9 田舎町のお医者様
夜の食堂は、また別の稼ぎ時。
食堂じゃなくて、飲み屋さんになるの。
勿論食事も提供するけれど、お酒が飲める場所が一つでもあると、仕事仲間とのコミュニケーションの場になるわよね。飲みにけーしょん? だったかしら?
仕事終わりに仲間と一杯お酒が飲めるところがあるって、結構大事だと思うの。
勿論、お家に帰って家族と過ごすのも大事。何事もバランスね。
「アニシアちゃん注文よろしく!」
「こっちも!」
「は~い」
うちが一番賑わうのはやっぱり夜だわ。仕事が終わった解放感とお酒の関係かしら。
飲み屋さんって酔っ払いが暴れたりとか、絡まれたりとか、それなりに問題があるけれど、田舎町だけあって皆知り合いなの。私が小さいころから通っている人もいるから、目も当てられないような大暴れは早々起らない。
……時々は、あるのよね。血気盛んな人たちが顔を合わせた時とか、時々。
困った子たち。
陽気なお客さんの間をくるくる回りながら注文を取る。ご飯を食べたらゆっくり会話をするような昼とは違って、夜は食事のペースが速いわ。お酒やおつまみの注文がしょっちゅう飛んでくるの。それを間違えないよう気を付けながら、私は給仕に専念する。
そうそう、お酒。
これも不思議なことに、ワインもビールもカクテルもあったの。日本酒もあるわ。
つまり普通にお米がある。調味料のさしすせそも充実しているし、日本食が当たり前に並んでいるわ。
スイーツだって、クッキーやショートケーキ、タルトやアイスが普通に存在するし、パンもふわふわだし、種類が豊富よ。
塩や砂糖の流通ってどうなっているのかしら。醤油や味噌って大変よね? トリスでは流石に自給自足を越えるものだから、毎週商人から買い取っているわ。
買い取っているけれど、お手ごろ価格で販売されているからこの世界ってわからない。目玉が飛び出すほど高くないし、胡椒が金貨と同等の価値……ってわけじゃないし。
そもそもお金が円なのよね。紙幣や小銭は形が違うけど、数え方が円。
産まれ直した私の頭が、金額を円で翻訳しちゃっているのかしら。
そこのところわからないわ。
でも火属性の魔石でコンロ。水属性で氷室があるのに、電子レンジ、洗濯機や掃除機なんてモノはない。あ、オーブンはあるわ。
科学が遅れているのか進んでいるのかわからないわね。魔法の存在の所為だとしても、あべこべな所がとても不思議な世界ね。
「アニシアちゃん、お勘定」
「はぁい」
お勘定って言い回しも日本的よね。
両親が調理場で頑張っている間、接客は私のお仕事。
大きくて繁盛している食堂だったらてんてこ舞いだけど、小さくてそれなりにお客さんが来る食堂だから、例え席が全部埋まっていても何とかなる。
幸い暗算が出来るから、会計で梃子摺ることもない。ふふ、私の頭の中にはそろばんがあるのよ。
小さい頃はこれのおかげで両親やお客さんから天才だーって持て囃されて照れちゃった。
「こんばんは」
「オスワルド先生」
勘定を終えたお客さんと入れ違いに、新しいお客さんがやって来た。
腰まで長い茶色っぽい金髪。婀娜っぽく眇められている黄緑色の瞳。
医療関係者を表す白衣に身を包みながら、その下の衣服は着崩れていて痩せた首筋のラインがとても色っぽい、なんだかいけない空気のある大人の人。
オスワルド先生は、三年前にふらっとトリスにやって来たお医者さん。
自警団の近くにあった小屋を医療施設に変えた、トリス唯一のお医者さんよ。
彼はゆったりとした動作でカウンター席に座る。お茶を持って行けば、滑らかに微笑まれた。
「今日も忙しそうだね。一日の終わりに君がくるくる踊っているのを見ると、明日も頑張ろうと思えるよ」
「お力になれて嬉しいわ。今日は何にします?」
「今日のお勧めは何かな」
オスワルド先生は困ったさんで、すぐに注文をしないで会話を長引かせる。
注文に悩んでいるのではなくて、おしゃべりが好きなのだと思うわ。場の空気も読める人で、本当に忙しいときはすぐ注文をしてくれるし。
今日は、ちょっと時間があるって判断されたみたいね。大当たりだわ。
私はじっと、オスワルド先生を観察した。
……お昼は食堂に来なかったから、きっと食べなかったか軽く済ませたか程度。
婀娜っぽく浮世離れした空気を纏うけれど、内面は真面目で仕事熱心な人だから慢性疲労を抱えていて、成人男性だけあってガッツリ食べる。
クマはないわね。顔色も悪くない。自主的に食堂に来たから、食欲だってあるはず。
うん、豚肉料理がいいわ! 男の人の疲労回復はお肉が一番。うちの子もお肉を食べたら元気になっていたもの。
昼と夜では日替わりの内容も変わる。今日の昼は鶏肉だったけど、夜は豚肉なの。
定食か丼か選べるわ。ちなみに昼の残りは数が少ないからおつまみ用に変身ね。
でもって、オスワルド先生は丼よりも定食派。となればお勧めは決定よね。
「私からのオススメは、生姜焼き定食です」
「うん、じゃあそれで」
「俺もそれでよろしく」
「テオさん、お疲れ様です」
微笑みながら頷いたオスワルド先生の隣に、大柄な男性が座った。
いけない女教師を男にしたみたいな医者です。




