第十七話《停止》
胸部装甲の下で、固定具が軋んだ。
持ち上げられた外板は、搭乗槽を覆う最後の一枚だった。
これを剥がされれば、内壁まで直接届く。
「白夜、胸部の固定を全部噛ませて」
《胸部固定機構、作動》
亀裂の周囲で、残っていた留め具が一斉に閉じる。
外板が少しだけ戻った。
指先の動きが止まる。
次の瞬間、装甲がまた持ち上がった。
潰そうとするなら、胸部ごと岩盤へ叩きつければ終わる。
けれど、その手は外板の縁だけを選び、固定具が外れる方向へ力を加えている。
固定具へかかる力が増す。
《固定機構が破断します》
「破断するまで」
一本目が折れた。
二本目が外れる。
三本目は、装甲側の金具ごと引き抜かれた。
白夜の胸部へ残る応答を探す。
左脚はわずかに動く。
腰部固定にも、一か所だけ力が残っている。
立ち上がるには足りない。
倒れた身体の向きを変えるだけなら使える。
「白夜、胸部を右へ」
《腰部駆動、不能》
「立てとは言ってない。倒して」
左脚を外へ開く。
踵を岩盤へ押しつける。
残った腰部固定を一度だけ締め、機体自身の重さを右側へ落とす。
白夜の胸部が傾いた。
手が亀裂から外れる。
白夜が半回転し、右肩の欠損部を下にして横向きになった。
装甲を剥がそうとしていた手が空を掴む。
白夜の左脚を縮める。
「もう一度」
伸ばす。
胸部が岩盤の上を転がった。
一回転にも満たない。
それでも、搭乗槽を伸びてくる手から遠ざける。
すぐに足音が続いた。
二歩で距離が消える。
五本の指が、白夜の左足首を掴んだ。
《左脚部、外圧上昇》
「膝を曲げて」
左脚がわずかに縮む。
握られた足首は抜けない。
地面が動いた。
違う。
白夜が引きずられている。
背部装甲が岩盤を削り、砕けた石が搭乗槽の上を流れていく。
左脚へ逆方向の出力を送る。
膝は応じる。
けれど、踏みしめる場所がない。
身体ごと持ち上げられた。
視界が横へ流れる。
白夜の全身が、片脚を持たれたまま振られる。
壊す力はある。
それでも、搭乗槽を直接潰す角度では落とさない。
外装と接続部へ衝撃が集まる向きだけを選んでいる。
背中から岩盤へ落ちた。
衝撃で固定帯が伸びる。
胸部装甲の内側から破断音が返った。
もう一度持ち上がる。
今度は横向きに投げられた。
白夜の胸部が、突き出た岩へ当たる。
外板が割れた。
搭乗槽の内壁まで亀裂が届く。
循環管の一本が裂け、白く濁った銀色の液体が噴き出した。
生体循環液。
白夜と搭乗者の間で、魔力と血の情報を運ぶための液体だった。
私がこれまで流した血も、ごく薄く混じっている。
銀色の液体が外気へ出た瞬間、相手の胸を流れる黒い循環が一度だけ速くなった。
指の内側へ集まり、裂けた管の位置へ向かう。
足跡へ残していたものと同じ黒い粉が、指の隙間から少量だけ落ちた。
粉は銀色の飛沫へ触れた。
血管のようには混じらず、裂けた管と搭乗槽の隙間へ沈んでいく。
銀色の飛沫が頬へ当たる。
胸の固定帯が一本切れた。
身体が座席から浮き、肩を内壁へぶつける。
右肩の傷が開いた。
血が服の内側へ流れる。
《搭乗槽内壁、破損》
《生体循環圧、低下》
《管理者接続に異常――》
警告の最後が途切れた。
白夜はまだ左脚を動かせる。
搭乗槽の正面へ、血のにじむ手が入ってくる。
広がった胸部の亀裂へ四本の指がかかり、左右へ開こうとする。
「左腕を上げて」
応答はない。
左前腕の駆動機構は、産声を受ける前から壊れている。
動かせないなら、機体を動かす。
左脚を縮め、胸部を前腕の位置へ滑らせた。
砕けた左前腕が、手と搭乗槽の間へ挟まる。
腕としては使えない。
けれど、金属の塊としてなら壁になる。
掌が前腕を押す。
曲がらない関節へ荷重がかかった。
白夜の胸部が後ろへずれる。
左肩の接続部が軋む。
「そのまま」
左脚へ出力を送る。
前腕を挟んだまま、胸部を岩盤へ押しつける。
指先が搭乗槽へ入るのを防ぐ。
肩の接続部が割れた。
一本ずつ固定軸が抜ける。
前腕を押さえられたまま、左腕全体が肩口から引き上げられた。
白夜の残った左腕が、外側へ引きちぎられる。
引きちぎった腕は、すぐに捨てられた。
壊れた部位には興味を示さない。
その奥に開いた胸部と循環管だけへ、手の向きが戻る。
壁がなくなる。
腕を捨てた手が、もう一度胸部へ下りる。
「左脚、押して」
白夜の膝が伸びた。
搭乗槽が掌の下から滑る。
爪が外板を削り、胸部の一部を持っていった。
また掴まれる。
今度は胸部そのものだった。
白夜の上体が持ち上がり、岩壁へ押しつけられる。
外から見えていた岩盤が急に近づいた。
胸部が正面から叩きつけられる。
固定帯がもう一本切れた。
座席が傾く。
操作盤の端へ額をぶつけ、視界に赤い線が走った。
生体循環管が、二本、三本と裂ける。
濁った銀色が搭乗槽へあふれた。
足元を満たすほどではない。
割れた管から壁を伝い、床へ細い流れを作っている。
《生体循環――》
警告が消えた。
白夜の胸部が岩壁から離れる。
手が緩んだのではない。
次に投げるため、引き戻されている。
「腰を固定」
《腰部固定、応答――》
短い音だけが返る。
機体が落ちた。
右肩から岩盤へ当たり、そのまま仰向けになる。
管理者接続が細くなる。
見えていた各部の感覚が、一つずつ消えた。
左足首。
左膝。
腰。
胸部の固定具。
生体循環の流れ。
「白夜、左脚」
返事はない。
出力を送る。
左脚は動かなかった。
「胸部を伏せて」
管理者接続へ命令を通す。
腰部からも、胸部からも反応は返らない。
外では、手が装甲の亀裂へ入り直している。
白夜の胸部が少しずつ開かれていく。
警告は出なかった。
壊れていく音だけが、内壁から直接伝わってくる。
「白夜?」
答えはなかった。
接続の奥を探す。
左脚に残っていた細い出力もない。
腰部の固定もない。
胸部の留め具はすべて折れている。
生体循環液は流れず、裂けた管から漏れている。
管理者接続には、私が送った命令だけが残った。
警告も返らない。
できないという応答さえない。
白夜は止まった。




