第112話 燻る火種
ラボでの喧騒から遡ること数日前──
帝国軍本部の近くに用意された宿の一室には、朝からベッドに腰掛けるルシアナとミアの姿があった。
ルシアナは片腕であることに慣れた様子で、器用に着替えを済ませていく。先に着替えを終えていたミアは足をパタパタと揺らしながら俯き加減に呟いた。
「アストの記憶……
いつになったら戻るんだろ……」
「どうだろうな……
私は“ルシアナさん”と呼ばれることに慣れてしまいそうだ。ふっ。」
皮肉めいた笑みを浮かべるルシアナだったが、その表情にはやはりどこか悲しげな影を落としていた。
ミアはその心の隙間を埋めるように距離を詰めて寄り添うと、彼女の肩に頭を預けてそっと声をかける。
「大丈夫。アストはみんなのこと大好きだもん。
すぐにまた、“ルシアナ”って呼んでくれるよ。」
「ああ……そうだといいのだが……
焦っても仕方ないしな。その時を、楽しみに待つとしよう。」
ミアの頭に手を添えたルシアナは、柔らかな薄紫の髪をそっと撫でて目を閉じた。
しばらくミアの頭に頰を寄せていたルシアナは目を開け、そっと微笑んで口を開いた。
「アストの記憶を呼び起こすのは、リリア様かもしれないな。」
「リリアさんが?どうして?」
「気づかないか?ふふ、ミアも案外鈍いのだな。
リリア様を見る時のアストの顔は、好いた異性を見る時のそれだ。」
「それは……確かにそうだけど。」
「ふっ。リリア様の魅力は底が知れぬからな。
あの凛々しくも美しいお姿に見惚れるのも無理はあるまい。」
そう言ってリリアのことを自慢げに語るルシアナに、ミアは少し呆れたように眉を吊り上げ、じっと彼女の目を見据えて言い返した。
「ルシアナこそどうなの?」
「なんのことだ?」
「ハンスのことに決まってるでしょ。」
ミアがその名を口にした途端、ルシアナは目を丸くして慌てふためいた。
徐々に頬を赤く染めていく彼女は、ミアから身を逸らして取り繕うように声を上げる。
「な、何を言ってるんだ!
ハハ、ハンスの話は今関係ないだろう!」
「ふふふ。鈍いのはどっちかなー?」
「大人をからかうんじゃない!まったく……」
「あはは。ルシアナが私のこと鈍いとか言うからでしょー?」
「ぬぅ……」
言葉に詰まるルシアナを見たミアは瞳を細めて微笑む。そこにいる二人は、まるでどこにでもいる姉妹のようだった。
アストとミアの二人で始まった家族の時間は、いつの間にか周囲の人たちを深い絆で繋いでいく。ミアの胸には、そんな繋がりへの感謝と温もりが溢れていた。
◆◆◆
その頃──
ハンスとカンナはエリオットの元を訪れていた。小国郡から帝国までの街道に突如現れた検問についての調査結果を聞くためだった。
報告書を手にしたエリオットは、眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべたまま深い溜め息を漏らす。
「少しめんどうなことになった……
我々帝国が秘境周辺の鉱石や出土品を狙っているという情報がばら撒かれてな。
小国郡のある国が、周辺諸国を巻き込んだ反帝国運動に躍起になっているらしい。」
「なんだと?まさか……
帝国は小国郡に攻め込むつもりなのか?」
それを聞いたハンスはあからさまに不快な表情を浮かべて腕を組み、エリオットを睨みつけるように見据えて問いかけた。
「バカを言うな。そんなことをするわけないだろう……
念のため帝国軍内部の調査も行ったが問題はなかった。誰かがデマを流しているらしい。」
それを聞いたカンナは口元に手を添え、俯き加減に考え込むと静かに口を開いた。
「小国郡全体に影響を及ぼせるとなると……
煽動しているのはロカリア共和国でしょうか?」
「ああ。ロカリアは帝国にあまり好意的ではないからな……
その幹部に、恐らくだがイデアリンドの残党が接触したんだろう。」
「また奴らか……どこまでも腐った連中だな。」
「まったくだ。何を考えているかわからんが……
奴らはどうあっても星の救済を阻止したいらしい。」
呆れた声でそう告げたエリオットは、手にしていた報告書を机の上に雑に放った。
そのまま椅子の背に深く身を預けると懐からタバコを取り出し、カチリとライターの音を響かせて火をつける。
「タバコはやめたのではないのか?」
「こんなことばかり起きてはな……
お前らが無事に世界を救ってくれたらまた禁煙するさ。」
「はっ。どうだかな。」
ハンスは顔を顰めたまま鼻で笑い、眉を吊り上げたエリオットはどこを見るわけでもなくぼんやりとした表情を浮かべる。
吐き出された煙は揺ら揺らと立ちのぼり、部屋に苦い香りを残したまま薄く溶けるように消えていった。




