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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第一部《一人で生きる》

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第九話 《血統捕食》

私は灰森主の首元へ座り込んだまま、目の前に浮かぶ表示を見つめていた。


《潜在固有技能》


《血統捕食》


これまで取得した《血液操作》や《影蔵》とは、表示の形が少し違っている。


新しく取得したという通知も、SPを消費した記録もなかった。


口元についた血を手の甲で拭う。


「これ、私の技能?」


《肯定》


「いつ取ったの?」


《取得履歴――存在せず》


「最初から持ってた?」


《先天保有の可能性があります》


また曖昧な答えだった。


今の身体が作られた時から持っていたのか。


目覚める前に獲得していたのか。


それとも、先ほど灰森主の血を飲んだことで初めて表へ現れたのか。


表示からは判断できなかった。


それ以上尋ねても、まともな答えは得られそうにない。


重要なのは、今この技能が動いていることだった。


《高位生体因子を解析中》


《解析対象――灰森主》


《固有因子を確認》


《領域同化》


あの力だった。


自分の存在を森全体へ薄く広げ、血液感知でも位置を特定できなくする。


私が一度完敗した最大の原因。


その能力が、灰森主の血の中に残っているらしい。


《適合可能性を判定中》


少しだけ期待した。


あれほど厄介だった能力を自分でも使えるなら、探索も戦闘も大きく変わる。


しかし、次に表示されたのは警告だった。


《高位固有因子を確認》


《適合処理を開始》


《予測身体負荷――高》


「高い?」


聞いた時には、既に遅かった。


身体の奥から熱が上がる。


火の近くにいる時の熱さではない。


血管の中へ熱した金属を流し込まれたように、胸から手足へ激しい熱が広がった。


「待って」


灰森主の死体へ手をつく。


心臓が急激に速くなり、視界が揺れた。


立ち上がろうとしたが、膝から力が抜ける。


《適合処理――進行中》


《推奨行動――安静》


「ここで?」


周囲には灰森主の血の匂いが広がっている。


領域主が死んだことで、隠れていた別の魔物が近づいてくる可能性もある。


安静にできる場所ではなかった。


帰らなければならない。


《影蔵》から水袋を取り出し、残っていた水を飲む。


熱が下がるわけではなかった。


それでも喉を通る冷たさで、僅かに意識がはっきりする。


私は灰森主の身体へ手をつき、もう一度立ち上がった。


足元が揺れる。


身体は重く、今すぐ横になりたい。


それでも歩き始めた。


出発する前に、自分で言った。


帰ってくる。


なら、帰らなければならない。


灰森主が死んだ後、森の様子は少し変わっていた。


《血液感知》を広げても、以前のように森全体へ薄く広がる巨大な反応はない。


代わりに、小さな生命反応が至るところで動いていた。


これまで灰森主を避け、巣や地面の下へ隠れていた生き物たちが動き始めているのかもしれない。


今の私には、詳しく確かめる余裕がなかった。


熱い。


眠い。


身体が重い。


何度も歩いた道なのに、森の入口がひどく遠く感じる。


途中で二度座り込んだ。


一度目は、残していた水を飲んだ。


二度目は目を閉じたまま動けなくなり、自分の頬を叩いて意識を戻した。


「まだ駄目」


ここで眠れば、別の魔物に食べられるかもしれない。


灰森主に勝った直後、帰り道で死ぬのはかなり嫌だった。


木へ手をつき、再び立ち上がる。


一歩ずつ進む。


森を出た時、少しだけ安心した。


しかし、身体の熱はさらに上がっている。


《適合処理進行率――31%》


「まだ三割?」


返事はなかった。


石造りの通路を進む。


右へ曲がり、壁の印を確認する。


次の分岐を左へ進む。


何度も通った道のはずなのに、一度だけ違う通路へ入った。


途中で印がないことに気づき、戻る。


「頭まで変」


身体だけではない。


思考まで熱に沈み、簡単なことを考えるのにも時間がかかった。


壁へ手をついたまま歩く。


途中にある水場が見えたが、立ち寄らなかった。


家はもう少し先にある。


石棺の部屋へ戻った時、火は消えたままだった。


入口で一度立ち止まり、室内を見る。


壁。


石棺。


石の器。


保存している食料。


炭で描いた絵。


戦いの前と何も変わっていない。


「ただいま」


声は少し掠れていた。


返事はない。


それでも、口に出したことでようやく帰ってきた気がした。


石棺へ入り、そのまま倒れ込んだ。


目を閉じた瞬間、意識が途切れた。


夢を見た。


森ではなかった。


赤い液体が、どこまでも広がっている。


自分の血。


灰森主の血。


知らない生き物の血。


どれが誰のものなのか分からないほど混ざり合っていた。


その中から、何かが私の身体へ入ろうとしている。


身体の内側では、別の何かがそれを拒んでいた。


押し返す。


形を削る。


必要な部分だけを引き込み、余計なものを外へ捨てる。


誰かが作業しているようにも感じた。


けれど、姿も声もない。


ただ、この身体だけがやり方を知っていた。


受け入れても死なない範囲を、勝手に選んでいる。


夢の中でも、少し腹が立った。


「雑」


その言葉を口にしたところで、目が覚めた。


暗い。


それでも周囲は見える。


石棺の中だった。


しばらく動かず、自分の状態を確かめる。


熱はない。


身体も重くない。


むしろ、長く眠った後とは思えないほど軽かった。


上半身を起こす。


「どれくらい寝た?」


《推定休眠時間――二日と十一時間》


「二日も」


かなり長い。


喉の奥には強い渇きがあった。


《影蔵》に残していた小さな血袋を取り出す。


保存状態は良くなかったが、飲めないほどではない。


量は少ない。


それでも、血が喉を通ると身体の渇きが僅かに和らいだ。


自分の状態を確認する。


《適合処理――完了》


《固有因子の限定定着を確認》


《領域同化》


「取れた?」


《肯定》


「灰森主と同じ?」


《否定》


続けて、詳細が表示される。


《領域同化・限定型》


《原型因子の一部のみ定着》


《領域規模、持続時間および同化精度が低下しています》


完全に同じ能力ではなかった。


灰森主は、森全体へ存在を広げ、戦闘中も位置を隠し続けていた。


私が得たものは、その一部だけらしい。


それでも十分に強い。


次の警告が現れる。


《血統捕食による高頻度の因子取得は推奨されません》


「どうして?」


《想定危険》


《身体負荷の蓄積》


《固有因子間の競合》


《適合処理の失敗》


「何個も取ったらどうなる?」


《個体差が大きいため回答不能》


「死ぬ?」


《可能性を否定できません》


表示を閉じる。


「怖い」


魔物の血を飲めば、簡単に能力を奪えるわけではない。


一定以上に強い個体の、新鮮な血が必要。


その中に特殊な因子がなければ、解析自体が始まらない。


因子があっても、私の身体と適合するとは限らない。


適合しても、灰森主一体だけで二日以上動けなくなった。


「何でも飲めばいいわけじゃない」


むしろ、相手によっては身体を壊す可能性がある。


簡単な力ではなかった。


そのことに、少し安心した。


《領域同化》を試すことにした。


《領域同化・限定型》


《自身の気配、魔力、匂いおよび体温情報を周辺環境へ分散します》


《使用条件》


《一定時間以上滞在し、環境情報を蓄積している領域であること》


「ここなら使える?」


《使用可能》


石棺の部屋の中央へ立ち、目を閉じる。


《領域同化》を意識する。


最初は何も起きなかった。


少し待つと、自分の輪郭が薄くなる感覚がした。


身体が消えたわけではない。


目を開けば、手も脚も見えている。


しかし、《血液感知》で自分自身を捉えようとすると、反応が一か所へ集まっていなかった。


床。


壁。


石棺。


部屋の中へ、私の反応が薄く広がっている。


「気持ち悪い」


自分がどこにいるのかは分かっている。


それなのに、感覚だけが部屋全体へ引き延ばされていた。


少し歩く。


広がっていた反応が乱れた。


速く動くと、中心が自分の身体へ戻り始める。


「動くと崩れる」


灰森主は、走りながらでも同化を維持していた。


私が得たものとは、練度も性能も違う。


少し悔しい。


それでも、隠れて待つ時や、敵の感覚を惑わせるには使える。


その日から、《領域同化》も少しずつ練習した。


石棺の部屋。


水場。


いつも通る通路。


長く滞在し、周囲の形や匂いを覚えている場所ほど使いやすい。


反対に、初めて入った通路ではほとんど効果がなかった。


これは透明になる能力ではない。


自分が長く過ごし、知り、馴染んだ場所へ存在を混ぜる能力だった。


最も使いやすいのは、石棺の部屋だった。


火。


石棺。


壁の絵。


床へ残った傷。


自分で作った道具。


どれも私自身ではない。


けれど、ここで暮らしてきた時間が残っている。


《領域同化》を使い、壁際へ座る。


自分の存在が、部屋の中へ静かに広がっていく。


その感覚は奇妙だったが、嫌いではなかった。


ここは、私が帰ってくる場所だった。

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