第二十七話《白線》
第十階層から、人間の反応は消えていた。
最後まで残っていた十四人も、すでに第九階層へ戻っている。
中層へ入った者は、最初から一人もいない。
第十階層に残っているのは、運び出せなかった木箱や補修材だけだった。
先遣隊の主力は第九階層で前進を止めていた。
そこから地上まで兵士と工兵、治療班、補給要員の反応が中央経路に沿って連なっている。
先へ運ぶはずだった資材も、今は通路の補強へ使われていた。
奈落へ降りるためではない。
何かが起きた時、人間が地上まで戻るための道を作っている。
動員される予定の二万人すべてが、すでに奈落へ入ったわけではなかった。
先に降りた人間が道を直し、負傷者を運ぶ場所を決め、後続をどこで止めるかを伝えている。
その人間たちの下では深淵天竜が移動していた。
《監視指定個体――深淵天竜》
《反応位置――中層域》
《移動方向――上方》
《地上方向成分――継続》
《上層到達予測――算出不能》
天竜はまっすぐ上へ進んでいるわけではないようだった。
毎回少し上がったあと、巨大空間の中を横へ移る。
空間の端で進路を変え、隣の空間へ入ってから、また上がる。
遠回りをしているように見えても、反応は少しずつ浅い場所へ移っていた。
この中層には上層にあるような細い通路も、階層ごとの区切りもない。
どこまで続いているのか分からない巨大空間が、上下にも横にも連なっている。
天竜が今いる場所を、人間の歩く距離へ置き換えることはできなかった。
そして人間側からも観測はできていない。
旧中継拠点の観測機構が捉えられるのは、遠くで起きた魔力の変化や振動の一部だけだった。
その原因が天竜だとは軍には分からない。伝えたところで、理解されるかすら怪しかった。
もう一つの巨大反応を開く。
《監視指定個体――深淵航鯨》
《反応位置――中層深部》
《進行方向――水平》
《上方移動――未確認》
航鯨は、天竜より深い位置を横へ進んでいた。
その周囲ではいくつもの魔物の反応が上方へ動いている。
私が天竜と航鯨を見つける以前から続いていた流れだった。
ただ、一部の群れは前より速くなっている。
《上方移動反応群――増加》
《監視指定個体との因果関係――判定不能》
あの二体が原因とは断定できない。
それでも、中層全体で魔物の流れが変わり続けていた。
第六主層へ接続する。
《決戦兵装第一号・白夜》
《主運用目的――地上防衛》
《副運用目的――広域救難》
《緊急起動準備――継続》
《緊急起動可能予測――四日以上》
《完全修復予測――八日以上》
白夜の修復を緊急起動優先へ切り替えてから、まだ一日も経っていない。
その短い間に人間は第十階層まで進み、そして止まった。
白夜の修復率にまだ大きな変化はない。
第二主層から運び込まれた交換部品が、損傷した内部構造へ組み込まれている。
第五主層からは補修材が送られ、第三主層の補助炉から必要な出力が回されていた。
四日では完全には直らない。
それでも、少なくとも動かせる状態にはできる。
深淵天竜が上層へ届くまでの時間は、表示されなかった。
―――――
その夜から救難網へ登録される人間は増え続けた。
兵士。
工兵。
治療班。
補給要員。
緊急招集された探索者。
中央経路を降りる者。
各階層の拠点で休む者。
資材を運ぶ者。
負傷者の治療をする者。
数百の反応を個別に表示すると、第一主層の壁面が光で埋まる。
一つの反応を見ている間にも別の場所で人間が動く。
《救難対象表示――個体単位》
《登録反応数――増加》
《表示処理負荷――上昇》
全部を一人ずつ追えば、必要な異常を見落とす。
個体表示を閉じた。
《表示方式変更》
《部隊単位統合――実行》
《優先表示条件――負傷・孤立・通信途絶・生命反応低下》
散っていた光が、いくつかのまとまりへ変わった。
同じ道を進む者。
同じ拠点で働く者。
同じ命令で動く者。
異常のない反応は小さくなり、助けを必要とするものだけが前へ出ている。
壁面の端に、一つだけの個別表示が残っていた。
《接触印登録個体――レオン》
閉じるために指を近づけた。
表示へ触れる前に、指が止まる。
レオンは前方指揮所にいる。
孤立してはいない。
生命反応も落ちていなかった。
別の部隊表示を開く。
レオンの表示だけは、壁面の端に残した。
―――――
二日目の午後、補強作業中の工兵が一人負傷した。
階層拠点へ資材を運んでいる途中、壁面から落ちた石が左脚に当たっている。
救難網に黄色い表示が開いた。
《登録反応――負傷》
《生命反応――安定》
《歩行――困難》
負傷者の周囲には四人いた。
二人が落石を退け、残る二人が担架を広げている。
来た道を戻ろうとしていた。
その経路を拡大する。
壁の内側に新しい亀裂が広がっていた。
外からは見えないが、今は形を保っている。
けれど、担架を運ぶ人間が通ったときに崩れる可能性があった。
レオンの接触印を開く。
「レオン」
『どうした』
「怪我した人がいる」
『報告は入ってる。脚をやられた工兵だ』
「来た道を使わないで」
『崩れるのか』
「壁の中まで割れてる」
別の経路を探した。
一つ上の階層へ出て、補給路へ合流できる細い通路がある。
距離は長くなる。
けれど、大きな変形は検出されていなかった。
「右側の細い道から上へ行って。二つ目の分かれ道を左」
『その先は補給路か』
「うん。今は通れる」
レオンが別の通信を開いた。
『負傷者搬送班。帰路を変更する』
五つの反応が動き始める。
前を歩く者が通路を確認し、後ろの者が担架を支えた。
細い場所へ入るたび、歩調が遅くなる。
一度だけ、天井から小さな石が落ちた。
誰にも当たらなかった。
やがて五つの反応が補給路へ入る。
そこで待機していた別の班が、担架を引き取った。
黄色い表示が、人から人へ渡されながら地上へ近づいていく。
途中の階層で治療班が負傷した脚を固定し、そのあと別の搬送班が担架を持ち上げた。
私は道だけを示した。
兵士たちはその道を使って自分たちで負傷者を運んだ。
―――――
三日目。
第十階層方面から届く振動が増えた。
最初は、無人の通路に積もった砂が落ちる程度だった。
次には、置き去りにされた軽い資材が、中層側から吹き込む風に押されて位置を変えた。
《第十階層――構造振動を検出》
《発生方向――中層》
《構造損傷――軽微》
旧中継拠点の観測班も振動と魔力濃度の変化を捉えていた。
けれど、何が起こしているのかまでは分かっていない。
天竜が上昇していることを知っているのは、私だけだった。
人間側は、前に決めた条件に従って配置を変えていく。
『第九階層前方区画の人員を減らせ。工兵と治療班は後方区画へ移動』
先遣隊指揮官の命令を、副官が復唱した。
『第九階層は観測と遅滞に限定。本格防衛線は上層側へ分散配置』
第九階層に残されるのは、下から来るものを確認し、後方へ知らせ、撤収までの時間を作る人間だけだった。
探索者たちが前方指揮所へ集められる。
レオンの声が聞こえた。
『第十階層へ戻るな』
周囲の話し声が止まる。
『下から何か出てきても追うな。第九階層で時間を稼いだら、後方の合図に合わせて下がる』
誰かが尋ねた。
『残る奴が出たらどうするんだ!』
『周りで止めろ。それでも止まらなかったら引きずって戻せ。探索者側で勝手に残る奴は絶対に出すな』
そのあとは組ごとの役割が伝えられる。
前方を見る者。
側道を監視する者。
負傷者を後方へ渡す者。
どの組にも第十階層へ降りる役目は与えられない。
私は第三主層の観測を開く。
深淵天竜は中層の別の巨大空間へ移っていた。
《監視指定個体――深淵天竜》
《移動方向――水平方向》
一度、上昇が止まったけれども、魔力反応は弱くならない。
しばらくして表示が変わる。
《移動方向――上方》
《地上方向成分――再検出》
その位置はさっきよりも浅い。
深淵航鯨はまだ深い場所を横へ進んでいるようだった。
《監視指定個体――深淵航鯨》
《進行方向――水平》
《上方移動――未確認》
二体が同時に上がっているわけではない。
第六主層へ接続する。
《緊急起動可能予測――一日以上》
《完全修復予測――五日以上》
白夜は、まだ動かせなかった。
―――――
白夜の修復方針を切り替えてから、四日あまりが過ぎた朝だった。
地上から第九階層まで、負傷者を止めずに運ぶための経路がつながっている。
すべての通路が安全になったわけではなく、一人ずつしか通れない場所も残っている。
崩落すれば、別の経路へ回らなければならない区間もあった。
それでも、各階層には担架と治療具が置かれ、搬送班の交代地点が決められていた。
負傷表示が開けば、近くの班が動く。
通信が途切れれば、連絡員が経路をさかのぼる。
地上から第九階層まで、人間が戻るための仕組みがつながっていた。
レオンの個別反応は、まだ前方指揮所にある。
第三主層の観測を開く。
《監視指定個体――深淵天竜》
《移動方向――水平方向》
《上層境界との距離――減少》
急激な動きはまだないようだった。
けれど、前よりも上層に近づいている。
私は黒い翼を広げた。
縦坑を降り、第六主層へ入る。
修復区画の奥に、白夜が横たわっていた。
欠けていた装甲の一部は塞がっている。
破断していた内部配線は仮設経路でつながり、停止していた補助系統にも弱い反応が戻っていた。
右側の推進系統には、まだ赤い表示が残っている。
救難収容区画も、完全には復旧していない。
白夜の前へ降りた。
装甲へ手を置く。
冷たさの奥に、細い振動があった。
《決戦兵装第一号・白夜》
《緊急起動準備――最終確認》
《主駆動系統――限定接続》
《操縦系統――管理者接続待機》
《管理者生体鍵――照合待機》
《長時間戦闘――制限》
《深部航行――制限》
《救難収容区画――限定稼働》
《完全修復予測――四日以上》
白夜を動かせば、残っている損傷は広がる。
長く戦えば、戻れなくなる可能性もあった。
完全に直るまで待てば、さらに四日以上かかる。
表示が切り替わる。
《緊急起動準備――完了》
《緊急起動可能条件――達成》
白夜の内部で、細い照明が一つ点灯した。
起動の信号ではない。
管理者生体鍵の照合を待つ応答だった。
レオンの接触印を開く。
「レオン」
『どうした』
「白夜を動かせるようになった」
紙を動かす音が止まった。
『完全に直ったのか』
「まだ。動かせるだけ」
『どれくらい戦える』
「分からない。長くは無理」
『深部へは』
「行かない方がいい」
レオンが短く息を吐いた。
『上層へ出てくるまでは動かすな』
「うん」
『直せるだけ直せ』
接触印を閉じた。
白夜は動かせる。
けれど、修復できていない場所は残っていた。
左側の装甲。
右側の推進系統。
救難収容区画の気密。
主駆動系統の出力制限。
使える時間は、少しでも長い方がいい。
修復を止める理由はなかった。
―――――
その日の夜。
第三主層の観測装置から緊急警告が入った。
《監視指定個体――深淵天竜》
《移動方向――上方》
《移動速度――上昇》
《中層上端域へ接近》
深淵天竜の反応が、これまでより速く位置を変えていた。
巨大空間の内部を上昇し、中層と上層の境界へ近づいている。
周囲にいた魔物反応が散った。
横へ逃げる群れ。
さらに上へ向かう群れ。
動かないまま残る反応もある。
《上方移動反応群――増加》
《深淵天竜との因果関係――判定不能》
人間側の通信は静かなままだった。
第九階層の前方班も、まだ配置を変えていない。
人間側の観測では、天竜の移動を捉えられていなかった。
レオンの接触印を開く。
「レオン」
『どうした』
「天竜が上がってる」
接触印の向こうで、紙を動かす音が止まった。
『どこまで来た?』
「中層の上の方。第十階層に近づいてるみたい」
『航鯨は』
「まだ深い。横に動いてる」
『天竜だけか』
「今は」
レオンがすぐに別の通信を開いた。
『指揮官。例の超大型反応が中層上端へ接近している』
『こちらでは確認できていない』
『分かってる。情報源から警告があった』
短い沈黙があった。
『第九階層前方班、撤収準備』
先遣隊指揮官が命令を出す。
『観測を継続しながら、後方へ移れる隊形を取れ。工兵と負傷者を先に通す準備をしろ』
その命令が伝わった直後に深淵天竜の反応が止まった。
上昇していた巨大な反応が、中層上端域で静止する。
周囲の魔物だけが、天竜から離れるように動き始めた。
《監視指定個体――深淵天竜》
《移動速度――急減》
《頭部前方・魔力密度上昇》
《魔力集束速度――増加》
《過去攻撃記録との照合――一致》
知っている動きだった。
以前、天竜は同じように頭部の前へ魔力を集めていた。
その時は数十メートルある魔物の反応と、その背後にあった岩壁が、一本の線に沿って消えた。
倒れたのではなく、生体反応の大半が一度に失われ、残った部分だけが地面へ落ちていた。
岩壁にも、観測範囲の奥まで続く欠損が残っていた。
けれど、今の天竜の前方に、攻撃対象らしい反応はない。
集束点から伸びた予測線は、頭上へ向いていた。
中層の天井。
その向こうにある、上層。
《放射予測方向――上方》
《上層境界岩盤――射線上》
《第十階層・中層接続口――予測放射範囲内》
集まっている魔力量が、前回の記録を超えた。
《警告》
《観測値――過去最大値を超過》
《周辺観測精度――低下》
「レオン、大きな攻撃が来る!」
『何が起きる?!』
「天竜が撃つ!」
『どこへ?!』
予測線は、第十階層を貫いたまま上へ伸びている。
「上層に向けて」
レオンが息を吸った。
『第九階層前方班、即時後退!』
その声に、先遣隊指揮官の命令が重なる。
『撤収準備を中止! 即時退避へ移行!』
『前方班は第八階層方面へ後退!』
『工兵と負傷者を先に通せ! 装備は捨てて構わない!』
『各班、撤収順序を維持! 前方から順に下がれ!』
第九階層に残っていた反応が、一斉に動き始める。
前方監視を担っていた探索者が最後尾へ回った。
兵士が工兵を後方通路へ先に通し、治療班が担架を持ち上げる。
その時になって、初めて人間側の報告が入った。
『第十階層方面から振動!』
『魔力濃度が低下しています!』
『一点に収束している模様!』
人間が変化を捉えた時には、天竜の魔力はすでに頭部の前へ集まりきろうとしていた。
広い範囲にあった魔力が、一点へ押し込まれていく。
中層上端域の魔力反応が薄れ、天竜の前方だけが観測限界を超える。
《高密度魔力集束――臨界》
《観測系統――飽和》
《放射発生予測――》
表示が最後まで出る前に、観測値が白く埋まった。
中層を上下に分けるように、高密度の魔力反応が走る。
射線上にいた魔物の反応が、まとめて途絶した。
射線の近くにいた反応も大きく乱れ、いくつかは散ったあと消える。
放射は勢いを失わない。
中層上端の岩盤へ届いた。
爆発は起きなかった。
魔力の大半を一本の線へ集中させたまま、岩盤の奥へ進んでいく。
射線上の構造反応が、連続して消えた。
長いあいだ中層と上層を隔てていた岩盤に、線状の欠損が走る。
表面から崩れたのではない。
放射が通った場所だけが、最初からなかったように失われていた。
その周囲へ、遅れて亀裂が広がる。
細かった亀裂が枝分かれし、上層側へ伸びていった。
《上層境界岩盤――貫通》
《損傷範囲――拡大》
《第十階層・中層側区画――構造維持不能》
第十階層に置き去りにされていた資材反応が、射線上から消えていく。
積み上げかけていた防壁。
補修材。
床の一部。
放射へ重なったものから、順番に観測できなくなった。
次の瞬間、光の外側に残っていた岩盤が、自重を支えられなくなった。
床が落ちる。
壁が内側へ倒れる。
天井の一部が分離し、中層側へ崩れ落ちた。
《第十階層・中層側区画――広域崩壊》
《中央経路下部――連続破断》
《中層接続口――形状消失》
《新規貫通孔――形成》
それでも放射は止まらない。
深淵天竜から伸びる魔力が、上層の岩盤をさらに奥まで貫いていく。
貫通孔の周囲で温度が急上昇した。
強度を失った岩盤が剥がれ、次々と中層側へ落ちていく。
開いた穴は、一つの通路と呼べる大きさではなかった。
上層の入り組んだ構造が、いくつもの区画にわたって切断されていく。
新しく開いた穴から、中層側の空気が上層へ吹き上がった。
そして衝撃が軍全体へ届く。
接触印の向こうから、いくつもの音が重なる。
岩が砕ける音。
空気が押し寄せる音。
構造全体が軋む音。
第九階層の床が、一度大きく持ち上がった。
壁面の亀裂が開き、天井の一部が落ちる。
固定されていた資材が倒れ、通路の端に積まれていた箱が人間の反応へ向かって滑った。
『伏せろ!』
『壁から離れろ!』
『いつここが崩れるか分からん!』
『第十階層・中層側区画の構造破断を確認!』
『さっさと搬送路を空けろ! 負傷者を先に行かせろ!』
救難網へ黄色い表示が続けて開いた。
一つ。
三つ。
七つ。
さらに増える。
《負傷反応――複数》
《生命反応低下――二》
《生命反応消失――なし》
《通信途絶――一部区画》
やがて、高密度の魔力反応が消える。
白く埋まっていた観測表示が、一瞬だけ暗くなる。
観測が戻った時、上層境界には大きな欠損が残っていた。
その下で、深淵天竜の反応が再び動き始める。
崩れ落ちた岩盤が中層側へ衝突し、二度目の振動が上層まで届いた。
《高密度魔力放射――終了》
《第十階層・中層側区画――喪失》
《中央経路下部――使用不能》
《上層境界――広域貫通》
《観測可能範囲――縮小》
《構造崩壊――継続》
救難網を開く。
前方班は、放射が始まる前に移動を開始していた。
第十階層には、人間が残っていない。
第九階層の前方区画からも、反応が順番に離れていく。
動ける者が負傷者の肩を支えた。
歩けない者は担架へ載せられる。
担架が足りない場所では、二人が腕を組んで一人を運んでいた。
崩れた通路では、探索者が落ちかけた岩を支え、その下を工兵と治療班が通り抜けていく。
四日前から作られていた退路の上を、人間の反応が途切れずに上がっていた。
あの時、十四人を第十階層へ残していたなら、崩れた区画から全員が戻れなかっただろう。
深淵天竜の反応が動く。
上方移動を再開した。
周囲には、放射を逃れた魔物が残っている。
天竜に畏怖し動けないもの。
進路を失い、巨大空間の端へ集まるもの。
天竜の近くを横切る反応は一つもなかった。
深淵天竜は周りの魔物に一瞥もくれない。
頭部に当たる岩盤や十層の残骸に対して反応も、向きを変えることもなかった。
放射によって開いた穴へ向かって、まっすぐ近づいていく。
以前に魔物を喰らっていた時とは違う。
獲物を探している動きには見えなかった。
近くの魔物も、崩れ落ちる岩盤も無視している。
上へ行くこと以外を、すべて切り捨てたような動きだった。
深淵天竜の全長は、十層の貫通孔の幅を超えている。
頭部に当たる部分だけでも、上層に残った通路には収まらない。
翼に当たる反応まで広げれば、第十階層の残った区画へ接触する。
それでも、深淵天竜は身体の向きを変えなかった。
頭部の反応が貫通孔へ食い込む。
周囲の岩盤が崩れても、天竜の反応は上がり続けた。
岩盤と接触している外縁部が乱れる。
それでも、移動速度は落ちない。
《監視指定個体――深淵天竜》
《上方移動――継続》
《進行方向――新規貫通孔》
《外縁部反応――不安定化》
《移動速度――維持》
避けようとしていない。
傷つかない道を探してもいない。
身体が通らないなら、その巨体で周囲の岩盤を壊す。
崩落が起きても、そのまま進む。
そこまでして上層へ来る理由は、観測情報では分からなかった。
レオンの声がした。
『今ので、上層への道を開けたのか』
「分からない」
上へ進むために撃ったのかもしれない。
岩盤の向こうに、何かを感じたのかもしれない。
中層にいられなくなっただけかもしれない。
理由は分からない。
けれど、偶然こちらへ向かっているわけではないことだけは分かった。
深淵天竜は、上層を選んでいた。
「でも、上に来る」
『第九階層は放棄する』
救難網を確認する。
前方班は、第八階層側へ移動していた。
黄色い反応も、その流れから離れていない。
「前方班は全員、退路の上にいる。死んだ人はいない」
レオンの呼吸が一度止まった。
『白夜は動かせるんだな』
「動かせる」
『航鯨は』
深部の反応を開く。
《監視指定個体――深淵航鯨》
《進行方向――水平》
《上方移動――未確認》
「まだ深い。動きは変わってない」
『なら、今は天竜だけだ』
赤い警告が、ほかの表示を押し退けて開いた。
《深淵天竜――新規貫通孔へ到達》
頭部に当たる反応が、上層側へ入り始める。
崩れ続けていた岩盤が、内側から押し広げられた。
貫通孔の縁に新しい亀裂が増え、上層側へ伸びていく。
頭部の反応の中に、二つの高密度魔力点が現れた。
《高密度魔力点――二》
《過去観測記録との照合――視覚器官推定位置と一致》
二つの魔力点は、頭部反応の中で位置を変えなかった。
近くの魔物が動いても、頭部の向きは変わらない。
崩落にも、乱れた外縁部にも反応を示さない。
さらに上を向いたままだった。
地上を見ているのか。
上層のどこかを見ているのか。
そこに何があるのかは分からない。
ただ、天竜が引き返すつもりがないことだけは分かった。
《深淵天竜――上層への侵入を開始》
白夜の内部灯は、消えずに残っていた。
《決戦兵装第一号・白夜――管理者接続待機》
《深淵天竜――上層への侵入を開始》
一方は、私を待っている。
もう一方は、全てを無視して上へ来ようとしている。
二つの表示が、同じ壁面に並ぶ。
同時に、上層の構造反応がもう一度大きく崩れる。
私は、白夜の装甲へ手を置いた。




