第6話:論理の蓋、昏い熱
「お前さ、自分のツラを鏡で見たことねえの?」
顔の造りが中の下以下の相手に言ったら、確実に炎上案件な台詞を事もなげに口にする。それが葛城修吾という男だ。
「……は?」
あまりに呆気らかんとした物言いに、俺は拍子抜けした。
脳内を埋め尽くしていた暗澹たる推論が、一瞬で瓦解していく。
「自覚持てよ。顔だけはどう見ても、そこら辺のアイドル十人を束にしたってお前が圧勝するくらいの器量良しだろ? そんな奴の名前、覚えられてないわけねーじゃん。
……まあ、顔『だけ』は昔からいいんだからさ」
念を押すように強調された「顔だけ」という限定。
腹立たしいことに、推理そのものは筋が通っていた。
――名前を淀みなく口にできた理由は、俺が「目立つ個体」だから。
その一点において、あの不気味な違和感には説明がつく。
そう結論づけることで、俺はその日の思考に、無理やり幕を引くことにした。
それにしても。
顔以外は空っぽの「がらんどう」であるかのような言い草だ。
癪に障ること、この上ない。
「……おい、でも」
俺は、まだ胸の奥で燻る最後の火種を口にした。
「お前だって言ってたろ。あいつのこと、どっかで見たことある気がするって」
修吾の、笑っていない瞳。
あの瞬間に感じた共有された「警報」は、顔の良し悪しなどという次元の話ではなかったはずだ。
「それは――」
――ピロン。
間の抜けた着信音が、夕暮れの空気を震わせた。
修吾がポケットからスマホを取り出す。画面を見た途端、その表情が引きつった。
「あっ! やっべ、紗奈待たせてたんだった! メッセージの件数エグい、これマジで怒ってるやつだ。わり! 悪いけど俺、帰るわ!」
「……ああ」
「じゃあなイオリン! パス、次はちゃんと回せよ!」
嵐のような騒々しさを残し、修吾が走り去っていく。
その背中を見送りながら、俺は再び、重い静寂に取り残された。
修吾が言いかけた言葉。
俺が感じた既視感。
結局、何一つ解決していない。
ただ、修吾の軽口という名の「蓋」の下で、得体の知れない不安が、今もなお静かに呼吸を続けている。
(……気のせい、なわけがないだろう)
家路につく俺の影は、いつの間にか、長く歪に伸びていた。
◆
梨亜は、帰宅後の自室で電気もつけず、一枚の古い写真を見つめていた。
迫りくる夕闇が、写真をオレンジ色に染めていく。
色褪せ始めたその紙面の中で、今の自分と同じくらいの年齢をした少女が、穏やかな陽だまりのような微笑みを浮かべている。
(この人のことが、本当に大好きだった。……ううん、今も)
指先で、写真の表面をなぞる。
もう、温もりなど残っていない。
それでも、梨亜はそこから手を離せなかった。
忘れてはいけない。
自分にとって、何よりも大切な人。
そして、その少女の隣で、無愛想に視線を逸らしている幼い少年。
――穂積伊織。
「……貴方だけは、絶対に許さないから」
しんと静まり返った部屋に、湿った声が落ちた。
それが自分の唇から漏れたものだと、梨亜はすぐには気づかなかった。
喉の奥で、昏い熱がチリチリと燻っている。
その熱だけが、今も彼女をこの世界に繋ぎ止めていた。
写真の中の二人は、まだ何も知らない。
梨亜はゆっくりと写真を胸に抱き寄せ、暗闇の中で、ただ静かに目を閉じた。
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