3 食堂の朝
田舎町トリスは帝国の端っこ。山間にぽつんとある、田舎だけどそこそこ広い町よ。
人通りは多くないけれど、山道はしっかり整備されていて、馬車がすれ違えるほどの横幅があるわ。田舎だから、道幅にとっても余裕があるの。
トリスの隣町は、隣って言うのに語弊があるくらい遠い場所にある。それこそ馬車でゆったり、二日かかる距離にあるわ。
そんなわけで物流は捗らない。トリスではほぼ自給自足で、町で補えない日用品を月一でやってくる商人から仕入れているの。
幸い道がしっかり整備されているから、小さな土砂崩れなどで道が塞がり、町が孤立するような心配は今のところないわ。
そんな田舎町に、旅人や観光客が来るわけがなく、トリスには宿屋がない。
二日かけてトリスに来る商人が泊まるのは、町長の家。そのために町長は一番大きなお屋敷に住んでいて、使用人もいるの。お貴族様、ではないけれど、お貴族様に町を任されているから、商人の歓待もお仕事の内なんですって。
というわけで、泊まる人がいないから宿屋はないの。
喫茶店なんておしゃれなお店も存在しない。
かろうじて、食堂が一つあるだけ。
それが、私のお爺さんが始めた、小さな食堂よ。
食堂の一人娘である私の朝は忙しい。
日が昇るより前に起きて、身嗜みを整える。お父さんお母さんはたいていもう起きていて、朝の仕込みをしている。
今日も階下から物音が響いていた。二人ともいつ起きているのかしら。結構早起きしているつもりなのに、なかなか勝てないのよね。おばあちゃんより早起きなんて、やるわね。
亜麻色の髪を一つにくくりながら、足早に階段を下りる。
我が家は一階が食堂。二階が居住スペースになっているわ。
階段の横にあるカウンターキッチンの調理場をテキパキ動き回る両親が見えた。
「お父さんお母さん、おはよう」
「おはようアニシア。今日も可愛いわ」
「おはよう愛しの娘よ!! 今日は暑くなりそうだから、飾る花は涼し気にまとめてくれ」
「はぁい」
野菜を茹でながらこちらを一瞥し、笑顔で挨拶を返した母のアダ。亜麻色の髪に空色の瞳の、恰幅の良い穏やかな食堂の女将さんで、私のお母さん。
ちょっと大げさな挨拶を大きな声でしてくれたのが、父のトニョ。長い黒髪を空色のリボンで一つにまとめ、仔犬のような黒目がちな目をした、幼い顔立ちのお父さん。
二人とも、十八の娘がいるとは思えないほどに若々しい。
凄く顔が整っている、というわけではないけれど、二人とも愛嬌のある顔立ちをしているわ。そんな二人の子供だから、私もそこそこ愛嬌のある子だと思うの。
自分で言うのもなんだけれど、なんとなく、仔犬に似ていると思っているわ。わんわん。
挨拶を交わしながら調理場を横切って、裏口から家の裏手へ向かう。
家の裏手にある昔ながらの井戸ポンプで水を出し、顔を洗った。冷たい水で、気が引き締まるわね。けど、ちょっと寒いわ。
お湯が出せればいいのだけれど、そんな贅沢は出来ない。出来ないわけじゃないけど、ちょっとお高い。
不思議なことにこの世界、いろんなことがちぐはぐなの。
魔法が存在するせいか、化学はさほど発達していない。風力や水力を利用する風車や水車はあるけれど、電力発電は存在しないわ。エネルギー資源は別で、石油なんかも発見されていない。
治水はほどほどに整っているけれど、水洗トイレは存在しない。お風呂は井戸から水を汲んで、火属性の魔石…魔力が固まったものを使用して沸かすの。
そう、魔石。
この世界でのエネルギー資源は魔力。その魔力が固まった、魔石がメインの資源になっている。
詳しい構造はさっぱりだけれど、属性持ちの人が簡単に産みだせる魔力の塊を魔石というわ。
属性持ちの人が作った魔石を専門の人が買い取って、無属性の人たちに売ってくれるの。私は無属性だから、本当にどうやって魔石を作るのかはわからないわ。
属性によって用途は違う。
例えば調理場のコンロも火属性の魔石が活躍していて、どちらかというとITコンロに似た形状をしているわ。魔石から直接火が出るわけじゃないからそうなるのね。
魔石だったら属性は関係ないものもあり、幅広い用途で魔石は利用されているわ。
魔石があるから、他の資源を探す動きがない、のよね。
水車や風車も、人が多くて魔石に困らない都会では存在しないって聞くもの。
魔石は属性持ちなら誰もが生み出せるお手軽な資源だけど、万能ではない。
使用し続けると魔力が枯渇して、ただの屑石になるし、容量は大きさによって決められた量しか込められない。役割は、電池と同じね。
属性持ちがいれば作ってもらえるけれど、都会ならともかく田舎では属性持ちも多くない。属性持ちだってずっと魔石を作り続けるわけではないから、購入する個数は決まっている。
私の家族は皆無属性だから魔石は作れない。購入するものだから、無駄遣いはできない。
だから毎朝顔を洗うためには利用できないの。とっても残念。
私は冷たい水で顔を洗ってから、食堂の掃除用の水を汲む。
食事の用意は両親の仕事で、私の仕事は食堂を整えること。
勿論昨夜だってお掃除したけど、テーブルを拭いたり床を磨いたり椅子を整えたり、花を飾ったり絵画を入れ替えたりするのは私のお仕事。
料理ができないわけじゃなくて、朝一の私の仕事がお掃除よ。
食堂は、そこまで大きくない。カウンター席も入れて最大二十人で満席になる程度。
二人掛けの席が二つに、四人掛けの席が三つぶつかり合わないよう設置され、奥のカウンターは四人分。
両脇の壁には花や絵画が飾られ、町のお知らせを掲示する掲示板なんかもある。中にはこの食堂に料理ではなく最新情報を求めてくる人もいるくらい。情報の場としても活躍しているわ。
テキパキと食堂を整えて、合間にお父さんが作った賄いで軽く朝食をとる。
今日は厚焼き玉子の切れ端が挟まったサンドイッチ。見た目が綺麗なものは、食堂でお客さんに出す分になる。
もぐもぐ食べていると、元気な声が飛び込んできた。
「おはようございまーす!」
あらいけない、もうそんな時間?
ちょっとのんびりしすぎたのか、最初のお客さんがやって来たわ。
旅人も観光客も来ない田舎町で、食堂を利用する客は限られている。
料理が苦手な独り身や、散歩のついでに軽食を取る老人。場合によっては田舎で食堂など商売にはならない。
けれど我が一家が食堂を続けているのは、勿論ある程度の需要があるから。
毎朝一番にやって来るお客さんは、その需要とはまた違った子だけれど。
賄いを牛乳で飲み込んで、食堂に出る。
入り口にはふわふわな金髪をなびかせた、ほっそりとした美しい少女が笑顔で立っていた。
彼女の髪が朝日を反射して、とても綺麗。
「おはようエメリナ。今日も元気ね」
「おはようアニシア!」
朝の常連客は、エメリナ。
とっても可愛い、私の大親友よ。
アニシアがおばあちゃんだからとってもゆっくり進んでいく……。
でもこの子、これでテキパキ動き回っているんです。本当です。




