帝国の国境を越えた頃──
アストやミア、ハンスは、胸の奥が微かに熱くなっていくのを感じていた。
もう諦めていた故郷の景色が、今目の前に広がっている。
「私たち……ほんとに帰ってきたんだ。」
「そうだね。不思議な気分だ……」
風に乗って微かに香る魔蒸気。
金属と油の混ざった、どこか温かい街の息遣い。
遠くから聞こえる魔蒸気機関の唸りと、職人たちの威勢のいい掛け声。
──全てが懐かしく心に染みる。
久しぶりに帰ってきたドワーガの街並みは、相変わらずの喧騒と活気に満ちていた。
「……すごいな……
これが、ドワーガの主要都市か。」
ルシアナが目を丸くして街を見渡す。
彼女にとって、ここまで大規模な魔導工業都市を見るのは初めてだった。
魔蒸気を噴き上げる巨大な工房や、街路を行き交う小型の魔導艇。
魔力灯の光が街を照らし、昼夜を問わず活気が絶えない。
「ルシアナ、離れると迷子になるぞ。」
ハンスが笑いながら言うと、ルシアナは少し恥ずかしそうに視線を落とした。
「す、すみません。
初めて見る光景で、つい……
でもなんだか、みんな楽しそうですね。」
「ふふっ。
ドワーガの街はいつもこんな感じだよ。
ちょっと騒がしいけど、嫌いじゃない。」
「僕たち……
ここから始まったんだよな。」
ミアはくすりと笑い、アストも懐かしそうに街を見渡した。
ほんの数ヶ月前まで、当たり前のように見ていた景色。
だが今は、遠い昔の記憶のように胸に沁みる。
ハンスは、ルシアナへ視線を向けた。
「俺たちはエリオットの元へ向かう。
お前は、市場でも回ってくるといい。」
「いえ、そんな!
私もみんなに同行します。」
「俺がいるんだ。心配はいらん。」
ルシアナは、少し遠慮気味に呟いた。
「じゃあ……少しだけ……
何か、お土産を買ってきますね。」
「ああ、気をつけてな。」
ルシアナは小さく手を振り、市場の喧騒へ紛れていった。
彼女を見送ると、ミアが微笑んだ。
「ルシアナ、ちょっと嬉しそうだったね。」
「まあ、あいつはいつも気を張ってるからな。
たまには羽を伸ばす時間が必要だろう。」
そう言って、ハンスも肩をすくめた。
「さて──
俺たちは新たな元帥殿のところへ行くとしようか。」
「はい。」
「うん!」
そう笑うハンスと共に二人も歩き出した。
街の中心部へ近づくにつれ、空気が変わっていく。
喧騒は薄れ、代わりに重厚な静けさが満ちていった。
向かう先は、帝国軍本部──
軍事帝国ドワーガの象徴ともいえる巨大な居城だ。
「……やはり、ここは変わらんな。」
ハンスが呟く。
敗戦したとはいえ、帝国軍本部はその威圧感を失っていなかった。
黒鉄の城壁は空を覆うほど高く、魔導防壁が淡く光を放つ。
重厚な鉄扉を湛える門の前には、重装兵が整然と並び立っている。
ミアは思わず息を呑んだ。
「……なんだか、緊張してきた……かも。」
「まあ、一般人は馴染みがないだろうからな。
しかも、俺たちは“追われていた身”だ。無理もない。」
ハンスは、ミアの頭を軽く撫でて苦笑する。
「でも、元帥のエリオットさんは……
ハンスの友人、でしたよね……?
まさか拘束されたりは……しないですよね?」
恐る恐る尋ねるアストに、ハンスは頷いた。
「まあ、そうだな。あいつとは古い付き合いだ。
暫定とはいえ、今や上官になってしまったがな。はははっ。」
門の前へ向かい歩く三人。
気づいた兵士たちが、冷たく鋭い視線を向けてきた。
「お前たち、止まれ。
──ここは帝国軍本部だ。用件を述べろ。」
ハンスが一歩前に出て告げた。
「帝国軍元帥、エリオット・ホーガン殿に会いに来た。
ハンス・オルデイン、アスト・リーゼウス、ミア・リーゼウスだ。」
兵士たちは一瞬ざわついた。
「……ハンス……あの“戦神“か……?」
「か、確認します!」
兵士の一人が慌てて走り去る。
アストは少し落ち着かない様子で、腰に手を当て俯いていた。
その様子を見たミアが、首を傾げて問いかける。
「どうしたの……?
なんか、ソワソワしてるよ。」
「いや、いざ軍人を目の前にすると……
ミアと出会ってすぐのこと、思い出しちゃって……」
「……そうだね。
あの時は、アストも頼りなかったからなぁ……」
「ご……ごめんね。はは。」
アストは苦笑いを浮かべて軽く頭を掻いた。
「ふふふ、冗談。ちゃんと頼りにしてるよ。
でもほら、今はハンスもいるし、何があっても大丈夫だよ。」
「そうだな。任せておけ。」
ハンスが頼もしい笑みを浮かべる。
やがて、兵士の一人が戻ってきた。
「元帥閣下がお通ししろとのことです。
──歓迎します。どうぞお入りください。」
頑強な門が唸り始める。
重厚な鉄扉が、ゆっくりと口を開いた。
かつて自分たちの暮らしを守り、そして、運命のままに追いたてた帝国軍。
信念のために抗い、逃げ──しかし今度は、自らの足でこの場所に立っている。
アストは胸に手を当て、そっと息を整えた。
「……まさか、ここに……
自分の足で来ることになるなんてね。」
ミアも静かに微笑む。
「うん。でも今は……
堂々と、胸を張っていられるね。」
二人の背に手を添え、ハンスは声をかける。
「行こう。エリオットが待っている。」
三人は、それぞれの懐かしさと緊張を胸に、帝国軍本部へと足を踏み入れた。




