13 異変の始まり
明るい声でなく、とても静かな口調で促される。びっくりして目を瞬かせながらエメリナの顔を伺えば、警戒するようにじっとと奥を見ていた。
テオさんはそっちじゃないわ。何を見ているの?
エメリナの視線の先を探って、ひゅっと喉が鳴った。
……魔物だわ。
まだ遠いけど姿が確認できる距離に、猪みたいな魔物がいる。
でも、おかしいわ。確かにこの山に居る魔物だけど、本来ならもっと奥に居る魔物。人里近いこのあたりにはもっと小さい…兎に似た魔物しか出なかったはず。
な、縄張り争いに負けたのかしら?
「向こうはまだ気づいてない……今のうちに降りよう」
注意深く様子を伺うエメリナは、きりっとした表情で私を促した。私もすぐ頷き返す。そうね、帰りましょう。
魔物との遭遇を考えてなかったわけじゃないわ。その時の為のエメリナだもの。自警団に所属する、戦闘能力のある人間。でもこのあたりは魔物と滅多に遭遇しないから、本当に保険でついて来てもらったようなモノ。多分ないだろうけど念の為。
訓練をしている自警団員見習のエメリナが戦えないわけじゃない。
だけど私からの依頼は「キノコ採取」であって「魔物の討伐」ではないの。
何より、目に見える範囲内にはあの魔物一頭でも…戦っている間に増える可能性があるし、その場合私を守りながらの戦闘をしないといけない。私は全く戦えないから、絶対お荷物になる。
何より、エメリナは無属性。
彼女に魔法は使えない。
どちらにせよ切り上げるところだったのだから、ここは速やかに逃げるのが正解のはず。
警戒するエメリナに従って、なるべく音を立てないように進む。
幸い、魔物はこちらに気付くことはなかった。
姿が見えなくなって、騎士団の駐屯所が見える位山を下りて、やっと人心地つけた。
「驚いたわ……あの魔物をあんな近くに見たことが無かったから余計に」
「うん、普段はもっと奥に居る奴だからね。強いし、絶対近づいちゃだめだよ」
「ええ、危ないから絶対にしないわ。ええと、名前はなんだったかしら。ボア……ボーア……?」
「ボアグズリ。凶暴な奴で、一直線に突っ込んでくるの。岩も砕く鼻を持ってるから、絶対正面から向き合っちゃだめだって教えられたよ」
「まあ、お鼻が強いのね」
猪の見た目なのに、頭の中に象さんが現れた。ぱおーん。
「なんであんなところに……とにかく団長に報告しないと」
「そうね、でもまず騎士団の人たちに山を下りた報告と一緒に魔物のことも話しましょう」
「あっ、そっか。まずそっちだよね」
山に入ったら報告するのだから、降りてからも報告しなくては。山のモノをどれだけ採取したかの確認もある。その時一緒に魔物のことを報告すればいい。
……と思ったのだけれど、エメリナってば騎士団のこと忘れていたわね。すぐ自警団に報告に走るつもりだったみたい。
別に私がいるから、エメリナは自警団に走っても問題はないのだけれど、完全に忘れていたのはまずいと思うの。
「報告の義務を忘れるのはよくないな」
「ひょわぁ!?」
そうよね、よくないわよね。
音もなく忍び寄っていたテオさんが、ちょっと怖い笑顔でエメリナの肩をがしっと掴んだ。
最後まで気づかなかったエメリナが、猫のように飛びあがる。
「だ、団長!? なんで!」
「仕事でずっとお前らの後ろに居た。アニシアが気づいていたのにお前が俺に気付いてなかったのは問題だぜ」
「えっ団長ずっと居たの? ストーカー?」
「仕事だっつってんだろ」
「いにゃいいにゃいいにゃい!」
エメリナの柔らかな頬がよく伸びるわ。
そしてエメリナってば、やっぱり全然テオさんに気付いてなかったのね。合格できるのかしら。
「山に異常があったなら、その報告はもちろん自警団には必要だ。だけどそれだけじゃねぇ。山の出入り口を守ってんのは騎士団だ。騎士団への報告を忘れちゃいけぇねな」
「みゃー!!」
「テオさん、エメリナのほっぺたがちぎれちゃうわ」
ひねりを加えるのはやめてあげて欲しいの。
ぷちっと千切られてしまうのではないかと心配したけれど、声をかけたらすぐ手を放してくれた。
「自警団への報告は俺が行くから、お前たちは騎士団へ頼む。あれ一頭とは限らないからな。こっちも人数揃えてくるから、それも伝えてくれ」
「わかりました」
「ふぁい」
「エメリナはあとで説教な」
「にゃんで!?」
多分騎士団を忘れていたのが試験的にマイナスだったんだと思うわ。
素早く去っていくテオさんを見送りながら、私たちは騎士団の駐屯所へと向かった。
その後、普段いない範囲に居たボアグズリは討伐された。
討伐されたボアグズリは綺麗に解体されて、各家庭にお肉として配給された。
魔物って、種類に寄るけど、美味しいの。
ちなみにエメリナの見習い卒業試験は、不合格で見習い続行になったわ。
魔物と遭遇して逃げる判断をしたのは高評価だけど、最後の最後に報告を忘れていたのが痛手だったみたい。
ボアグズリのお肉を食べながら泣くエメリナを、よしよしと慰めた。
魔物の肉も美味しく頂く世界です。




