第111話 星とティリス
リリアが放った一閃は、その場に空を切る音だけを残していた。
切られたことを忘れたように遅れて落ちる小指の先は、呆気に取られた周囲の意識が戻る間もなく床に転がり落ちる。
「あ……?あああああ!」
ルドニカが慌ててそれを拾い上げると、ドルテオの指の切り口からはじわりと血が滲み始めた。
だが、ドルテオはボタボタと滴り落ちる血など意にも介さず、痛みで顔を顰めながらも声を荒げてルドニカへ指示を飛ばした。
「おおい!そんなもんいいからナノマギアを魔液から出しやがれえ!」
「は、はい……!」
ルドニカは拾い上げた指を職員の持っていたガラス皿に置くと、慌てて魔液から指先状になったナノマギアを取り出した。
そしてそのまま、急いでドルテオの指の切断面にナノマギアの根本部分を当てがう。
すると──
ナノマギアの血液に触れた部分が生き物のように傷口を覆い始めた。
細く髪の毛のようになった無数の触手が、瞬く間に神経や血管と自身を接合していく。
「な、なんということだ……これがナノマギア……
素晴らしいのは確かだが、なんとも不気味な光景だな……」
リリアは只々息を呑んだ。
黙って見ていたアストやレオンも眉間に皺を寄せ、信じられない光景を前に目を見開いていた。
「これが金属だなんて、実際に見ても信じられないな……」
アストは思考を止めて思ったままを口にした。
「ああ……私も、現実には思えんよ……」
レオンもまた、自身の目を疑うようだった。
「うはははは!こりゃあすげえ!
まだ痛みはあるが、自由に動くし感触もあるぜえ!」
しかし周囲を包む重い空気の中で、ただ一人ドルテオだけは自身の小指に融合したナノマギアを握っては開いてまた握り、まるで無邪気な子どものように笑みを浮かべていた。
そんな彼を眺めながら、ルドニカが不気味な光景に顔を顰めつつもふと疑問を漏らす。
「これを……無意識下で自在に操るなんて……
ティリスとは、一体どのような存在なんでしょうか……」
ふと口をついたその問いに、ドルテオはきょとんとした顔でルドニカを見据え、呆れたように片眉を吊り上げた。
「わかんねえのかあ?生きた金属が目の前にあんだぞ?
ならティリスは“生きた魔導機関であり、生きた聖法紋”ってとこだろうよ。
まあ、生きた魔導機関って部分だけは人類みんなそうなのかもしれねえけどなあ。」
「そ、そんなことが……ありえるんですか?」
「“ありえるのか”なんて疑問は意味ねえからやめとけえ。
目の前の事実と遺された情報が“ある”と告げてんだ……
だったら俺たち研究者は、“あるもの”として考えんだよ。」
「な、なるほど……」
ドルテオの言葉には妙な説得力があった。
確かにそうでもなければ、こんな物質を自在に操るなど説明ができない。
そして恐らく、完全な意味で共存できるのは純粋なティリスのみ。その場の誰もが、頭での理解に心が追いついていないだけだった。
「つまり、ドワーフたちと我々エルフはティリスの御業を羨望し……
その力を追い求めた結果、魔導学や聖導学に至ったというわけか。」
「まあ、そうなんじゃねえか?
俺ぁ楽しけりゃなんでもいいけどなあ。」
ドルテオはそう告げると、自分の指がナノマギアに置き換わったことなど無かったかのように、早速“腕”の制作に取り掛かろうとラボの奥へ向かった。
「あー、そうだ。ルドニカ。
それ捨てとけや。もういらねえからよお。」
「え……!指、捨てるんですか!?」
「あ?腐らねえ指があんだから、腐るもん残してても意味ねえだろがあ。」
「え……えええ……?」
ルドニカは若干引き気味の声を漏らして彼の人間性に疑問を抱きつつも、指を廃棄するよう職員たちに依頼してドルテオの跡を追った。
「ルシアナの腕をよろしく頼むぞ。」
リリアはラボの奥へと向かうドルテオの背に声をかけて見送り、アストたちとともに再び借り受けていた部屋へ戻った。
◆◆◆
部屋に戻ったアストたちは、資料が広げられた机の前にそれぞれが重く腰掛けた。
先ほどの光景とティリスという存在。各々が頭に揺らめく断片を整理するように沈黙する。
三者三様にしばらく考え込んでいると、その沈黙を破るようにふとレオンが呟いた。
「もし私がティリスで、ナノマギアが身近なものだったなら……
手のひらに箱庭でも創って、私だけの小さな世界を楽しめそうだな。はは。」
彼の何気ない言葉を聞いたアストとリリアは、顔を見合わせて目を見開いた。
二人して眉間に皺を寄せたその表情は、何か悟ってはいけないものを感じとってしまったような複雑なものだった。
「ティリスとは“星の民”、でしたよね。」
「ああ……その通りだ。」
アストが確かめるように呟くと、リリアはそう答えて息を呑んだ。
「ティリスが星の力を体現してるとしたら……
人類も……いや、この世界の全てが……
星によって、ナノマギアのように役割を与えられた結果なんでしょうか。」
「我々も“生きた何かしらの集合体”、か。
もしかしたら、そうなのかもしれんな……」
「星に役割を定められた存在か……
案外、その通りかもしれませんね。はは。」
視線を落とし、どこか皮肉めいた笑みをこぼすアスト。
だが二人のそのやりとりに頷きつつも、レオンにはやはり拭いきれない疑問が残る。
「しかし、なんのために……?
仮にそうだとすれば、我々は……
星の気まぐれ一つで、形を変えてしまうのか?」
レオンの呟きが静かに響く──
再び沈黙する三人の胸には、迫るほどに尽きない星の謎が重くのしかかっていた。




