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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第五部《大崩落》

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第八話《落下区画》

裂けていた血管の両端がつながった。


血糸を少し緩める。


修復した血管の内側を、血が流れている。


再出血はない。


残していた糸を解除すると、治療兵がすぐに患者のそばへ入った。


「こちらで引き継ぎます!」


失った血は戻っていない。


身体も冷えている。


それでも、腹部から命が漏れ続ける状態ではなくなった。


《治療完了を確認》


《治療報酬――SP+2》


《保有SP――10》


表示を閉じる。


処置幕の外では、次の担架が待っていた。


治療兵が外傷を診る。


搬送兵が赤い帯を確認する。


歩ける人間が、空になった担架を担いで搬送路へ戻っていく。


私が一人を治している間にも、救護所は止まらない。


その時、白夜から衝撃が伝わった。


浅くつないだ感覚の向こうで、機体がわずかに揺れる。


白夜自身の損傷ではなかった。


天杭四番によって保たれている搬送路の先から、岩盤を通して振動が届いている。


一度。


短い間を置いて、もう一度。


処置幕を支える柱が軋んだ。


吊り下げられた灯りが揺れ、器具を載せた台から金属片が落ちる。


治療兵たちが天井を見上げた。


「また崩れるのか?」


違う。


落石なら、衝撃は散る。


今の振動は、同じ方向から少しずつ近づいてきていた。


岩が砕ける音に、木材と金属が引き裂かれる音が混じっている。


大きな何かが、岩盤の上を滑っている。


「中央を空けろ!」


処置幕の外から、レオンの声がした。


「搬送路の正面に立つな!」


バルガスが振り返る。


「何が来る!」


「分からない!」


レオンは搬送路の先を見たまま叫んだ。


「でも、そこにいたら巻き込まれる!」


バルガスが迷ったのは一瞬だった。


「担架を壁側へ寄せろ! 処置中の患者はそのまま守れ!」


人間たちが動く。


治療を終えた患者が壁際へ運ばれる。


空になった担架が積み上げられ、搬送路の正面が空けられた。


処置台の患者は動かせない。


治療兵と補助兵が周囲へ集まり、柱と器具を押さえた。


私は処置幕を出た。


救護所は、崩落した第二階層の斜面下に残った岩棚へ設けられている。


背後には奈落へ続く崖があり、左右も崩れた岩壁に挟まれていた。


上方から救護所へ降りるには、斜面の内側に残った細い搬送路を通るしかない。


天杭四番は、その搬送路が救護所へ降りてくる直前の岩盤へ打ち込まれている。


周囲の崩落が続いても、杭の固定範囲だけは斜面へ残っていた。


白夜は救護所より一段高い、その固定範囲に立っている。


白夜の後ろから搬送路を下れば、すぐに処置幕が並ぶ岩棚へ着く。


反対に、白夜の前から斜面を見上げれば、搬送路は崩れた岩壁の間を縫いながら上層側へ続いていた。


失われた右腕は戻っていない。


背部には、損傷した翼を補う赤黒い仮設構造が畳まれている。


白夜へ送っている魔力は途切れていない。


浅い接続も残っている。


振動は、白夜の足元から搬送路を下り、救護所まで伝わってきていた。


次の衝撃が来る。


白夜よりさらに上。


搬送路の続く先で、斜面を塞いでいた岩壁が内側から膨らんだ。


亀裂が走り、灰色の粉塵が噴き出す。


岩壁の一部が崩れ、その奥にあった上層側の斜面が露出した。


そこを、巨大な構造物が滑り落ちてきていた。


石造りの外壁。


折れた柱。


ひしゃげた金属の扉。


複数の部屋と、その床を支えていた岩盤が一つの塊になっている。


上方にあった居住区画の一部が、周囲の地盤ごと斜面から剥がれていた。


元は水平だった床が大きく傾いている。


区画は外壁の一面を下にして、斜面を削りながら白夜へ向かっていた。


その進路は、上層から白夜の立つ固定範囲を通り、さらに下段の救護所へ続いている。


搬送路の内側には岩壁がある。


外側には奈落が開いている。


巨大な区画が通れる余地はなかった。


外壁の亀裂から、人間の腕が伸びる。


「助けてくれ!」


声が重なった。


一人ではない。


傾いた部屋の中に、まだ多くの人間が残っている。


区画の底が斜面から突き出していた岩へ衝突した。


石材が砕け、区画全体が一度浮き上がる。


下側に引っかかっていた岩塊が外れた。


区画が再び斜面へ落ち、滑る速度が上がる。


このまま進めば、最初に白夜へ衝突する。


白夜が押し流されれば、天杭四番の固定範囲も搬送路も区画の下へ消える。


その先にあるのは、斜面下の救護所だった。


処置幕も、治療中の患者も、区画と瓦礫に押し潰される。


奈落側へ押し出せば、救護所だけは守れる。


けれど、区画の中にいる人間も、そのまま奈落へ落ちる。


救護所へ通すこともできない。


奈落へ逃がすこともできない。


白夜のいる場所で止めるしかなかった。


白夜へ流す魔力を強めた。


受け取れる上限まで送っても、私の中にはまだ魔力が溢れている。


「白夜」


接続の向こうで、白夜が命令を待つ。


「落とさないで」


《命令受諾》


白夜は天杭四番の固定範囲を離れなかった。


杭によって固定された岩盤を足場にし、両脚を深く沈める。


残された左腕を、滑ってくる区画へ向けた。


白夜の手が外壁へ触れる。


衝撃が弾けた。


空気が押し返され、粉塵が救護所まで吹きつける。


石材と金属が同時に潰れた。


白夜の両脚が、岩盤を削りながら後退する。


それでも、天杭四番によって固定された範囲からは外れない。


落下区画の速度が落ちる。


完全には止まらなかった。


白夜の左腕が外壁へめり込む。


力を受けた壁が内側へへこんだ。


その奥から悲鳴が上がる。


白夜が区画を止めようとするほど、中の人間が押し潰される。


「そこには人がいる!」


外壁の亀裂へ血糸を伸ばした。


暗い内部へ糸を分ける。


流れ出た血。


露出した皮膚。


折れた木材を握る指先。


触れた場所から、複数の心拍が返ってくる。


左上に三人。


中央の壁際に五人。


下側には、さらに多くの血流が重なっていた。


白夜の左手が押している場所にも、一人いる。


胸部を壁へ挟まれ、呼吸が弱くなっていた。


「白夜、手を少し下へ」


左手がずれる。


「左上には力をかけないで。中央下から支えて」


白夜が肩を入れた。


腕だけで受けていた力を、胴体へ逃がす。


押し潰されかけていた人間の胸が広がり、呼吸が戻った。


代わりに、区画の下側が沈む。


別の場所で心拍が乱れた。


「左脚側へ力を逃がして。下を押さえて」


白夜が姿勢を変える。


左脚を深く岩盤へ食い込ませ、区画の下側へ肩を入れた。


区画の滑る速度が、また少し落ちる。


それでも止まらない。


白夜の足元で岩盤が削れ続ける。


「支柱を持ってこい!」


バルガスの指示で、工兵と兵士が動いた。


太い木材。


金属柱。


瓦礫を組み合わせた仮設の支え。


人間たちは白夜の横を通り、区画の下へ差し込もうとする。


届かなかった。


区画の下側は斜面から大きく張り出し、奈落側へ垂れ下がっている。


支柱を立てられる場所まで持ち上げなければならない。


そのためには、白夜が今以上の力を出す必要がある。


白夜の左腕から、内部の損傷が伝わってきた。


装甲の内側で、生体組織が裂けている。


機械構造と駆動組織をつなぐ生体管路が潰れ、内部を巡る戦闘循環液が漏れていた。


白夜が力を加えるたび、裂け目が広がる。


「外壁を壊せ!」


工兵が叫ぶ。


「中の人間を先に出す!」


別の工兵が首を振った。


「開口部を作るまで保たない! 壁を一枚外したら重さがずれる!」


区画を軽くするには、人間を出す必要がある。


人間を出すには、区画を固定する必要がある。


固定するには、支柱を入れられる位置まで持ち上げなければならない。


今の白夜の身体では、工兵が外壁を開くまで支えきれない。


白夜の左腕が沈んだ。


外壁がさらにへこみ、内部から新しい悲鳴が上がる。


「何とかならないのか!」


兵士の声が飛ぶ。


答える前に、接続の向こうで白夜の生体構造が大きく裂けた。


左肘に近い部分から、力が抜ける。


白夜が膝をついた。


区画が再び動き始める。


「白夜!」


魔力を増やす。


流れは届いている。


魔力不足ではない。


壊れた身体が、その力を使えなくなっている。


私は白夜の足元へ走った。


白夜は左腕と肩で区画を支えたまま、膝を岩盤へ食い込ませている。


装甲の裂け目から、生体部分が露出していた。


戦闘循環液と赤黒い修復用生体媒体が、岩粉の上へ流れ落ちている。


そこへ手を当てた。


人間と同じではない。


けれど、生きている。


流れがある。


傷ついた場所も分かる。


《血脈再生》


魔力が白夜の内側へ沈んだ。


反応が返る。


裂けていた生体管路の縁が寄り合った。


潰れていた駆動組織が、生き残った部分から形を戻していく。


接続を伝える神経に似た組織も、途切れた場所からつながり始めた。


白夜の左手へ力が戻る。


沈みかけていた区画が、一度止まった。


修復できたのは、生きている部分だけだった。


砕けた装甲は戻らない。


壊れた機械部品も戻らない。


失われた右腕も、そのままだった。


流れ出した戦闘循環液や、機体から完全に失われた生体媒体も補充されていない。


《白夜・生体部の修復を確認》


《生体循環経路――再接続》


《血統同期機能――部分回復》


《血統顕装の再実行条件を部分的に達成》


《機体構造の欠損を確認》


《欠損部位の修復――不能》


《警告》


《現在の機体構造は、血統顕装後の負荷に適合していません》


《血統顕装後の構造維持は保証されません》


《使用者の人間性に対する追加侵食を予測》


《血統顕装・深淵天竜の再実行を非推奨》


区画の中で、一つの心拍が乱れた。


胸部を挟まれている人間ではない。


さらに奥。


腹部から出血している。


血糸で締めれば、少しは保たせられる。


けれど、外壁の向こうへ糸を残したまま、全員を待たせることはできない。


白夜の生体部分を治し続けても、欠けた身体のままでは区画を持ち上げきれない。


支柱は届かない。


工兵が外壁を開くまで、左腕は保たない。


張り出した部分を先に外せば、内部の重さが崩れ、生きている人間を押し潰す。


どの方法も、間に合わなかった。


「これだ」


近くまで来ていたレオンが、傾いた区画と白夜を見ていた。


「何が」


「前に見えた」


レオンは目を細める。


「大きな翼みたいなものが、何かを止めてた」


「何を止めてたの」


「分からなかった」


レオンが区画を見上げる。


「その脇を、人が運ばれてた。お前もいた」


レオンが見ていたのは、それだけだった。


何が落ち、翼のようなものが何を止めるのかまでは分かっていなかった。


それでも、この場所に私と白夜が必要になることだけは感じていた。


だから、ここへ呼んだ。


救護所を作らせ、天杭四番で搬送路を残した。


区画の中で、弱っていた心拍がさらに小さくなる。


システムが示した危険は、たぶん正しい。


白夜の構造が顕装に耐えられないことも。


もう一度使えば、私の中から人間性が失われることも。


『システムの言うことを信じるな』


レオンの言葉を思い出した。


警告が嘘だとは思わない。


危険がないとも思わない。


けれど、使わない方がいいと決めるのは、システムではなかった。


区画の内部へ血糸を広げる。


一つ。


三つ。


五つ。


さらに奥にも、いくつもの心拍がある。


今の白夜が支えられなくなれば、すべて落ちる。


白夜へ送り続けていた魔力を、血統接続のさらに奥へ流し込む。


警告の表示は消えなかった。


「私が決めた」


「血統顕装」


《血統顕装――実行》


《人間性――低下》


《外部血統構造――兵装領域へ展開》


《血統顕装・深淵天竜》


白夜の内部を巡る戦闘循環液と修復用生体媒体が、装甲の裂け目からあふれ出した。


そのすべてには、私が与えた血が情報核として混ざっている。


赤黒い媒体が機体の周囲へ広がり、深淵天竜の身体構造の一部を再現し始めた。


左腕の外側へ、太い筋肉が巻きつく。


損傷した関節を外側から束ね、砕けた装甲の上を黒い鱗が覆っていく。


その先端で、五本の鉤爪が形成された。


両脚にも竜血の筋肉が重なり、白夜の機体を天杭四番によって固定された岩盤へ押しつける。


背部の仮設構造が崩れた。


翼の形へ固定されていただけの媒体が分かれ、その内側で太い翼骨を作っていく。


骨格へ血管と筋肉が巻きつき、その間へ赤黒い翼膜が張られた。


残っていた翼にも、黒い鱗と竜血の筋肉が重なる。


翼の形へ固めただけの血ではない。


開くための筋肉と、魔力を運ぶ血管を持った器官が、白夜の背へ接続されていた。


胸部と露出した右肩にも黒い鱗が並び、壊れた外装の隙間を赤黒い筋肉が埋めていく。


それでも、失われた右腕は戻らなかった。


砕けた装甲も、壊れた機械構造も残っている。


傷を残したまま、深淵天竜の血統をまとっていた。


落下区画が動いた。


白夜の左腕を押し潰し、奈落側へ傾いていく。


竜血に覆われた左腕が、外壁を押し返した。


両脚を固定された岩盤へ沈める。


背部推進器の残存出力を、区画を押し返す方向へ集中させた。


左右の翼が開く。


飛ぶためではない。


片方の翼を半ば畳み、複数の翼骨を区画の下へ差し込んだ。


竜血の筋肉が翼骨同士を束ね、太い支持梁に近い形を作る。


翼膜が石材との隙間を埋め、重さが一か所へ集中するのを防いだ。


もう片方の翼は岩壁へ押しつけられ、白夜の機体が横へ倒れるのを支える。


区画の石材が、束ねられた翼骨へ食い込んだ。


骨が軋む。


付け根の筋肉が裂ける。


翼膜が破れ、赤黒い生体媒体が斜面へ流れ落ちた。


《血脈再生》


接続を通して、傷ついた生体組織へ治癒を流す。


裂けた筋肉をつなぐ。


潰れた血管を修復する。


亀裂の入った翼骨も、組織が残っている場所から修復していく。


その間にも、区画の重さが別の翼骨へ移り、新しい亀裂が走った。


治す。


次の場所が裂ける。


また治す。


けれど、破れて機体から離れた翼膜は戻らない。


流れ落ちた生体媒体も増えない。


白夜が壊れるたび、区画を支えるために使える構造は少しずつ減っていた。


一点へ集中していた区画の重さが、左腕、両脚、背部の翼へ分かれていく。


白夜は天杭四番の固定範囲を支点にして、落下区画を押し返した。


区画の中から、何人もの悲鳴が上がる。


血糸で生命反応の位置を探る。


「左上には人がいる。そこへ力をかけないで」


区画の下へ差し込んだ翼骨が、わずかに沈む。


「中央下は空いてる。そこから押して」


翼骨を束ねていた筋肉が動いた。


内部の生存者を避けながら、区画を支える場所が移っていく。


岩盤を削り続けていた音が弱くなった。


区画の滑る速度が落ちる。


竜血の筋肉が裂ける。


治す。


別の場所へ重さが移る。


また治す。


魔力は足りていた。


だが、治せるのは、まだそこに残っている組織だけだった。


白夜の左腕と、束ねられた翼骨が落下区画を下から持ち上げた。


傾いていた床が、わずかに戻る。


内部で転がっていた瓦礫が止まった。


岩盤を削っていた区画が、初めて動きを止めた。


粉塵の向こうで、白夜の背から広がった赤黒い翼が震えている。


区画は止まった。


けれど、固定されたわけではない。


白夜の左腕か翼骨が外れれば、再び奈落へ滑り出す。


工兵たちは支柱を抱えたまま、まだ区画の下へ近づけずにいた。


外壁の奥から、いくつもの心拍が返ってくる。


止めただけでは、まだ誰も救えていなかった。


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