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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第五部《大崩落》

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第十五話《産声》

胸鱗の縁を掴んだ指が閉じる。


厚い鱗が砕けた。


両腕へ力が入り、航鯨の胸部が左右へ引き裂かれる。


死体の中に残っていた空気が、肉と骨の隙間から吹き出した。


血は飛び散らない。


黒い筋へ集められ、すでに別の身体へ移されている。


肩が抜けた。


胸が現れる。


腰が外殻の縁を越えた。


最後に二本の脚が、航鯨の肋骨を踏み折って外へ出た。


人型だった。


頭と胴。


二本の腕。


二本の脚。


形だけなら、人間と同じ部位で構成されている。


けれど、大きさも比率も違う。


腕は膝より下まで届き、指は胸鱗を一本ずつ掴めるほど長い。


背中には不揃いな翼骨が折り畳まれ、腰から腿にかけて、航鯨の肋骨が外側から巻きついている。


鯨の骨と鱗を、脱ぎ残した殻のようにまとっていた。


足を死体の上へ下ろす。


一キロメートルを超える航鯨の胴体が沈んだ。


岩盤の下で空洞が潰れる。


《血液感知》の奥に残っていた細い循環が、一度だけ強く押し出された。


止まった。


位置は変わらない。


別の経路へ移ったわけでもない。


もう一度探す。


動きはなかった。


救助する対象から、その反応を外す。


上へ意識を戻した。


大きな胸にも、鼓動はない。


黒い血は流れている。


ただし、心臓から押し出されてはいなかった。


首、両腕、背中、脚へ分かれた流れが、途中で向きを変えながら、同じ間隔で動いている。


どこを止めれば全身の循環が止まるのか、感知だけでは判別できない。


瞳が動いた。


白夜を見ない。


背後へ逃げる人々へ、瞳を向けることもない。


白夜の横に立つ私へ向く。


見えていないようには思えない。


見なくてもよいように、別のことを続けている。


頭がわずかに傾いた。


こちらの位置を確かめるような動きだった。


「避難を続けて」


隊長格の兵士へ言う。


「あれはどうする」


「私を見てる。離せるかもしれない」


「一人で残る気か」


答える前に、死体の上に立つ脚が動いた。


航鯨の鱗が砕ける。


一歩で、胸部の端から地面へ下りた。


着地の衝撃は小さい。


あれだけの大きさがありながら、岩盤はわずかに沈んだだけだった。


重さがないわけではない。


足首と膝が着地と同時に曲がり、衝撃を全身へ逃がしていた。


足が持ち上がる。


浅い圧痕の底に、黒い粉が残っていた。


航鯨の肉片でも、砕けた鱗でもない。


粉は風へ舞わない。


岩盤の細い亀裂へ沈み、見えなくなった。


次の一歩が私へ向く。


足が離れた場所にも、同じ黒が残った。


今度は亀裂から、崩れた排水溝の奥へ流れていく。


航鯨の中に残っていたものか。


あの身体を流れる黒い血の一部か。


《血液感知》を向けても、血としての流れは返らなかった。


「行って」


隊長格が剣を構えた。


「避難民を先へやる。俺は最後尾につく」


「ここに残る必要はない」


「担架がまだ動いていない」


振り返る。


娘を載せた担架の片側が、崩れた石に挟まっていた。


治療兵は、ほかの重傷者を先へ送っている。


父親が一人で持ち上げようとしているが、脚が震え、担架の端を浮かせられない。


隊長格が走った。


「そっちを持て!」


父親が頷き、二人で左右を掴む。


私も血糸を四隅へ伸ばした。


背後の一歩が止まる。


振り向く。


頭は私へ向いたまま。


瞳を向けたまま、右腕だけが上がっていた。


長い指が開く。


白夜の右腕が失われた側には、遮るものがない。


そのまま伸ばせば、私の後ろにある担架まで届く。


狙っているのは白夜ではない。


掌の中心は、私の立つ位置へ向いていた。


「担架を離して!」


血糸を引く。


父親は手を離さない。


娘を載せたまま急に引けば、身体を落とすと思ったのだろう。


隊長格も担架を持ち上げ、石から外そうとしている。


腕が伸びた。


速くはない。


避けられる。


けれど、掌は私一人より大きい。


後ろにいる二人まで範囲に入る。


私は左へ跳び、同時に担架だけを血糸で持ち上げた。


父親の指が外れる。


隊長格の手から木枠が抜ける。


担架が地面を離れた。


掌が落ちる。


娘を避難路側へ引いた。


木枠が岩へぶつかり、横向きに滑る。


その後ろで、地面が一度だけ沈んだ。


音は小さかった。


血の反応は、二つとも同じ瞬間に消えた。


掌が持ち上がる。


父親と隊長格がいた場所には、砕けた岩と大きな圧痕が残った。


娘の担架を引き寄せる。


胸は上下している。


衝撃で傷口が開き、包帯へ血がにじんでいた。


致命的な出血ではない。


「担架を!」


避難路から兵士が一人戻ってくる。


「この子を連れていって」


「父親は」


「もう動かない。止まらないで」


兵士の顔が固まった。


それでも担架を受け取り、治療兵のいる方へ走り出す。


娘は意識を取り戻さない。


父親を呼ぶこともなかった。


遠ざかる血流を確認する。


次に伸びてくる手は、もう避難路へ届かせない。


周囲へ《血液感知》を広げた。


北には避難集団がいる。


西にも、崩れた住居区画から逃げる人間の血が残っている。


南は、既存の避難路と都外へ続く通路が重なっていた。


東。


旧地下貯水区の東側。


深淵都西外縁に、大崩落で残った岩盤区がある。


崩れた水路と外縁区画を越えた先には、旧水路ごと断ち切られた裂谷が走っている。


その手前までなら、今の白夜でも進める。


感知できる範囲に、人間の血はない。


避難路から引き離すなら、そこしかない。


一歩下がる。


瞳がついてくる。


もう一歩、東へ動く。


足の向きが変わった。


やはり私を追っている。


その足が地面を離れるたび、圧痕の底へ黒い粉が残る。


追う動きと、足元で続けている動きは別だった。


白夜を見る。


右膝の支持部は折れている。


右腕はない。


左拳もない。


残った左前腕は内部まで砕け、支えには使えない。


胸部装甲には、産声で走った亀裂がある。


腰部固定もずれている。


動かせるのは左脚と、短時間だけ使える背部推進器が一基。


戦える状態ではない。


それでも、私一人で走るより速い。


何より、追いつかれた時に一度は受け止められる。


胸部へ血糸を伸ばした。


亀裂の脇に残る取っ手へ巻きつけ、身体を引き上げる。


背後で指が地面を掻いた。


さっき私がいた場所の岩が剥がれる。


白夜の搭乗槽へ滑り込んだ。


固定帯を閉じる。


管理者接続が、遠隔操作から搭乗状態へ切り替わる。


《搭乗者を確認》


《右膝支持部、破損》


《右腕部、応答なし》


《左前腕部、駆動不能》


《腰部固定、不完全》


警告が重なる。


「分かってる」


左脚へ魔力を送る。


白夜の胸部が上がった。


折れた右脚が岩盤を削る。


腰が傾く。


背部推進器を短く噴かせ、上体を左脚の上へ戻した。


立ち上がる。


完全には伸びない。


右側を低くしたまま、白夜が一歩を出す。


左足を前へ。


壊れた右脚を引きずる。


もう一歩。


背後の歩みも東へ向きを変えた。


避難路へは向かわない。


担架を追わない。


私だけについてくる。

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