第二十四話《第一主層》
《第一修復工程――再開》
《第一修復工程――進行率三五%》
《第一修復工程完了予測――四十七分後退》
白夜の左肩へ、縫工守たちが戻っていく。
私との同期で接続が安定した組織の周囲を囲み、止まっていた作業を再開した。
架工守も、固定した内部骨格の確認へ移っている。
四人の名前は、まだ視界の端に残っていた。
どの名前にも、環境要因による死亡予測は出ていない。
もう、瓦礫にも昇降機にも押し潰されようとはしていなかった。
別の接触印が開いた。
『旧中継拠点の人員を戻す』
エドガーだった。
声の向こうで、荷物をまとめる音がしている。
「観測は?」
『装置は残せる。だが、護衛を一人欠いた状態で、次の振動へ対応するのは無理だ』
救助が終わったあとも、旧中継拠点の周囲では小さな構造変化が続いている。
人間が残っていれば、観測機構の記録を読み、その場で地上へ伝えられる。
けれど、次に崩れれば、また救難対象が増える。
「人だけ戻して」
『観測機構はどうする』
「記録を続けて」
『人がいなければ、その場では読めないぞ』
「次に戻った時に読む」
観測機構には、私の血が一本残っている。
装置を止めて取り出すには、中を開かなければならない。
そのために、人間を危険な場所へ残す理由にはならなかった。
『お前の血も置いていくことになる』
「うん。人だけ戻して」
『分かった』
エドガーの接触印越しに、研究員の声が聞こえた。
観測機構の表示を、一つずつ読み上げている。
《旧式深淵観測機構――自律記録へ移行》
《遠隔情報伝達機能――なし》
《管理者生体鍵――保持》
旧中継拠点に残っていた名前が動き始める。
研究員。護衛役の騎士。治療班。担架で運ばれる負傷者。
一つずつ、旧中継拠点から離れていく。
やがて、最後の反応が拠点の外へ出た。
《旧中継拠点――登録人員反応なし》
観測機構だけが残った。
奈落の変化を記録し続けても、今は誰にも届かない。
次に人間が戻るまで、そこで何が起きたのかは分からなくなる。
それでも、旧中継拠点に人間の名前は残っていなかった。
消えたのではない。
上へ戻っただけだった。
―――――
私は白夜全体の修復予測を開いた。
《全修復工程完了予測――八日以上》
以前から分かっていた数字だった。
白夜の右手は動く。
右膝も、自重を支えられるところまで直っている。
左肩の接続も進み始めた。
けれど、損傷をすべて埋め、完全な運用状態へ戻すまでには、まだ八日以上かかる。
接触印を開く。
「レオン」
『いる』
すぐに返事があった。
声の向こうで、車輪が石畳を進む音がしている。
「八日あれば、間に合う?」
少し間が空いた。
『分からない』
「前にレオンは深淵潮汐が想像していたよりも早いって言った」
『ああ』
「なら、八日待つのは危ない?」
『白夜が全部直るまで、何もしない方が危ないだろうな』
八日以内に何かが起きるとは、レオンも言わなかった。
深淵潮汐がどこまで上がってくるのか。
次の反応群がいつ動くのか。
奈落がいつまで今の形を保つのか。
誰にも分からない。
接触印の向こうを、また大きな荷車が通り過ぎた。
近くで子供を呼ぶ声がする。
「そっち、何してるの?」
『戦えない住民から、奈落上部の街を出してる』
「避難?」
『子供と患者と老人からだ。全部を一度には動かせない』
子供の声が遠ざかる。
代わりに、反対側から馬具と鎧がぶつかる音が近づいてきた。
「人を外へ出してるのに、兵士は入ってくるの?」
『第一波のあとから集めていた兵を、奈落へ入れるために組み直してる』
「何人?」
『全部集まれば、二万規模だそうだ』
「二万人が降りるの?」
『全員じゃない。地上から第十階層まで、途切れない線を作るんだと』
入口を守る人間。
階層ごとの拠点に残る人間。
物資と負傷者を上下へ運ぶ人間。
その間を切らさず、攻略部隊を第十階層まで通す。
「次の波を、奈落の中で止めるの?」
『止められるかは分からない』
レオンの向こうで、誰かが道を空けるよう叫んだ。
『それでも、地上で待つよりはいい』
街を出ていく人間と、街へ入ってくる人間が、同じ道ですれ違っているのだろう。
「もしかして既に二万人いる?」
『いや、まだ近隣の部隊だけだろう。だが、早いな』
この国も八日も待つつもりはないらしい。
―――――
私は白夜を見上げた。
「私がいなくても、修復は続けられる?」
《管理者判断及び同期補助要求時を除き、修復継続可能》
《管理者不在時――要求通知を保持》
次に私の判断が必要になるまでは、縫工守と架工守が修復を進められる。
白夜を置き去りにするわけではない。
呼ばれたら、戻ればいい。
「八日の期限より早く、動けるようにできる?」
《全修復工程の再編――実行不能》
《現在の管理権限――第七主層管理者》
《艦内統合修復計画――上位管理権限を要求》
第二主層までの機能と資材をつないでも、修復工程そのものを組み替える権限は得られなかった。
「上位の権限はどこにある?」
《回答不能》
《第一主層周辺――情報取得不能領域》
《物理経路――第二主層より接続》
未到達なのは、第一主層だけだった。
「第一主層に行けば、変えられる?」
《回答不能》
第一主層に上位権限を付与する端末が残っているのか。
残っていても、私が使えるのか。
黒く抜けた領域の中に、通れる道があるのか。
何も保証されていない。
『どこかに行くのか』
レオンが聞いた。
「もし何かできることがあるとして、残ってるのは第一主層の探索だけ」
『家の中に何も見えない場所があると言っていたな。まさかそこにいくのか?』
「うん」
『危ないと思ったら戻れ』
「まだ何も見てないよ?」
『情報、構造、何も見えない場所だから言ってるんだ』
それでもレオンは止めるとは言わなかった。
私は白夜へ向き直る。
「呼ばれたら、戻るね」
返事はない。
左肩の内側で、私と重なった振動だけが続いていた。
縫工守が一度だけ顔を上げる。
それから、接続途中の組織へ手を戻した。
―――――
第六主層を出て、中央縦搬送路へ入った。
第五主層では、壁面走行型の搬送個体が循環液の容器を運んでいる。
第四主層では、修理資材が第六主層へ送られていた。
第三主層を通過すると、床の下から補助魔力炉の振動が伝わる。
止まっていたレムナの内部で、別々の機能が少しずつつながり、白夜へ集まっている。
第二主層へ着く。
白夜用の装備を運び出した区画には、空いた固定台と切り離された接続具が残っていた。
その隣には、五機分の整備架が並んでいる。
どれも空だった。
専用装備と補修具だけが、帰らない持ち主を待っていた。
第二主層の奥へ進む。
第一主層へ続く縦搬送路は、途中で停止していた。
《第一主層接続経路》
《内部情報取得――失敗》
《経路状態――不明》
搬送台は動かない。
上へ続く縦穴だけが、暗闇の中へ伸びていた。
壁の一部は崩れ、途中から案内灯も消えている。
私は背中へ力を集めた。
肩甲骨の間が熱を持つ。
黒い翼が、影を引き出すように左右へ広がった。
一度羽ばたく。
足が床から離れる。
「飛んで行く」
『普通に言うな』
レオンの声が返った。
「階段ないから」
『そういう問題じゃない』
もう一度羽ばたき、縦穴を上がる。
翼の先が崩れた壁の近くをかすめ、古い塵を巻き上げた。
途中には、停止した搬送台が斜めに引っかかっている。
その脇を抜け、さらに上へ進む。
第二主層の灯りが、下へ遠ざかった。
ある高さを越えた瞬間、艦内表示が消えた。
階層表示。
周囲の構造情報。
損傷率。
すべてが読めなくなる。
壁も、空気も、縦穴も存在している。
けれど、レムナだけが、この場所を艦内として扱っていなかった。
『エルセリア』
レオンの声に雑音が混ざる。
「聞こえてる」
『戻れるか』
下を見る。
第二主層の灯りは、まだ小さく残っていた。
「戻れる」
『なら進め』
「止めないの?」
『止めても行くだろ』
「うん」
『知ってる』
黒い領域では、どれだけ上がったのかも表示されない。
自分の翼と、壁に残る亀裂だけを見て進んだ。
やがて、縦穴の上端へ着く。
閉じた隔壁があった。
翼を縮め、わずかに残った足場へ降りる。
黒い翼は、背中へ溶けるように消えた。
隔壁へ手を触れる。
艦内案内は戻らない。
代わりに、手の下で別の機構が起動した。
第一主層だけに閉じた、独立した認証系だった。
《第一主層――統制区画》
《入域権限――不足》
《非常継承照合――実行可能》
「非常継承」
《統合管理者――応答なし》
《第一主層正規管理者――不在》
《第七主層管理者・エルセリア》
《登録個体名――エルセリア》
《復旧関与主層――六》
《主層接続・機能復旧実績――確認》
《管理者生体鍵――適合》
《非常継承候補として照合》
種族も、兵装も表示されなかった。
並んでいるのは、私の名前と、私が動かしてきた主層だった。
暮らすために直した。
怪我人を治療するために動かした。
白夜を直すために、切れていた場所をつないだ。
その結果が、閉じた扉の前に残っている。
《艦内統合管理権限を暫定継承しますか》
統合管理者が何をするのかは分からない。
第一主層の中に何があるのかも見えない。
それでも、今の権限では白夜を八日待つしかなかった。
「引き継ぐ」
《艦内統合管理権限――暫定継承》
《第一主層独立保全機構――解除》
《外部情報遮断――終了》
《第一主層――入域許可》
重い隔壁が、左右へ開いた。
―――――
到着した第一主層には作業個体の姿がなかった。
長い通路の奥に円形の空間がある。
中央には、艦全体へ接続する管理席が一つ。
その周囲に六つの接続表示が並んでいた。
私が入ると照明が順番に点灯した。
壁面へ、レムナ全体の形が浮かび上がる。
第一主層を上に。
第七主層を下に。
艦首は奈落の深層へ向けられ、八本の固定杭が深層封鎖座標へ伸びている。
既に知っている艦名が、中央へ表示された。
《終末対処戦略兵装運用母艦》
《艦名――レムナ》
私は中央の管理席へ触れた。
《艦内統合修復計画へ接続》
《白夜・全修復工程再編――実行可能》
《制限運用構成――作成可能》
《緊急起動構成――作成可能》
八日を待たずに、白夜を立たせられる可能性がある。
完全に直すのではない。
必要な機能を選び、ほかを後回しにする。
「どこまで直せば動ける?」
《運用目的が未設定です》
《目的設定後、必要機能を算出します》
人を運ぶのか。
奈落を降りるのか。
魔物と戦うのか。
深淵潮汐へ近づくのか。
目的によって、必要な修復箇所が変わる。
まだ、答えは決められなかった。
続いて、白夜との同期情報が開く。
《白夜起動後――管理者連携技能系統を解放》
《追加技能取得及び進化――SPを使用》
《詳細情報――白夜起動後に開示》
「SPで白夜を直せる?」
《機体修復――対象外》
修復そのものには使えない。
けれど、白夜が起きれば、今まで私の身体へ使っていたSPに、別の使い道が増える。
何を選べるのかは、まだ表示されない。
先に白夜を立たせなければ、新しい技能系統も開かなかった。
私は表示を閉じた。
管理席の周囲にある六つの接続枠が起動する。
《登録決戦兵装――六》
《艦内確認個体――一》
《第一機動決戦兵装――白夜》
《帰還状況不明個体――五》
一つだけ、反応がある。
残る五つの表示には、個体名も現在位置も出なかった。
視界の端で、保留していた表示が揺れる。
《外部認証照合要求――複数継続》
《要求元――識別不能》
帰還状況の分からない五機。
奈落の下から届き続けている、複数の要求。
同じものなのかは、まだ分からない。
やがて、壁面からレムナの形が消えた。
壁面を流れていた情報が、一斉に止まった。
艦内図も、修復状況も、六つの接続枠も消える。
中央に、一つの作戦名だけが残った。
《終末作戦》
数秒遅れて、その下に情報が開いていく。
《発動条件――深淵潮汐・臨界段階》
《作戦目的――地上文明圏の存続》
《作戦関与個体――登録決戦兵装六個体》
そこで、表示が一度止まった。
最後に、もう一行だけが追加される。
《管理者生体鍵――必須》
《代替認証――不可》
さらに下へ続くはずの情報は、黒く閉ざされていた。
《最終工程――追加認証を要求》
その先は開かなかった。
「その六機で、何をするの?」
《現在権限では閲覧不能》
「管理者生体鍵は、私の血?」
《部分適合》
《追加認証を要求》
答えにはならなかった。
私の血は白夜を動かした。
観測機構も動かした。
第一主層の扉も開いた。
けれど、《終末作戦》で何に使われるのかは表示されない。
別の記録が、管理席の下から読み込まれた。
《第一機動決戦兵装・白夜》
《最終交戦記録――部分復元》
白夜の輪郭が壁面へ浮かび上がる。
現在よりも損傷が少ない。
細い白い装甲。
背部に伸びた推進器。
右手には位相断層刃が握られている。
その周囲へ、五つの反応が表示された。
《交戦対象――登録決戦兵装》
《対象数――五》
《交戦理由――記録欠損》
《戦闘結果――記録欠損》
「白夜は、五機と戦ったの?」
《回答不能》
《完全復元――追加認証を要求》
表示の中で、白夜だけが五つの反応に囲まれていた。
第二主層に残されていた空席も五つだった。
白夜が最後に戦った相手も、五機だった。




