19 非日常
「はあ、はあ、はあっ」
こんなに走ったのはいつ振りかしら?
年齢が一桁の時だって、走り回っていたのはエメリナとセリオだった。私はいつも本を抱えたルイスと手を繋いで、木陰でのんびりしていた。あの頃ロドルフォは引っ込み思案だったから中々一緒には遊べなかったし、プリシラちゃんはお勉強が忙しくて時々しか遊べなかった。その頃は、分け隔てなくエメリナ達と転がっていたわ。
前世は知らないけれど、今世の私ってば、まったく走っていなかったわ。
だから私の体は走るのに慣れなくて、こんなによたよたしているのね。
「う……! はあ、はあ、うぅ……!」
足が痛くて、今にも転んでしまいそう。
でも今転んでしまったら、二度と起き上がれないわ。
――町が魔物に襲われた。
私はその魔物から、必死に逃げている。
突如食堂の裏口を突き破って来たのは、私より大きな狼だった。
ごわごわと逆立った固そうな灰色の毛並みは針金のようで、突き破った戸の木片が突き刺さっていたわ。きっともの凄く固いから、体当たりされただけでも怪我をしてしまいそう。鋭い灰色の眼光は瞳孔が開いていて、目が合った瞬間私の産毛が総毛立ったわ。
あ、食べられる。
そう思った時には、目の前には涎をまき散らす真っ赤な舌があったの。
「アニシアッ!」
私が無事だったのは、お母さんが咄嗟に投げた玉ねぎが、狼の横っ面に直撃したから。
「うちの娘に何すんだコラァ!! 離れろオラァ!!」
真っ青な顔で、手元にあった食材を狼に投げるお母さん。
投げた玉ねぎが狼の口の中に入って、丸呑みしてしまった狼はぐねぐね体を捩って苦しそうだったわ。
「逃げなさいアニシア!!」
お母さんと私の間で暴れる狼の巨体。
狼が邪魔で、お母さんと同じところには隠れられない。
私はお母さんが地下に逃げたのを横目に、広場へ向かって必死に走った。
走ってから失敗したって思ったわ。
広場じゃなくて、駐屯所に向かうべきだった。
絶対そっちの方が、狼……魔物を退治することができたわ。駐屯所には必ず騎士様がいるから、駆け込めばなんとかなったはず。
でも咄嗟に、広場に向かってしまったの。だって、そっちの方が下り坂だったから。逃げるときって、上り坂は選ばないと思うの。
それに、ついさっきお父さんがそっちへ行ったのよ。万が一追いついてしまったら、お父さんも襲われてしまうわ。
必死に走り抜けた私は……広場に広がる光景を見て、愕然とした。
悲鳴。怒号。物が崩れる音。
甲高い、硬い物がぶつかり合う音。上がる血しぶき。鼓舞する声。
あの狼は、魔物は、一匹だけじゃなかった。
広場は戦場になっていた。
「どうして」
――柵も何もないのだから、魔物が迷い込んでくることは、まったくなかった訳じゃない。
でも町の近くにでる魔物は、基本的に人を避ける。自警団や騎士団が見回りをするから、近付いたら危険だと学習している魔物ばかり。
危険な魔物は街道ではなく、山の奥に生息している。でもその危険な魔物達は、基本的に群れを作らない。
今、町を襲っている魔物のように、徒党を組んで向かってこないはずなのに。
針金のような毛並みをした狼が複数、町の人たちに襲いかかっていた。
ワンダーウルフ。お母さんが叫んだ、多分魔物の名前。
ワンダーって、ワンダフル? ワンダフルな狼? 違うわね、どういう意味だったからしら。ポジティブな意味だった気がするのだけれど。あれを見ても、ポジティブな気持ちにはなれないわ。
「アニシア!?」
「テオさん!」
その魔物と戦っていた自警団の一人、テオさんが私に気付いた。大きな剣を片手で振り回して、魔物を牽制して飛び退いてくる。
「広場は危ない、建物の中へ避難しろ!」
「う、うちにも魔物が来たの」
「食堂にも!? ご両親はどうした」
「母は隠れられたけれど、父は外に出ていて、私もうまく隠れられなくて……」
口に出したら不安になってきたわ。
魔物が現れたのは、お父さんが外に出て数分後。駐屯所の方へ行った父は無事かしら。無事でいて欲しいわ。
目の前の戦闘から思考がズレるのは、きっと現実逃避ね。そうしないと冷静でいられそうもないわ。
「非戦闘員はエメリナが本部に誘導している。そっちに行け!」
「はいっ」
テオさんは強いけれど、群れで襲ってくる魔物を相手にしながら、非戦闘員を無傷で守り通せるとは言い切れない。
私は上擦った返事をして、自警団の本部へ向かって震える足を進めた。
逃げ惑う




