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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第五部《大崩落》

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第九話《取捨選択》

区画の落下は一時的に止まったが、まだ誰も救えていない。


町の外縁部が、地盤ごと斜面へ落ちてきている。


石造りの建物が六棟。


それらをつなぐ道路と、小さな広場。


建物の基礎を載せた地盤まで、すべてが一つの塊となっていた。


区画の上半分は、まだ崩れた斜面に引っかかっている。


下半分は地面を失い、白夜の前へ大きく張り出していた。


奈落の縁に沿って続く地上道も、その区画によって塞がれている。


区画の向こう側には、まだ道が続いている。


けれど今は、人も担架も通れない。


白夜は、天杭四番によって固定された岩盤へ両脚を食い込ませていた。


斜面へ向けて上体を倒し、残された左腕を地盤の先端へ押し当てている。


《血統顕装・深淵天竜》によって生じた赤黒い翼は、二枚。


下側の一対は、地面から外れた地盤の下へ差し込まれていた。


残る一対は、白夜の背後にある岩壁へ押しつけられ、機体が地盤と一緒に倒れないよう支えている。


白夜の背後には、天杭四番がある。


そこから搬送路を下れば、臨時救護所へ着く。


白夜が支えを失えば、町の一画は白夜を押し流すだろう。


天杭四番も搬送路も、その先にある救護所も潰れる。それだけは止めなければいけなかった。


接続の向こうで、翼の付け根が軋んだ。


生体組織が裂ける。


白夜に《血脈再生》を流す。


裂けた筋肉をつなぎ、潰れかけた血管を修復する。


翼骨の亀裂も、生きた組織が残っている部分から塞いでいく。


けれど、流れ落ちた生体媒体までは戻らない。


傷を閉じることはできる。


失われた量を増やすことはできない。


白夜は治っているのではない。


壊れるまでの時間を、少しずつ引き延ばしているだけだった。


「中に何人いる!」


バルガスの声が飛んだ。


傾いた建物へ意識を向ける。


血の流れを探る。


壁の向こう。


瓦礫の下。


崩れた床の隙間。


細かな傷までは分からない。


それでも、生きて動いている血と、すでに止まった血は区別できる。


複数の血流が返ってきた。


白夜の肩より高い建物にもいる。


さらに上、白夜の頭を越えた場所にも残っている。


「まだ生きてる人がいる。数はよく分からない」


「入れる場所はあるのか?」


工兵たちは地盤の断面を見上げていた。


建物をつないでいた道路は折れている。


階段も途中で崩れていた。


白夜の足元から道を作っていたら、先に白夜が保たなくなる。


全員が同じ場所から出る必要はない。


私が、それぞれの建物へ行けばいい。


白夜へ流していた《血脈再生》を止めた。


今つないだ組織は、すぐには裂けない。


背中から翼を生やす。


バルガスが私を見る。


「飛べるのか、流石だな。その状態で何人運べる?」


「動ける人なら二人。重傷なら一人ってとこ」


バルガスはすぐに振り返った。


「天杭四番の周りを空けろ! 担架と治療兵を上へ回せ!」


搬送兵たちが走る。


天杭四番の固定岩盤へ担架が並べられた。


私が運んだ人間を、そこで救護所の人間へ渡す。


その先は、搬送兵と治療兵に託す。


「奈落姫が連れてきたら、こっちで受け取る。頼んだぞ」


「うん」


バルガスの指揮でここまでスムーズに救助の流れが完成されていた。


まず区画に向かうために《飛行》を起動した。天竜の血で汚れていた服が裂け、黒い翼が生える。


白夜の脚を越え、最も低い位置にある建物へ向かう。


三階建てだったらしい建物は、地盤と一緒に大きく傾いていた。


一階は瓦礫に埋まり、三階の外壁が崩れて室内をさらしている。


崩れた壁を越え、そのまま部屋へ降りた。


元は床だった場所が斜面になっていた。


家具と石材が、下側の壁へ積み重なっている。


生きた血流は二つ。止まった血が一つ。血液感知で反応があった。


一人は傾いた建物の中でどうにか立っている女。


一人は、倒れた棚に脚を挟まれた男。


もう一人は、崩れた梁の下で動いていなかった。


女が私を見た。


「もしかして、救助…?」


「うん」


先に梁の下へ近づく。


男の首へ触れる。


心拍はない。


呼吸もない。


梁の周囲には、まだ新しい岩粉が積もっていた。


女が私の顔を見る。


「夫はどうなったの?」


「死んでる」


女の唇が動いた。


声は出なかった。


棚に脚を挟まれている男へ移る。


呼吸はある。


脚の骨が折れ、裂けた血管から血を失っていた。


胸と腹に致命傷はない。


けれど、このまま抱えて飛べば出血が続く。


「この人を先に出す」


棚を持ち上げた。


男の脚を引き抜く。


傷口へ手を当てる。


《血脈再生》


折れた骨をつなぐ。


裂けた血管と筋肉を修復する。


傷は閉じた。


失った血は戻らない。


男を右腕で抱え上げる。


女へ左腕を伸ばした。


「あなたも来て」


声を掛けたが、それでも女は梁の下に残された夫を見ていた。


「夫も運んで」


こうしている間にも白夜の翼骨が軋んだ音が聞こえる。


接続の向こうで、治したばかりの組織へ新しい負荷がかかるようだった。


「今は、生きてる人を運ぶ」


「あとで戻ってくれる?」


答えられなかった。


戻ることはできる。


けれど、遺体を運ぶ時間まで白夜が保つとは言えない。それに救護所にはまだ治療が必要な生きている患者が沢山いる。


「…今は来て」


女が私の腕につかまる。


二人を抱え、崩れた外壁から飛び出す。


下では、白夜が町の一画を支えている。


左腕は地盤へ押し当てられたまま。


張り出した地盤の下では、一対の翼が重さを受けている。


白夜の背後へ回り、天杭四番の固定岩盤へ降りた。


搬送兵が駆け寄る。


男を担架へ移す。


女を地面へ下ろす。


治療兵が男の顔色と呼吸を確認した。


「出血は止まっています!」


「血が足りない。赤の所へ運んで」


「分かりました!」


男を載せた担架が、救護所へ続く搬送路を下っていく。


女は動かなかった。


傾いた建物を見上げている。


私は白夜へ意識を戻した。


止めていた《血脈再生》を、接続の向こうへ流す。


建物へ入っていた間に、翼の付け根の裂け目が広がっていた。


筋肉をつなぐ。


血管を修復する。


また時間を作る。


翼を開いた。


その後も建物を回った。


四つの生きた血流と、一つの止まった血が残る建物。


崩れた壁へしがみつく親子。


傾いた階段から動けなくなった三人。


道路の下に埋まった貯蔵室。


歩ける者なら二人ずつ。


重傷者なら一人。


抱えて飛ぶことに耐えられない傷だけを、その場で閉じた。


残る治療は、天杭四番で待つ救護所の人間へ託す。


戻るたびに白夜を治した。


けれど、修復した場所とは別の場所が裂けていく。


翼を構成する生体媒体は、少しずつ減り続けていた。


患者を載せた担架が搬送路を下る。


空になった担架が上がってくる。


天杭四番で治療兵が容体を確認し、重傷者から救護所へ送る。


処置幕を中心に作られた搬送の流れが、白夜の足元まで伸びていた。


私が患者を治している間にも、救護所は止まらない。


白夜への治癒を止めている間は、翼と左肩の損傷が広がる。


白夜を治している間は、建物の人間を運べない。


魔力は足りていた。


足りないのは時間だった。


次に誰を運ぶべきか。


先に傷を閉じる必要があるか。


救護所へ託しても保つか。


人間の顔より先に、血流と傷の位置を捉えてしまう。


次の建物へ降りた時、奥の部屋から声がした。


「子どもを先に!」


崩れた壁を越える。


子どもは床へ座って泣いていた。


呼吸は速い。


身体に大きな傷はない。


その隣で、男が腹部を押さえて倒れていた。


指の隙間から血が流れている。


腹部の血流が弱くなっていた。このままでは5分と持たないだろう。


「この人を先に運ぶ」


「子どもを置いていくのか!」


「この子は待てる」


「本当に戻るんだな!」


男の腹部へ手を当てる。


血管が裂けている。


このままでは、次の往復までもたない。


《血脈再生》


裂けた血管をつなぐ。


出血を止める。


飛行に耐えられるところまで、傷ついた組織を修復する。


「その子を、ここから動かさないで」


残っていた女へ伝える。


男を抱えて飛ぶ。


天杭四番へ運ぶ。


救護所の人間へ託す。


白夜を治す。


すぐに同じ部屋へ戻った。


子どもは、言われた場所にいた。


女と子どもを一人ずつ抱え、天杭四番へ降ろす。


治療兵が子どもを受け取る。


心拍は乱れているが、傷はない。


間に合った。


その時、白夜の左肩が沈んだ。


町の一画が、斜面をわずかに滑る。


建物の中で、家具と石材が崩れる音が重なった。


天杭四番の地面まで揺れた。


何も抱えずに白夜へ戻る。


《血脈再生》


翼の付け根へ治癒を集中する。


裂けた筋肉をつなぐ。


翼骨の亀裂を塞ぐ。


治した端から、別の箇所が裂けていく。


地盤の下へ差し込まれた翼の一枚が、展開した時よりも明らかに薄くなっていた。


「あと何人だ!」


レオンが叫ぶ。


血の流れを探る。


まだ調べていない最も高い建物から、二つの血流が返ってきた。


それ以外の場所にも、弱い流れが一つある。


「三人」


「空の担架を上へ!」


レオンが搬送路へ叫ぶ。


私は再び飛び立った。


最後の建物は、白夜の頭より高い場所に残っていた。


屋根が崩れ、最上階の部屋が外へ開いている。


中へ降りる。


生きているのは二人。


老人と、若い女だった。


老人は胸を押さえている。


胸へ触れた。


肋骨が折れ、肺を傷つけていた。


このまま抱えて飛べば、途中で呼吸が止まる。


《血脈再生》


肺から漏れている空気を止める。


傷ついた血管を閉じる。


骨は、肺を傷つけない位置へ戻すだけにした。


完全に治す時間はない。


老人を右腕で抱える。


女へ左腕を伸ばした。


「つかまって」


二人を抱え、崩れた屋根から飛び出す。


下では、赤黒い二対の翼を広げた白夜が、町の一画を止めていた。


その背後を、患者を載せた担架が救護所へ向かって下っていく。


天杭四番にいたレオンが、こちらを見上げた。


斜面を塞ぐ、大きな翼。


その脇を運ばれていく人間。


二人を抱え、そこへ降りていく私。


レオンの動きが、一瞬だけ止まった。


何も言わなかった。


私が二人を降ろすと、空になった担架を引き寄せる。


「あと一人だ! 止まるな!」


残る血流は、崩れた道路の下にあった。


再び飛ぶ。


道路の亀裂から地下の物置へ入る。


男が一人、倒れた石材の下に挟まれていた。


意識はない。


血流は弱い。


石材をどかせば、圧迫されていた血管から一気に出血する。


指先を切った。


流れ出した血を、数本の糸へ変える。


石材の隙間から男の傷へ回し、裂けた血管を外側から縛る。


血の流れが弱まったことを確かめる。


石材を持ち上げた。


男の身体を引き出す。


傷口へ手を当てる。


《血脈再生》


裂けた血管を閉じる。


潰れた内臓のうち、出血している部分だけを修復する。


男を一人で抱え、外へ飛び出した。


天杭四番へ降りる。


治療兵が担架を押してくる。


「内臓が潰れてる。出血は止めた」


「引き継ぎます!」


男が搬送路を下っていく。


もう一度飛び上がった。


町の一画を低く回る。


血の流れを探す。


傾いた建物。


崩れた道路。


広場の下。


瓦礫に埋まった部屋。


天杭四番へ運んだ人間以外に、動いている血はない。


地盤の外周を一周する。


反応はなかった。


生きている人間は、全員こちら側へ運んだ。


死者は残っている。


最初の建物で梁の下にいた男も。


崩れた柱に押し潰された者も。


血が止まったまま、瓦礫の中に残された身体も。


天杭四番へ戻った。


「生きてる人は、もういない」


バルガスが周囲へ叫ぶ。


「全員、白夜の後ろへ下がれ!」


区画へ近づいていた兵士と工兵が戻ってくる。


天杭四番の固定岩盤を通り、白夜の背後へ退避する。


最後の一人が戻ったことを確認した。


白夜の背後には、天杭四番と臨時救護所がある。


片側には岩壁。


反対側には、奈落へ続く大きな崖口が開いている。


今のまま白夜がすべての支えを外せば、町の一画は正面へ滑る。


天杭四番と救護所を巻き込む。


崖口へ近い側から傾けなければならない。


「白夜」


接続の向こうで、命令を待つ反応が返る。


「救護所には落とさないで」


《命令受諾》


白夜は左腕を地盤へ押し当てたままにした。


正面へ滑ろうとする動きを止め続ける。


地盤の下へ差し込まれた一対の翼。


そのうち、崖口に近い一枚がゆっくりと畳まれる。


支えを失った地盤の端が沈んだ。


上に残された建物が傾く。


割れた窓から、家具と石材が落ちていく。


白夜は左腕と、残る一枚の翼で地盤を支え続けた。


沈んだ側が、斜面の端から外れる。


地盤全体が、崖口へ向かって回り始めた。


岩壁へ突っ張った一対の翼が白夜の姿勢を支え、残された左腕が地盤を押さえ続けていた。


地盤の傾きが戻らなくなる。


重さの中心が、崖の外へ移った。


「残りも抜いて」


地盤の下に残っていた一枚の翼が畳まれる。


町の一画が崖口へ倒れ込んだ。


白夜が左腕を引く。


六棟の建物。


道路。


小さな広場。


残された死者。


すべてが地盤ごと奈落へ落ちていく。


建物が崖壁へぶつかる。


地盤が割れる。


石材と金属が砕ける音が、暗闇の中へ遠ざかっていった。


天杭四番は残っている。


搬送路も残っている。


斜面下の救護所も潰れていない。


白夜は、固定岩盤の上に立っていた。


白夜の翼を閉じさせる。


接続を通して《血脈再生》を流した。


残された筋肉と血管を修復する。


失われた翼膜と生体媒体は戻らない。


赤黒い翼は、展開した時よりも小さくなっていた。


救護所へ戻る。


処置幕の前には、救出された人間たちが集まっていた。


毛布を巻かれた者。


担架に横たわる者。


自分の足で立っている者。


治療兵たちが、その間を走り回っている。


最初の建物から救い出した女もいた。


夫を梁の下へ残した女だった。


私を見ると、ゆっくりこちらへ歩いてきた。


「夫が、まだあそこにいた」


「うん」


「落ちてくる前は、生きてたの」


女の声が震えている。


「ずっと、私と話してた」


女が自分の両腕を抱く。


「白い大きなものが受け止めた時、梁が落ちた」


白夜が止めなければ、町の一画は救護所まで落ちていた。


女も、棚に挟まれていた男も、ほかの人間も助からなかった。


それでも、白夜が受け止めた衝撃で死んだ人間がいる。


女の夫も、その一人だった。


「身体は残ってた」


女が奈落を見る。


町の一画は、もう見えない。


「どうして、夫まで落としたの」


白夜は限界だった。


救護所と搬送路を守らなければならなかった。


生きている人間は全員運び出した。


救護所のスペースは限界を超えている。治療が必要な患者も沢山いる。


遺体を運んでいる間に白夜が壊れれば、救護所にいる人間まで失われた。


理由はあった。


間違った判断ではなかったと私は思っていた。


けれど、女が求めているのは理由ではなかった。


「ごめんなさい」


女が私を見る。


「謝ってほしいんじゃない」


返せる言葉がなかった。


町の一画が消えた場所から、声が上がった。


落下区画に塞がれていた地上道が、奈落の縁に沿って再びつながっている。


道の向こうから、人間が走ってきていた。


その後ろには、担架の列がある。


一台ではない。


何台も続いていた。


区画が道を塞いでいる間、向こう側で待つしかなかった負傷者たちだった。


先頭の兵士が叫ぶ。


「救護所は残っているか!」


レオンが振り返った。


天杭四番を見る。


白夜を見る。


斜面下に並ぶ処置幕を見る。


「残ってる!」


搬送路へ走る。


「赤から通せ! 歩ける者は道を空けろ!」


バルガスも声を上げた。


「空いた担架を上へ! 処置台を空けろ!」


救護所の人間たちが動き始める。


さっきまで区画から人間を運んでいた担架が、今度は地上道から来た負傷者を受け取るために上がっていく。


治療兵が赤い帯を持って走る。


女は、まだ私の前に立っていた。


担架の列から、弱い血の流れがいくつも近づいてくる。


その一つが、大きく乱れた。


「奈落姫!」


治療兵が私を呼ぶ。


女を見る。


謝っても、許されない。


次の命を治しても、女の夫は戻らない。


それでも、近づいてくる心拍を見捨てることはできなかった。


「ごめんなさい」


もう一度だけ言った。


女の横を通り、搬送路へ向かう。


最初の担架が、天杭四番へ運び込まれた。


患者の胸へ手を当てる。


呼吸が弱い。


腹部の奥で、血が流れている。


背後では、白夜が傷ついた翼を閉じて立っていた。


斜面下には、潰されずに残った救護所がある。


その間を、新しい担架が次々に運ばれてきた。


救出は終わった。


それでも救護はまだ終わらない。

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