第三話《血統支配》
中層の下方で、深淵天竜の口腔が赤白く染まっていた。
切断された右肩から流れた血が岩壁を伝い、引き裂かれた両翼が巨体の左右へ垂れている。それでも深淵天竜は、残った左前脚と二本の後脚を壁面へ突き立て、白夜が立つ岩棚へ頭部を向けていた。
胸部で圧縮された魔力が首の内部を通り、口腔へ集まっている。
《血統顕装・深淵天竜》を通して見える流れは、幾筋にも分かれていた。胸部から押し上げられた魔力が喉の奥で一つに束ねられ、顎下に残る傷を内側から照らしながら、開かれた口へ流れ込んでいく。
白夜の観測表示が開いた。
《口腔内魔力反応――上昇継続》
《放射予測――三秒以内》
《回避推奨》
避けろ。
接続を通して、白夜から警告が来た。
「避けない」
私は動かなくなった白夜の右腕を竜血で固定し、その上へ載せた位相断裂刃の基部を左手で支えた。
深淵天竜の首を切断する必要はない。
胸部から口腔へ続く魔力経路。そのすべてが合流する場所は、最初に位相断裂刃で傷をつけた顎下、そのさらに奥にあった。
深淵天竜が口を開く。
同時に、白夜の背部兵装架が開いた。
《天杭四番――射出》
残していた天杭が、白夜の背から下方へ走った。
天杭四番は深淵天竜の顎下に残る傷へ突き刺さり、砕けた鱗の間から肉と下顎の骨を貫いた。そのまま頭部の後方にある岩壁へ深く沈み、周囲の空間を固定する。
《天杭四番――空間固定成立》
深淵天竜が頭部を振ろうとする。だが動かない。
次の瞬間、ブレスが放たれた。
大空洞から色が消えた。
赤白い光が下方から岩棚を貫き、岩盤を溶かしながら上層へ突き抜ける。白夜は足元が消える直前に岩棚を蹴った。
光から離れるのではない。
位相断裂刃を構えたまま、ブレスの縁に沿って深淵天竜へ落下する。
放射へ触れた白夜の右肩から竜鱗が剥がれた。骨組みだけになっていた右翼が焼け、残っていた左翼も根元から消し飛んでいく。周囲の竜血を集めても、再形成は追いつかなかった。
《左翼――喪失》
《右翼外部血統構造――崩壊》
それでも白夜は降下した。
深淵天竜は頭部を動かせないまま、残った左前脚を岩壁から引き抜いた。巨大な爪が横から迫り、白夜を壁面ごと叩き潰そうとする。
白夜は左腕を前へ出した。五本の竜血鉤爪が深淵天竜の爪と衝突し、黒い鱗が弾けた。
受け止められない。だから、軌道だけを変える。
左腕を覆っていた竜血の筋肉を自ら崩し、衝撃を逃がした。深淵天竜の左前脚は白夜の背後へ滑り、爪の先が背部装甲と兵装架の一部を引き裂く。
それでも、落下は止まらなかった。深淵天竜の喉が迫る。赤白い光が顎下の傷から漏れ、鱗の継ぎ目を走っていた。
白夜は両脚の鉤爪を深淵天竜の首へ突き立てた。巨体へ衝突した衝撃で右膝の外装が割れたが、左手は位相断裂刃を離さなかった。
刃を顎下の傷へ差し込む。
《位相断裂刃――出力低下》
《刃部位相維持――不安定》
損傷した刃は、深淵天竜の首を断てるほど長く伸びなかった。
でも、それでいい。
狙っているのは肉でも、骨でもない。
胸部から上がってきた魔力が、口腔へ向かう直前に束ねられる場所。深淵天竜自身が、最大出力の光を通すために開いている道だった。
「白夜」
背部推進器が開いた。
白夜は首へ両脚を沈め、動かない右腕を支点に左手だけで位相断裂刃を横へ押した。
刃が顎下の肉を切り進む。
深淵天竜が咆哮しようとした。
口腔から放たれていた光が揺れた。
位相断裂刃が、魔力経路の出口側を位相ごと横切った。
経路そのものが前後へずれた。
ブレスは止まらなかった。
行き先だけを失った。深淵天竜の喉が、内側から膨らんだ。
鱗の隙間から赤白い亀裂が走る。顎下から首へ。首から胸部へ。圧縮された魔力はずれた経路を越えられず、後方から流れ込む次の魔力に押し返されていく。
口腔へ抜けるはずだった光が深淵天竜自身の肉体へ逆流した。
白夜から離れろという衝動が来た。
間に合わない。
深淵天竜の胸部が破裂する。
爆発が白夜を呑み込み、首へ食い込ませていた両脚の鉤爪を強引に引き抜いた。白夜の巨体が中層上方へ弾き飛ばされ、位相断裂刃は根元から折れて、回転しながら赤白い光の中へ消えていった。
背面が岩壁へ激突した。
搭乗槽の固定具が胸と腹へ食い込み、肺から息が漏れる。白夜の外装が潰れ、視界の半分が黒く途切れた。
それでも、接続は切れていない。
私は白夜の左手を動かし、崩れた岩棚の縁へ鉤爪を突き立てた。白夜の巨体が岩壁へぶら下がり、下方への落下が止まる。
眼下では、深淵天竜の胸部に大きな穴が開いていた。
赤白い光が、内部から少しずつ薄れていく。
残った左前脚の爪が壁面を掻く。
岩が崩れた。
二度。
爪の先が浅く滑った。
三度目はなかった。
深淵天竜の首から力が抜けた。
胸部の破裂によって顎下から首の前面までが裂け、天杭四番は下顎の一部だけを岩壁へ残していた。左右の断壁へ固定されていた両翼も、落下しようとする巨体の重さに耐えられず、付け根から引き千切れる。
天杭二番と三番に貫かれた翼の残骸を岩壁へ残し、深淵天竜の身体がゆっくりと下方へ傾いた。
四百六十七メートルの巨体が、暗闇へ沈んでいく。
白夜は岩棚へ片手でぶら下がったまま、その落下を見送った。失われた両翼の付け根から戦闘循環液が漏れ、折れた位相断裂刃からの応答は戻らない。
深淵天竜が落ちた方向から重い衝撃が大空洞を震わせた。
それでも生命反応は戻らなかった。
《深淵天竜――生命反応消失》
《討伐報酬――SP+30》
表示を見ても、喜びは浮かばなかった。
搭乗槽へ食い込んでいる固定具の痛みと、白夜の損傷箇所だけが鮮明だった。敵性個体の活動停止を確認し、次に残っている危険を探す。
そうしなければならないと分かっていた。
深淵天竜の巨体が暗闇へ沈み続ける中、私自身のシステムが別の表示を開いた。
《高位生体因子――解析完了》
《解析対象――深淵天竜》
《血統捕食――進化条件の一部を達成》
続けて、見覚えのない判定が表示された。
《救命因果判定――成立》
《退避対象二千五百三十六名のうち、死亡予測を回避した個体を確認》
《対象――百四十七名》
《報酬算定――個別治療報酬に準拠》
《SP+294》
百四十七人。
その全員が今は生きている。
《死亡予測》――それは、私が介入しなければ失われていた百四十七人の命を、システムが数えた結果だった。
「どうして、そんなことまで分かるの」
表示は答えなかった。
《今回獲得SP――324》
その数字だけを残し、視界から消えた。
直後、大空洞の底から低い振動が上がってきた。
深淵天竜の死体という巨大質量が落下したことによって生じた衝撃ではない。一定の間隔を保ったまま近づいてくる、巨大な何かの移動音のようだった。
白夜が岩棚へ左手を食い込ませたまま、下方へ頭部を向ける。
暗闇の奥で、長大な影が進路を変えていた。
深淵天竜よりも大きい。
岩盤の間に続く巨大な空洞を、地面へ触れることなく進んでいる。身体の周囲では無数の小さな生命反応が動き、背部には魔力を帯びた植物のようなものまで付着していた。
白夜の観測へ、第三主層で確認した情報が重なる。
―深淵航鯨。
下層を水平に進んでいた千百四十メートルの巨体が軌道を曲げ、こちらへ向かって弧を描くように上昇していた。
その先には私と白夜がいる。
同時に、その移動ルートには落下を続ける深淵天竜の死体もあった。
白夜はもう、まともに戦える状態ではない。右腕は動かず、両翼は失われ、位相断裂刃も消えた。天杭二番と三番は断壁へ残り、天杭四番も深淵天竜の下顎を岩壁へ固定したままだった。
私は大空洞へ散った血へ意識を伸ばした。
深淵天竜の胸部が破裂した際、肉体から完全に切り離された血だけを白夜の周囲へ集める。赤黒い血塊が右肩を覆い、背部へ回り込んで翼骨を形成し始めた。残りは白夜の周囲へ浮かせ、装甲や鉤爪へ変えられる状態で待機させる。
「離れるよ」
白夜から反対の衝動は来なかった。
背部推進器を噴射し、岩棚から機体を引き剥がす。再形成途中の右翼で姿勢を支えながら、深淵航鯨の上昇進路から横へ外れた。
巨大な影が深淵天竜へ近づく。
空洞を満たすほどの頭部が、下方の暗闇から現れるのが見えた。
深淵航鯨は白夜へ向きを変えなかった。
開いた口が、落下する深淵天竜の胴体へ迫る。
胸部から尾にかけてが、そのまま巨大な口腔へ呑み込まれた。残った脚が内部の硬い器官へ引っかかって折れ、周囲を漂っていた岩塊や血まで一緒に吸い込まれていく。
航鯨の周囲にいた小型生物が、残骸へ群がった。
白夜が距離を取っても、追ってこない。
「食べに来ただけ……」
深淵航鯨の目的は、白夜でも探索隊でもなかった。
死んだ深淵天竜を捕食するために、軌道を変えただけだった。
私は攻撃のために浮かせていた竜血を、右翼の再形成へ回した。翼骨の間へ翼膜が張られていくが、深淵天竜が生きていた時よりも抵抗が強い。
外側へ広げた血統構造を自分の一部として保つたび、輪郭が薄くなっていく。
白夜の背にある翼と、搭乗槽に収まっている自分の肩。その違いが分からなくなり始めている。
《血統顕装――継続中》
《人間性――低下継続》
表示を閉じ、白夜を上方へ向けた。
深淵航鯨が死体を食べている間にここを離れなければならない。
背部推進器を噴射する。
右翼を開くたびに骨格が軋み、翼膜の一部が血へ戻った。それでも白夜は、崩れた中層の岩棚を越えながら上昇していった。
第二階層へ近づいた時、消えていたレオンの接触印に微かな反応が戻った。
母艦の通信が復旧したわけではない。
理由は分からない。
それでも、上層へ近づくほど反応は強まり、途切れ途切れだった接触が、やがて声を運ぶ程度まで戻っていった。
「レオン」
返答はすぐには来なかった。
白夜が砕けた第二階層の下方まで近づいたところで、雑音に混じった声が届く。
『……エルセリアか』
「うん。リノは」
『無事だ。脚を痛めてるが、自分で歩いてる』
「ガレスは」
『生きてる。負傷者を連れて上がってる』
「エドガーたちは」
レオンの返答が、わずかに遅れた。
『一緒にいたやつらが全員いるわけではない。だが、エドガーを含めて残ってる連中は動ける』
「教会へ戻らせないで」
『何?』
「奈落の近くにある建物は危ない。教会も崩れるかもしれない。負傷者を連れて、奈落から離れる方向へ逃がして」
『……分かった。伝える』
レオン、リノ、ガレス、エドガー。
少なくとも、名前を確認した四人は生きている。
搭乗槽へ押しつけられていた胸の痛みが、少しだけ遠のいた。白夜が岩壁へ食い込ませていた左手からも、わずかに力が抜ける。
「天竜は倒した」
接触印の向こうで、レオンが息を止めた。
『……そうか』
「航鯨が死体を食べてる。でも、こっちには来てない」
『航鯨?』
「前に見つけた大きい個体。天竜より下にいた。今は捕食してるだけ」
白夜の足元で、岩棚が小さく揺れた。
一度では終わらない。
上方、下方、左右。離れた複数の場所から異なる振動が届き、それらが奈落の内部で重なっていく。
「揺れは止まってないみたい」
『分かってる』
「天竜から出てたんじゃない。航鯨とも違う。もっと深い場所から、いくつも上へ来てる」
白夜がつかんでいた岩壁に、新しい亀裂が走った。
「奈落の中だけじゃなくて、周辺からも人を離して。入口の近くだけじゃ足りない」
レオンは答えなかった。
接触印が切れたわけではない。向こう側で、何かを考えている。
「レオン?」
『……ここまで早いとは思わなかった』
声は小さかったが、聞き間違いではない。
「何が?」
『エルセリア、お前も離れろ』
「何が早いの」
『白夜を連れて、奈落の外へ出ろ。できるだけ遠くへ』
「だから、何を知ってるの」
接触印の向こうで、レオンが何かを言いかけた。
だが、それを言わなかった。
それから、声を低くした。
『もう一つある』
「何?」
『お前の中の表示が、今までと違うことを言い始めても、すぐには選ぶな』
白夜の右翼が、わずかに揺れた。
「表示?」
『それが差し出すものを、全部お前のためだと思うな』
「レオン、それはどういう――」
奈落が鳴いた。
岩盤が割れた音ではない。
深淵航鯨の移動音でも、どこか一か所で起きた崩落でもなかった。
奈落そのものが上げた、巨大な叫び声だった。
上層から下層までを貫く大穴全体が、横から押し潰されて楕円へ歪み、そのまま閉じようとしている。世界の底まで穿たれた穴そのものが、耐えきれずにたわんだような音が、白夜の装甲も搭乗槽も通り越して、私の身体の内側まで震わせた。
白夜がつかんでいた岩壁が傾いた。
接触印が途切れる。
「レオン!」
返答はなかった。
白夜の左手が岩盤ごと引き剥がされ、機体が暗闇へ放り出された。
背部推進器を噴射するが、再形成した右翼が途中から崩れた。翼膜が血へ戻り、翼骨が根元から折れる。
機体が傾く。
下方では、深淵航鯨が深淵天竜の残骸を呑み込み続けていた。周囲へ散っていた竜血まで巨大な口腔へ引かれ、白夜との間に赤黒い流れを作っている。
私は《血液操作》で血を引き戻した。
戻ってくる量より、失われる量の方が多い。
《血統顕装――外部血統構造維持不能》
《人間性――低下継続》
白夜の左手が、崩れかけた岩壁へ突き刺さった。
落下が止まる。
その瞬間、私が何も求めていないのに、個人システムが表示を開いた。
《白夜管理者接続――技能拡張使用可能》
《強化対象――深血適合 Lv.1》
《推奨強化段階――Lv.6》
《必要SP――100》
レオンの言葉が、まだ頭に残っていた。
それが差し出すものを、全部お前のためだと思うな。
「今は上げない」
表示を閉じる。
消えなかった。
《現在の深血適合段階では、深淵天竜血統の安定維持が困難です》
《血統顕装継続に伴い、人間性低下が継続します》
《現在位置からの離脱には、飛行構造の安定化が必要です》
白夜から強い拒絶が返ってきた。
選ぶな。
離れろ。
戻れ。
けれど、離れるための翼が崩れている。
表示は、間違っていない事実だけを使って、拒むための道を一つずつ塞いでいった。
「……上げて」
《SP消費――承認》
《深血適合 Lv.1――技能拡張開始》
身体の奥へ、冷たいものが流れ込んだ。
血ではない。
深淵天竜の血統を外側へ押し留めていた境界が開き、その内部に含まれる異質な因子へ、私の血が触れていく。
《深血適合 Lv.2》
竜血が暴れた。
自分のものではない構造を押し返そうとする感覚が薄れ、代わりに、どの因子へ先に触れればいいのかが分かり始める。
《深血適合 Lv.4》
深淵因子と血統因子の境界が見えた。
切り離すことはできない。
けれど、私の血の下へ置くことはできる。
白夜の周囲で崩れていた竜血が止まり、深淵航鯨の吸引へ逆らって、もう一度背部へ集まり始めた。
《深血適合 Lv.6》
《深淵因子従属化――成立》
《外部血統構造――安定》
《血統顕装による人間性低下――軽減》
低下が止まったわけではない。
すでに失ったものが戻ったわけでもない。
ただ、これ以上削られる速度が遅くなった。
白夜の背へ集まった竜血が、再び右翼を形作り始める。翼骨が伸び、その間へ筋肉と翼膜が張られていった。
その先端が完成する前に、深淵航鯨が深淵天竜の胴体をさらに呑み込んだ。
大空洞へ漂っていた竜血が引かれる。
形成途中の右翼が、先端から血へ戻った。
新しい表示が開いた。
《固有技能進化条件――成立》
《血統捕食》
↓
《血統支配》
《必要SP――200》
《SP消費――承認待機》
血統支配。
名前を見た瞬間、意味が流れ込んできた。
《血統捕食》は、外部の血から血統構造を読み取り、一時的に反映する技能だった。
《血統支配》は違う。
解析した血統構造を、私自身の血へ保持する。
深淵天竜の血を外部から供給し続けなくても、必要な構造を再現できるようになる。
「取らない」
白夜から、先ほどより強い拒絶が返ってきた。
選ぶな。
切れ。
戻れ。
表示は消えなかった。
「推進器だけで上がる」
《推進器単独による離脱――不能》
「白夜の翼を直せば」
《白夜原型翼の再生に必要な修復用生体媒体――不足》
《外部竜血を使用しない飛行構造の形成が必要です》
すべて、この時を待っていたかのように差し出された事実だった。
深淵航鯨の口へ、深淵天竜の残骸が消えていく。
大空洞へ散っていた竜血も失われつつある。
奈落は潰れ始めていた。
ここへ留まれば、白夜ごと下層へ落ちる。
レオンは従うなと言った。
白夜も拒絶している。
それでもシステムは、正しい事実だけを並べ、ほかの選択肢を一つずつ消していった。
今回得たSPは三百二十四。
要求された強化と進化へ必要なのは、合わせて三百。
必要な量が、あまりにも近かった。
「……血統支配」
《SP消費――承認》
《固有技能進化開始》
胸の奥で、何かが裂けた。
痛みではない。
私ではないものを外側へ押し出していた境界が、内側へ折り畳まれていく。
黒い鱗の配列。
巨大な翼を開く筋肉。
骨格を支える血管。
深淵天竜の血が覚えていた構造が、外から流れ込むのではなく、私の血の中へ書き込まれていった。
《血統捕食――進化》
《血統支配――取得》
《統合対象――深淵天竜》
《深淵因子――従属状態を維持》
《血統構造――統合完了》
白夜の背に作られていた竜血の右翼が崩れた。翼骨が液体へ戻り、翼膜が赤黒い雨となって落ちていく。
白夜本来の翼を再生できるだけの媒体はない。
けれど、同じ翼を作る必要もなくなっていた。
機体内部を巡る戦闘循環液が背部へ集まり、残っていた修復用生体媒体が、私の血を核として形を変える。
二本の細い翼骨が伸びた。
その間へ薄い筋肉と黒い翼膜が張られていく。白夜の原型翼より小さく、装甲もない。長時間の飛行にも、もう一度深淵天竜と戦うことにも耐えられない。
それでも、崩落域を抜けるための翼にはなる。
白夜が二枚の翼を開いた。
背部推進器の残存出力が噴き出し、薄い翼膜が奈落を吹き上がる魔力流を受ける。
白夜の巨体が、崩れていた岩壁から離れた。
下方では、深淵航鯨の口へ深淵天竜の最後の残骸が消えていく。
それでも、白夜の翼は崩れなかった。
翼を形作る材料まで、なくなったわけではない。
けれど、もう深淵天竜の血そのものを拾い続ける必要はなくなった。
もうその血統は、私の中にあるから。




