第113話 命を賭けた架け橋
アストたちが帝国に滞在している中、聖王国側も一つの動きを見せていた。
帝国が北の秘境周辺の資源を独占しようとしているという噂はエラルドの耳にも届き、小国郡への諜報活動を開始したものの、その出所はなかなか掴めずにいた。
「こんなデマに浮かされるとは……共和国も落ちぶれたものだな。」
「あらぁ。あの子達、意外と優秀なのよぉ?」
「イデアリンドの残党どもは何をしようとしている?
それと……埃を払うと言っていたはずだが、貴様はなにを遊び呆けているのだ?」
執務室の机の向かい、机上で腕を組むエラルドの視線の先には、豪奢なソファに腰掛けて綺麗に磨かれた爪を眺めるシルベリアの姿があった。
聖鋼の籠手で作り上げたヤスリと爪を水滴で覆って器用に爪を磨き上げるシルベリアは、少々苛立ちを滲ませた声音に対して呆れたように口を開く。
「あなた、ちょっとせっかちじゃないかしらぁ?
埃は払うと言ったけれど、平和のためになんてつまらない理由ではないわよぉ?」
「……なら、貴様自身は何がしたいのだ?」
「ふふ。言わなかったかしらぁ?
私はドワーフとエルフがじわじわと淘汰されればいいと思ってるのぉ。
ただ……気に入った子たちに免じて待ってあげているだけよぉ?」
爪を眺めたまま淡々と告げるシルベリアに、エラルドは深い溜め息を漏らした。
少し間を置き、苛立ちを吐き捨てるように深呼吸をすると呆れた声で問いかける。
「その結果争いが起こり……
貴様のお気に入りとやらが死んだらどうする?」
それを聞いたシルベリアは、薄く笑みを浮かべて艶やかな声を響かせた。
「あらぁ、それならそれで仕方ないわぁ。
私は見届けると約束しただけで、あの子たちを守るなんて約束はしていないものぉ。」
「……約束?誰と?」
「やだぁ、少ししゃべりすぎちゃったわぁ。
ふふ。あなたって聞き出すのが上手ねぇ。」
「茶化すな。」
「んもう、そんなの内緒よぉ。
でも……あなたが私の夫になるなら考えてあげるわぁ。」
「またふざけたことを……」
エラルドは眉間に皺を寄せ、鋭い視線を向ける。彼はそのまま、彼女へ当てつけるようにある決断を口にした。
「ならば、私が帝国の元帥と話をつけよう。
これまで争ってきた帝国と聖王国が正式に手を組んだとなれば……
愚かな小国郡の国々がいくら集まろうと、そう簡単に手は出せまい。」
その力強い宣言に、シルベリアはピクリと耳を動かした。
すらりと伸びる脚を組んだ彼女は膝の上に手を重ね、エラルドをじっと見据えて静かに呟く。
「ふふ。ずーっと争い続けてきた大国が手を組むなんて楽しみだわぁ。
でもあなた……イデアリンドの残党に殺されるかもしれないわよぉ?」
「ちょうどいいではないか。
貴様は埃を払うのだろう?私がこの身をもって集めてやろう。」
その瞬間──
周囲の空気が凍るように張り詰める。
微かに不快さを滲ませたシルベリアは、それでも表情は崩さないまま冷たい声音で問いかける。
「……あなた、自分をエサにして私を利用するつもりぃ?」
だがそんな空気を意にも介さない様子でシルベリアの目を見据えると、エラルドは不敵な笑みを浮かべながら彼女に告げた。
「なんだ、見返りが必要か?
ならば……私を守りきれば妻にしてやっても構わんぞ?」
思いがけないエラルドの言葉に、あのシルベリアが珍しく呆気にとられた表情を浮かべた。
艶やかな銀糸の髪を揺らしながらそっと俯いた彼女は、肩を震わせて嘲笑にも似た感嘆の声を漏らす。
「ふふ……うふふふ。あははは。本気で言っているのぉ?
そんな可笑しなプロポーズ初めてよぉ。
……いいわぁ。あなたを守って、ちゃんと埃も払ってあげる。ふふ。」
楽しげに笑うシルベリアは胸元から首飾りを取り出し、自身の首に巻かれたチェーンを千切ってエラルドへ投げ渡した。受け取ったエラルドは訝しむように首飾りを眺めて問いかける。
「これはなんだ……?」
「聖涙の加護に、私のナノマギアを少し混ぜたものよぉ。
あなたの身に危険が迫ったら少しの間水壁があなたを守り、私に知らせるようになっているわぁ。大切な旦那様に死なれたら困るものぉ。」
「ふっ。気が早いのではないか?」
「ふふ。そんなことないわぁ。
だって、この私が守ると約束したんですものぉ。」
シルベリアは薄く笑みを浮かべて立ち上がると、優麗に靴音を響かせながら軽やかに執務室を後にした。
「まったく……扱いにくい女だ。」
執務室に残されたエラルドはそう言うと、組んだ手に額を預けて深く息を吐き捨てた。
シルベリアが一瞬放ったあの気配は、「いつでもお前を始末できる」という宣告のように彼の背筋を冷たくなぞっていた。
やがてゆっくりと椅子から腰を上げたエラルドはそっと窓に歩み寄り、少し開くと小さく低い声で外へと語りかけた。
「……いるか?」
「はっ……!」
窓の外からは男の声が響く。
だがその声音には微かな怯えが滲んでいるようにも感じられた。エラルドはその怯えを察するように、諦めにも似た言葉を彼に投げかける。
「気づいていたようだな。さすがと言うべきか……」
「も、申し訳ありません……恐らく初めから……」
「気に病むことはない。奴は特別だ。
それよりも、急ぎ帝国軍元帥の元へ向かってくれ。」
「はい!」
エラルドは早速、小国郡を牽制する強固な大国同盟を締結させるため──
そして、自らの命を賭けて敵を炙り出すために、ドワーガ帝国へと密偵を走らせた。




