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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第五部《大崩落》

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第十六話《東を向く》

白夜が左足を出す。


壊れた右脚を引き寄せる。


腰部の軸がずれ、胸部が右へ傾く。


背部推進器を一瞬だけ噴かせ、姿勢を戻す。


その繰り返しで東へ進んだ。


速くはない。


背後の歩みも、こちらへ合わせるように一定だった。


走れば追いつけるはずなのに、距離を詰めてこない。


瞳だけを私へ向け、白夜が一歩進むたびに一歩ついてくる。


通過した場所へ《血液感知》を戻す。


足跡そのものに血の反応はない。


けれど、圧痕から沈んだ黒い筋が、崩れた排水路と旧水路を伝っている。


途切れて見える足跡が、地下では一本につながっていた。


追っているのに、追いつこうとしていない。


私を追うことと、別の何かを同時に進めている。


旧地下貯水区から離れるにつれ、地面から貯水施設の残骸が減っていった。


崩れた壁。


潰れた水路。


折れた柱。


それらが背後へ流れていく。


深淵都西外縁の崩落岩盤区へ入ると、地表には建物ではなく、割れた岩と古い水路の断面だけが残っていた。


《血液感知》を後方へ広げた。


初めは、避難路を進む多くの循環が見えていた。


負傷者の弱い血。


担架を運ぶ兵士の速い血。


娘の細い循環。


距離が開くたび、一つずつ感知の外へ消えていく。


追う足は向きを変えない。


最後の一つが見えなくなった。


周囲に残った人間の血は、搭乗槽の中にある私のものだけだった。


ここなら、巻き込まない。


前方には、戦うための広さを持つ平らな岩盤が続いている。


そのさらに東では地面が斜めに落ち、大崩落で旧水路ごと断ち切られた裂谷へ続いていた。


《血液感知》を下へ伸ばしても、底には届かない。


奈落深部へ連結した空洞が、岩盤の下で口を開けている。


裂谷までの地表に、逃げ遅れた者の血はない。


白夜の左足を止めた。


背後の足音も止まった。


新しい圧痕は作られない。


地面へ沈んでいた黒い筋の伸びも、そこで途切れた。


引きずってきた右脚が横へ流れる。


背部推進器を短く使い、腰を回した。


白夜が振り返る。


航鯨の骨と鱗をまとった姿が、正面に立った。


航鯨の鱗を腰と肩に残し、背中には未完成の翼骨を畳んでいる。


胸には傷も継ぎ目もなく、黒い皮膚の下で複数の血流だけが動いていた。


息はしていない。


口も閉じたまま。


産声を上げたあと、その胸は一度も膨らんでいなかった。


黒いものが一歩近づく。


白夜より少し低い頭が、搭乗槽の位置へ向いた。


胸部装甲を透かして、私を見ている。


「ここで止める」


応答はない。


白夜の状態表示を開く。


右腕部は欠損。


左前腕部は駆動不能。


右膝の支持部は破損。


腰部固定は不完全。


胸部装甲には複数の亀裂。


背部推進器は一基だけ。


連続使用はできない。


機体に残る通常の機構だけでは、攻撃の形を作れない。


別の循環を開いた。


白夜の内部に残していた《深淵天竜》の血が動く。


航鯨との戦いで失い、救助で使い、残量は大きく減っている。


増やすことはできない。


私の魔力が残っていても、材料になる竜血そのものは戻らない。


一度の攻撃へ集める。


最初に、右肩の欠損部へ送った。


装甲の切断面から赤黒い血があふれ、骨格に沿って伸びる。


上腕。


肘。


前腕。


ただし、失った機構を直しているわけではない。


白夜の右腕とはつながらない。


外側に組み上げた、血だけの腕。


その先端を、白夜の全高に見合う巨大な鉤爪へ変える。


残りの竜血を右膝へ回した。


折れた支持部の外側を囲み、腿と脛を一時的に固定する。


最後の一部は背中へ。


左右に広げる量はない。


左側だけに薄い翼を作り、傾いた上体を支える面にした。


三つを同時に保つ。


管理者接続へ入ってくる情報が増えた。


左脚の荷重。


外側から固めた右膝の角度。


翼が受ける空気。


鉤爪の一節ごとの形。


別々の場所へ命令を送りながら、正面から視線を外さない。


歩みは止まらない。


腕を上げない。


身構えもしない。


私が何を作っているのか、見えていないように進んでくる。


「白夜、前へ」


左脚が岩盤を蹴った。


竜血の支えで、右膝へ一瞬だけ荷重を移す。


背部推進器を点火。


薄い翼が、姿勢の崩れを押さえる。


白夜の巨体が前へ出た。


右肩から伸びた鉤爪を振り抜く。


これが今作れる、最も強い一撃だった。


その胸は開いたまま。


避けない。


腕で受けようともしない。


鉤爪の先端が皮膚へ届く。


その直前で止まった。


黒い胸の内部で、複数の循環が同時に向きを変える。


爪先へ集まったのではない。


右肩から鉤爪へ通した竜血の流れを、外側からなぞるように動いている。


接触していない。


岩に当たった感触もない。


私が止めたわけでもない。


「進んで」


竜血へ命令を送る。


鉤爪は動かない。


《血液支配》


流れを強める。


右肩から爪先まで圧力をかけ、形を前へ押し出す。


一滴も応じなかった。


瞳は鉤爪ではなく、私を見ている。


「私の血。動いて」


さらに深く命令を通す。


白夜の中にある竜血の位置は分かる。


形も、流れも、すべて感じ取れる。


なのに、私へつながっていたはずの感覚だけが消えていく。


最初に爪先。


次に指。


手首。


命令の届かない範囲が、右肩へ向かって戻ってくる。


所有していた血を奪われたという感触さえなかった。


初めから私のものではなかったように、命令するための接点が消える。


巨大な鉤爪が輪郭を失った。


赤黒い血が、傷一つない胸へ引かれる。


皮膚へ触れる前に細い筋へ分かれ、そのまま内部へ沈んでいった。


攻撃を防いだだけではない。


白夜の中から外へ伸びた血の経路を見つけ、命令の届く場所から順に奪っている。


「戻って」


反応はない。


背中の翼が崩れた。


膜が液体へ戻り、空中へ落ちる前に前方へ流れる。


右膝を囲んでいた支えも外れた。


折れた支持部へ、白夜の全荷重が戻る。


推進の勢いが残ったまま、右脚が潰れた。


腰部の軸が落ちる。


白夜の右膝が岩盤へついた。


左脚だけでは、前へ出た白夜の上体を起こせない。


胸部が低くなる。


その足元に、白夜が跪いた。


竜血で作った構造が、すべて崩れていく。


爪も。


翼も。


膝の支えも。


装甲の窪みに薄く残った深淵天竜の血も、私の命令を聞かなかった。


搭乗槽の中へ意識を戻す。


私の血は動く。


傷口から流れた血。


固定帯に残った血。


胸部装甲の亀裂へつながる細い血糸。


すべて、まだ私へ応じる。


長い腕が上がった。


白夜の胸部へ手が伸びる。


人差し指が、装甲の亀裂へ近づく。


自分の血を一本に集めた。


《血針》


亀裂の奥から射出する。


赤い針が、黒い指先へ当たった。


硬い皮膚を貫けない。


さらに細くする。


力を一点へ絞る。


針の先が、指の表面へ小さな穴を開けた。


一滴だけ血が浮いた。


指は止まらない。


けれど、傷はついた。


流れ出た一滴の周囲で、黒い粉がわずかにほどけた。


空中へ広がらず、指の表面と白夜の亀裂へ薄く張りつく。


一滴が、白夜の胸部へ落ちた。


装甲の亀裂へ入り、外板の内側で止まる。


熱は伝わってこない。


周囲へ残った深淵天竜の血が、そこへ触れないよう薄く沈んだ。


私の命令を拒んだ竜血が、その一滴より低い場所へ伏せている。


掌が白夜の胸部へ触れた。


強く叩かれたわけではない。


ただ、前から押された。


左足が岩盤を滑る。


右膝の残った支持材が折れた。


腰部固定が外れ、上体の軸が右へずれる。


「推進器、点火」


背部で、最後の一基が噴いた。


熱の警告が瞬時に上がる。


それでも、押し込まれる力の方が強い。


胸部装甲の亀裂が広がった。


外板の固定具が連続して弾ける。


推進器の音が途切れた。


白夜が後ろへ倒れる。


背中が岩盤へ衝突した。


搭乗槽が揺れ、固定帯が胸へ食い込む。


視界が一度暗くなった。


管理者接続は切れていない。


呼びかけると、左脚から遅れて細い反応が返った。


腰部にも、わずかな固定が残っている。


起き上がれない。


それでも、白夜はまだ完全には止まっていなかった。


足音が近づく。


胸部装甲に残った黒い一滴のそばへ、傷のついた指が下りてくる。


指先が亀裂へ入った。


浮いた外板へ引っかかる。


胸部装甲が、ゆっくりと持ち上がり始めた。

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