第六話《黒》
赤い布が、ロイスの腕へ結ばれようとしている。
治療兵が指一本分の隙間を残し、布の端を固く結ぶ。
腹部へ回した血糸はまだ残していた。
完全には止められない。
それでも、第一処置幕へ運び込まれるまで、出血する速度を遅らせることはできる。
「赤、第一処置幕へ!」
担架を持った兵士が声を上げた。
進路にいた人間が左右へ分かれ、ロイスの担架が布幕の向こうへ運ばれていく。
ミレアとオルドには、黄色い布が結ばれた。
止血の済んだ上肢欠損。
肋骨と肺の損傷。
どちらも、今すぐ処置しなければ死ぬ状態ではない。
自分で歩ける者には、緑色の布が渡された。
腕へ結べる者は自分で結び、片手が使えない者には近くの兵士が巻いていく。
救護所の中へ色が増えていった。
赤。
黄。
緑。
天杭四番の固定範囲を、担架が途切れず渡っている。
接続の先で、白夜は左腕を岩盤へついたまま動かない。
私が魔力を送るたび、次の命令を待つ感覚だけが返ってきた。
「王城側から追加だ!」
街道の向こうから、搬送班が走ってくる。
担架は足りていなかった。
外された扉。
馬車の荷台から切り離した板。
二本の槍へ外套を通しただけのもの。
その上へ負傷者が寝かされている。
兵士ではない人間も混じっていた。
前掛けを着けた女。
泥で服の色が分からなくなった男。
片方の靴を失った子供。
歩ける者が、歩けない者へ肩を貸している。
「重傷者を手前へ!」
バルガスが声を張る。
「歩ける者は南側! 担架を置いた者は道を塞ぐな!」
最初の男は、額から血を流していた。
呼吸は安定している。
手足も動いていた。
「名前は」
「ベル――」
布幕の向こうで木箱が倒れた。
割れる音と治療兵の指示が重なり、その先は聞こえなかった。
首筋へ血糸を触れさせる。
頭蓋の内側に大きな出血はない。
額の傷も深くなかった。
「緑。頭部裂傷」
「歩けるなら南側へ!」
次の患者は、左脚が途中から不自然に曲がっていた。
血管は傷ついていない。
内臓にも大きな損傷はない。
「黄。左脚骨折」
黄色い布が腕へ回される。
「固定して待機区画へ!」
次は胸を押さえた女だった。
外から見える傷はない。
呼吸が速い。
血糸を触れさせる。
胸部の内側で出血していた。
「胸部出血。赤」
近くの搬送兵が振り返った。
「何色だ!」
「赤!」
赤い布が結ばれる。
私の言葉が終わる前に、担架はもう処置幕へ向かっていた。
次。
腕部裂傷。
出血は多く見えるが、太い血管は傷ついていない。
「黄」
次。
腹部へ石片が刺さっている。
血圧が下がり始めていた。
「赤。石は抜かないで」
次。
右肩が外れている。
自分で立っていられる。
「緑。南側へ」
色を告げるたび、人間が動いた。
誰を先に運ぶのか、担架の前で言い争う声が減っていく。
「奈落姫!」
待機区画から声が上がった。
「この老人の呼吸がおかしい!」
黄色い帯を結ばれた腕が見えた。
上体を起こしたまま寝かされている。
浅い呼吸。
胸を押さえた手。
付き添っていた兵士が、何度も顔を覗き込んでいた。
「オルド。もうすぐ運ばれる。聞こえるか」
オルド。
北門の倉庫番。
そばへ膝をつき、首筋へ血糸を触れさせる。
診断した時より、片方の肺が小さくなっていた。
胸部の内側へ血が溜まり、残された肺まで圧迫している。
心拍も速い。
黄色のまま待たせれば、後方へ運ぶ前に呼吸が止まる。
「その黄、止めて」
担架を持ち上げようとしていた兵士が動きを止めた。
「黄色を外して。赤」
治療兵がオルドの腕を見る。
「赤に変更ですか」
「肺の圧迫が増えてる。今すぐ処置が必要」
黄色い帯がほどかれる。
代わりに、赤い帯が結ばれた。
「オルドを第一処置幕へ!」
バルガスの声が届く。
「胸部損傷だ! 一台空けろ!」
「第一は二人処置中です!」
「腕部裂傷を第二へ回せ! こっちを入れろ!」
オルドの担架が運ばれていく。
付き添っていた兵士が、その横を走った。
「オルド、聞こえるか! 今から治してもらえるぞ!」
赤い布が、処置幕の向こうへ消えた。
次の患者が置かれる。
右腕骨折。
呼吸は安定。
「黄」
次。
腹部打撲。
内部出血なし。
「緑」
次。
意識なし。
呼吸と心拍は保たれている。
頭蓋内部の出血も少ない。
「黄。頭を動かさないで」
しばらくして、処置幕から治療兵が顔を出した。
「北門の老人、呼吸が戻りました!」
付き添っていた兵士が立ち上がる。
処置幕から出てきたオルドの腕では、赤い布が外され、再び黄色い布が結ばれていた。
「オルド。聞こえるか」
老人の瞼が、わずかに動いた。
その横へ、新しい担架が置かれる。
次。
その次。
新しく運び込まれた患者の中には、血糸を触れた時点で、今ある治療では間に合わない者もいた。
「黒をこっちへ移すぞ!」
救護所の端で兵士が声を上げた。
黒い帯を結ばれた患者が、処置幕から離れた場所へ運ばれていく。
そこには布幕が一枚だけ張られていた。
地面へ直接寝かせるよりはよい。
黒の患者を運んだ治療兵が、水袋を枕元へ置き、そのまま処置幕へ戻ろうとした。
「水だけ置いていくな」
バルガスが呼び止める。
「ですが、赤がまだ六人います」
「一人残れ」
「隊長」
「黒も患者だ。治せなくても、一人にはするな」
治療兵が処置幕を見る。
近くにいた兵士が、水袋を受け取った。
「俺が残ります」
「呼吸が苦しい者は横へ向けろ。水は飲ませすぎるな。口を濡らすだけでいい」
兵士が黒の患者のそばへ膝をつく。
身体を横へ向け、布で口元の血を拭った。
「ギド。水だ。少しだけ口を開けろ」
返事はない。
それでも兵士は、もう一度名前を呼んだ。
黒の区画にも心拍がある。
弱いもの。
間隔が崩れているもの。
今にも止まりそうなもの。
そこへ血糸を伸ばせば、赤の診断が遅れる。
次の患者へ触れる。
「黄。腹部打撲」
黒の心拍は、背後に残した。
「奈落姫」
ニクスの声がした。
黒い布を握っている。
その先には、ダリオが寝かされていた。
口元に浮かぶ血の泡が、さっきより増えている。
呼吸のたびに、胸部の潰れた鎧が小さく動いた。
右手には、削りかけの木馬が残っている。
ダリオが黒い布を見る。
「それ、俺のだろ」
ニクスは答えなかった。
「結べよ」
ニクスが膝をつく。
黒い布をダリオの腕へ回し、強く引いた。
ダリオが顔をしかめる。
「止血帯じゃないぞ」
ニクスが結び目を少し緩めた。
「分かってる」
ダリオは咳き込んだ。
口元から血が落ちる。
右手の木馬を、ニクスへ差し出した。
「これ、持っててくれ」
「自分で持ってろ」
「返せって言うまでだ」
ニクスが木馬を受け取る。
「だったら、自分で返せって言え」
ダリオは少しだけ笑った。
呼吸は続いている。
胸部の内側では、血が増え続けていた。
黒。
胸部圧壊。
両肺損傷。
診断は変わらない。
「奈落姫!」
処置幕から治療兵が叫んだ。
「赤が急変した!」
立ち上がる。
ニクスがこちらを見る。
何も言わなかった。
赤い帯を結ばれた患者が、処置幕の前で身体を震わせている。
王城側から運ばれてきた若い男だった。
鎧は着ていない。
泥と血で、服が何色だったのか分からない。
腹部に大きな傷はない。
けれど、血糸を触れさせると、内側で太い血管から血が流れ出していた。
「処置幕へ入れろ!」
「台が空いていません!」
「床でいい!」
バルガスが怒鳴る。
「寝かせろ!」
男が地面へ降ろされる。
血糸を腹部へ回す。
血流が速い。
締める位置を間違えれば、下半身へ血が届かなくなる。
細い糸を一本ずつ回し、流れを弱めていく。
男の身体の震えが小さくなった。
心拍はまだ速い。
血圧も低い。
それでも、さっきより出血は減っている。
「治療術を始めます!」
治療兵が男の腹部へ手を当てた。
淡い光が広がる。
今、血糸を外せば、塞がりかけた傷がまた開く。
黒の区画から、弱い呼吸が聞こえた。
一度。
長い間を置いて、もう一度。
その次はなかった。
黒の区画から、一つの心拍が消えた。
血糸は戻さなかった。
目の前の男は、まだ腹部の内側で血を失い続けている。
治療兵の光が傷へ沈んでいく。
「もう少しです!」
血糸を締めたまま待つ。
男の心拍が、少しずつ落ち着いていった。
出血も減っている。
「今なら外せる」
血糸を一本ずつ緩める。
出血は増えない。
「処置を続けろ!」
バルガスが叫ぶ。
担架が持ち上げられ、男は処置幕の奥へ運ばれていった。
背後から、ニクスの声が聞こえた。
「ダリオ」
足が止まりかける。
黒い帯。
胸部圧壊。
両肺損傷。
削りかけの木馬。
そこまで浮かんでから、名前がつながった。
ダリオ。
振り返る。
ニクスが黒の区画で膝をついていた。
片手をダリオの肩へ置き、もう片方の手に木馬を握っている。
ダリオの胸は、もう動いていなかった。
「奈落姫!」
新しい担架が、私の前へ置かれた。
若い女だった。
顔の半分が、土と髪に覆われている。
首筋へ血糸を触れさせる。
腹部出血。
心拍低下。
呼吸は浅い。
今なら間に合う。
「赤。第一処置幕へ」
治療兵が赤い布を取り、女の腕へ結ぶ。
担架が持ち上がった。
背後で、ニクスがもう一度名前を呼んだ。
私は次の患者へ血糸を伸ばした。
その人の名前は、聞かなかった。
第六話《黒》




