第2話:潔癖な指先
放課後、中庭。
「ほ、ほ、穂積くん!?
えっ! ええええ!!
ゴミ袋破けてる!? うっそ!!
えぇぇ! どこから――っ!?」
あまりの狼狽ぶりに、皮肉を投げるタイミングさえ失った。
……いや、待て。
そもそも、なぜこいつはゴミ袋を四つも抱えているんだ。
「お前、何をどうしたらこんなことになる?」
「えっ? あ、あのね……」
彼女は破れた袋と俺の顔を交互に見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ゴミ捨て場に持っていこうと思っただけなんだけど……」
「四袋もか?」
「うん。あ、でも、最初は一袋だったの!」
聞いてもいないのに、彼女は慌てて説明を始めた。
「帰りにゴミ捨て場に行こうと思って、ゴミ袋を持ってる子に声をかけたの。そしたら、同じ方向だからついでに持っていくよーって……」
「それで?」
「そしたら、別のクラスの子も困ってて。私、どうせ行くところだったから、そっちも持っていくよーって」
「……」
「そしたら、もう一人……」
なるほど。
自分の荷物を運ぶついでに、他人の荷物まで引き受けた。
しかも、相手のクラスも人数も選ばず。
結果、運搬能力の限界を超過した挙げ句、袋を破裂させたらしい。
天然とお人好しの悪魔合体。
自分の損失を一切計算に入れず、他人の問題を無差別に引き受ける。
これが世に言う、善意の自爆装置か。
……笑えない。
思考回路の出来を疑いたくなるが、目の前の惨状は「環境美化」という一点において、看過できないレベルの無秩序を呈している。
俺は至極冷静な事務作業のように、近くの掃除用具入れからスチール製のトングを取り出し、彼女へと差し出した。
「知るか。何にせよ、お前が撒いたゴミは自分で拾え。一粒残らずだ」
「は、はい……! 本当に、その、ごめんなさい。……これ、ありがとう」
受け取る手元が、小刻みに震えている。
叱られた幼児のようなその反応に、俺の調子がわずかに狂う。
無関心を貫くはずの自分の指先が、気づけば予備のトングを掴み、アスファルトにへばりついた湿った紙屑を拾い上げていた。
「あッ! ちょっと、穂積君、いいよいいよ! 私がやるからっ!!」
「知るか。俺は汚いのが視界にあるのが我慢できないだけだ」
無言のまま、二人の影が夕闇の迫る中庭を這う。
五分後。
ようやく「秩序」は取り戻された。
冷たい水の流れる手洗い場。
そいつが洗い終えた後も、俺はなお、蛇口の前に立ち尽くしていた。
ごしごしと、
皮膚が赤くなるまで石鹸を泡立て、
執拗に指の間を擦り合わせる。
網膜に焼き付いた「あの日」の汚れを、今この瞬間も落としきれないかのように。
その異様な様子を、背後で見守っていた梨亜が、消え入るような声で呟いた。
「穂積君、むかし……」
「おーい、りーあー! かーえーろー!!」
校舎に反響する、無遠慮なまでの大声。
佐久間紗奈が、渡り廊下から大きく手を振っていた。
「ってゲッ! 穂積」
俺と目が合った瞬間、彼女は「この世の終わり」でも見たかのような露骨な嫌悪を顔に出した。性格の悪さが透けて見える。
だが、次の瞬間、彼女の瞳がキラリと卑俗な光を宿した。
「あ、ちょっと待って!!
……あー、そういうこと!?
あは、ごめーん梨亜、邪魔しちゃった!
ごめんごめん!」
勝手な解釈、勝手な納得。
その理解不能なノイズは、異星人の交信記録にも近い電気信号に思えてくる。
不快だ。
「紗奈ちゃん、違うの、私、失敗しちゃって――」
彼女の慌てる声を背に、俺は一刻も早くこの場を立ち去ろうと、濡れた手を拭いもせず踵を返した。
「……穂積君! 本当に、ありがとう!!」
遠ざかる背中に投げかけられたその声が、
鼓膜の奥で妙に歪んで響いた。
――いやに、懐かしい。
胸の奥に沈殿していた澱を、冷たい指でかき回されるような、正体不明の不快感。
あるいは、取り返しのつかない喪失への、淡い予感。
「ああ。次は気をつけろ」
振り返ることもなく、俺はただ逃げるように、桜の花びらが吹き溜まる廊下へと足を進めた。




